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第13話 すきだけで -2
「あっそういえば会長、俺の愛のメッセージ読んでくれた?」
「てめえまじいい加減にしろよ……?」
今日の仕事も早々にすべて片付け終わり、さっさと帰ろうと腰をあげたところで掛けられた声。わざわざ触れてなかったというのに自ら話題に出してきた軽い男に、地を這うような声が出る。じとりと睨めば会計は「ごめんごめーん」と笑いながら近づいてきた。
「確かにあんなとこに書いたのはまずかったかなーって、さすがに俺も思ってたんだ」
「問題はアホな内容だろうがよ」
「え、なんで? 内容はまじよ? 会長と一戦交えたいのは本気でーす」
「はあ?」
なにをふざけたことを。
付き合っていられない、と無視してカバンを取るために腰を屈める。するとふいに、つ、と背骨を滑る指。突然のことに驚いて、不覚にもびくりと体が跳ねた。
「だって仕方ないじゃん。気づいてないの?」
「は……?」
「――会長、最近とーってもえっちだよ?」
耳に寄り添うように、ほとんどキスされているような距離で囁かれた言葉。それと共に耳に触る暖かい息。おまけとばかりに、れ、と耳尻を這う舌。
気色悪さに、ぞわりと全身が粟立った。
「っ触んじゃねぇ!」
ばっと手を跳ね除けて勢いよく後ずさると、そんな桐生に愉快そうに弧を描く瞳。興味なさそうに二人のやりとりを聞き流していた他の役員たちまで、桐生の本気の拒絶に注目するのがわかる。しかし見られているとわかっていても、警戒を解くことも誤魔化すこともできなかった。
意味がわからなかった。わかりたくなどなかった。信じられないものを見るような目で見つめると、会計はケラケラと笑って降参とでもいうように両手を上げた。
「あっははは、そんなまじになんないでよー! 冗談だよ冗談!」
「……っ」
「ちょっとからかっただけじゃん、ね、かーいちょっ」
集まる注目を払うかのように愛嬌のある笑顔を振り撒く会計の視線は、しかし桐生から外されない。緩やかに垂れた目尻に隠された瞳が、一瞬前は確かに本気の欲情でギラついていたのを、桐生は知っていた。
まさか、そんな。そんな馬鹿な。
俺は――俺は、そんなあからさまに、爛れた空気を醸していたというのか。
「ちっ、くだらねえ……」
「あっちょっと会長!」
「二度と俺様に触れんじゃねえよ!」
今、この場に、これ以上いたくはなくて。
カバンをひっつかむと、目の前の会計を押し退けて部屋を横切る。役員の目が痛いくらいに背中に突き刺さる中、捨て台詞のようにそれだけ吐き捨てて、乱暴に外へと飛び出した。
(――いやだ。いやだ、いやだ……!)
あの色素の薄い目に、自分の醜い思考をすべてを見透かされているような気がして。醜い自分自身をすべて知られているような気がして。それが、どうしようもなく、怖い。
一刻も早く生徒会室から離れるために、走るように廊下を進む。いくつか角を曲がったところで、生徒会室から離れたことへの安堵からか突然カクンと膝の力が抜け、咄嗟に壁に手をつきなんとか体を支えた。一度止まってしまうと気づかないわけにはいかない全身の震え。今はもう、これ以上は進めない。桐生はそのままずるずると、壁伝いにしゃがみこんだ。
見たことのある景色だった。しゃがみこんだ位置から見上げた視界にそう思って、無性に声を上げて笑いたくなった。ちょうど今朝方、夢で見たばかりのあの日。あのとき助けてくれた手は、こうしている桐生を見ても、もう助けてはくれないかもしれない。対する桐生自身も、もう素直にはあの手を取れなくなってしまっていた。
勝手に一人で足踏みし、焦り、雁字搦めになっている自分が情けなくて、馬鹿みたいで。ふっと強ばっていた体の力を抜いた。ペタリと床に腰を下ろし、背中を壁に預けて目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、先の会計のギラついた瞳。
あれを、狙われることを怖いとは思わない。ただ、あの瞳はすべてを知っているかのようで。すべてを見透かされているようで、ただそれだけが、酷く怖かった。
「……っは、馬鹿みてえ」
掠れた声が喉を震わせた。壁に頭をガンとぶつけ、天井を仰ぐ。ひんやりと冷たい壁が気持ちよかった。
こんなところで、こんな風に、天下の生徒会長が座り込んでいるなんて。誰かに見られたらどうするつもりだ。頭の隅で建前のようにそんな声が聞こえたが、もう取り繕うのにも疲れた桐生は、無理にそこを動く気にはなれなかった。
別に、想い人以外に抱かれた体が汚れたと思っているわけではない。女ではあるまいし、そんなことを気にするつもりはなかった。そんなことで傷けるほど、柔にも純粋にもできてはいないのだ。それに最初はどうであれ、仁科とならいいと、今は確かにそう思えたから。
だけどもしも、この酷く自分勝手で打算的な考えが、バレてしまったら。久谷のことを想いながら、しかし仁科に愛されることを許容する――求める本心が、漏れてしまったら。それを必死に隠そうと逃げ回る自分を見透かされ、見下されるのが、蔑まれるのが、どうしようもなく怖くて。
そしてその恐ろしさでさえも、結局はすべて、自分のためで。辿り着く答えは、結局そこだった。欲望のままに先を求めてしまいそうな自分が怖くて逃げだして。自分のことしか考えていない自分を知られるのが怖くて目を閉じて。すべては保身。ほら見ろと、あの鏡に写る自分が嘲笑っているような気がした。
大勢のセフレがいる久谷も、なりふり構わず久谷の隣を勝ち取った雨宮も、桐生を無理矢理抱く仁科も、自分の欲に忠実な会計も。みんなきっと、自分よりも、ずっとずっと強い。
ただ一人、自分自身のエゴを認められずに逃げ回る桐生だけが、きっと誰よりも、ずっと醜く弱いのだと、そう思った。
どれくらいそうしていただろう。体の震えはいつの間にか止まっていた。なんとか動けないわけではなさそうだった。動けるのであれば、こんなところでしゃがみこんでいる意味はない。動きたくないと訴える足を叱咤して立ち上がる。
(――……)
当然のように頭を仁科の顔が過ったのを、振ら払うように首を振る。今は会ってはいけない気がした。今会ってしまったら、ずるずると止めどなく甘えてしまう気がして。
今日はもう、さっさと帰って寝てしまおう。そう、ゆっくりと立ち上がろうとしたときだった。
ふと落ちてくる二つの影。誰だと顔をあげると、そこに立っていたのは、見覚えのない二人。
「あれえ、会長様じゃないですか」
「会長ともあろう方が、こんなところでお昼寝ですか?」
にっこりと、貼り付けられたような笑顔。見知らぬ一般生の隠す気もない下卑た笑いを前に、桐生は早く帰ることを諦めなければならないと悟ったのだった。
第13話 すきだけで 完
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