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第17話 すきだからこそ
痛い、熱い、重い、冷たい、苦しい――……
頭が割れそうだった。五感が、全ての感覚が、慢性的な痛みに悲鳴を上げる。
意識の浮き沈みを繰り返すだけの浅い眠り。痛みと屈辱しか感じない中、ついに気を失ってしまってから、すべてを拒絶し、すべてから逃避して、殻に閉じ籠っていた。閉じ籠ろうと、必死だった。
気を失えば叩き起こされ、そうでなくともむちゃくちゃに揺さぶられる中、意識を失ったままでいることがどれだけ困難なことか。しかし少しでも意識を飛ばしていないと、狂った行為に頭がおかしくなりそうで。彼らの下品な笑いを見た瞬間に、舌を噛みきってしまいそうで。
可能な限りシャットアウトしていなければ、自分がいったいなにをしでかすか、桐生自身でもわからなかった。だから、閉じ籠った。どれも、なにも、だれも、感じることなどないように。
深くなんて、眠れるわけがなかった。しかし同時に、覚醒することも体は拒絶する。遠くに彼らの下卑な笑い声が、ずっとずっと聞こえていた。
そんな、夢か現かわからないような眠りの中、何度目かに意識が浮上した時――自分を呼ぶ、誰かの声が、聞こえた気がした。
「……――!」
呼びかけに答えるように、重い重い目蓋を、外界を遮断しようと必死な目蓋を、なんとか無理やり持ち上げる。せっかく閉じ籠って逃げていた外を受け入れるのは嫌だった。だけど、その声に、なぜか起きなければならない気がして。
そうしてゆっくりと開いた目。視界に映ったのは、覆い被さるように覗き込んでくる影。
「――っ」
ひゅ、と喉が鳴った。呼吸が止まる。
熱の籠もる頭にフラッシュバックする、脳裏に焼きついた光景。
『ははっ、本当に下のお口も上のお口も絶品だなあ、淫乱生徒会長様』
『こんなんでへばってちゃまだまだ終わりませんよお』
嘘だろう――……
あのとち狂った行為は、あの悪夢のような気違いじみた行為は、まだ終わっていないというのか。まだ続いていると言うのか。
いつになったら解放されるのだ。この悪夢は、いったいいつになったら終わるというのだ。
呼吸が上手くできなかった。信じたくなくて、もうなにもかもが限界で、体が、心が、悲鳴をあげた。
「っ、俺に触んじゃねえ!」
「ちょっ、おい!?」
「俺はてめえらの玩具じゃねえんだよ!」
覆い被さってくる人影に、渾身の力でもって抵抗する。もう手枷も足枷も、そして口枷さえない今、桐生を拘束するものはなにもなかった。それに少しの間気を飛ばしていたおかげか、さっきよりも体は僅かに楽になっている。だから、今ならいくらでも抵抗できる、はずなのに。
それなのに、抱き込まれるように押さえつけられれば、自分でも信じられないほど身動きがとれなくなって。そこまで強くないはずの拘束は、驚くほど簡単に桐生の身を縫い止める。
(なんで――……)
それでも諦められずに必死にもがいていれば、唐突にぽんと撫でられた頭。この場に不釣り合いな、酷く優しい、温かい手つき。
あまりに予想外なそれに――そしてどこか懐かしさを覚えるその感覚に、戦慄くように体が跳ねた。
「っ、やめろ! 俺に触るな! それ以上近寄るんじゃねえ……!」
「大丈夫……桐生、もう大丈夫だから」
「や、離れろ! もう、もう嫌だ……!」
「落ち着け、大丈夫だから……」
なんなんだ。なんなんだよ。いったい、なんのつもりだというんだ。
どうしてその口で、蔑み詰り嘲笑うその口で、よりによって〝大丈夫〟など。その言葉が桐生にとってどれだけ大切で、どれだけ救いになるものかなんて、知らないくせに。それなのにどうして、よりによってその言葉を、そんな優しい声で。
その言葉は、久谷が俺に――……
そう、思い至った瞬間。桐生は、全身の血の気が引いた気がした。
(まさか――……まさか、そんな)
頭を撫でる、温かく優しい手の感触。繰り返し紡がれる言葉。低くも甘やかに囁く声。
桐生は、そのすべてを、知っていた。
血の気が引く。血が上って煮え滾っていた頭が冷え、寒気がするほどで。冷静になったからこそわかってしまう。わかってしまった事実を、嘘だと、そんなわけがないと、桐生は笑い飛ばしてやりたかった。
しかし必死に否定しようとするも虚しく、すべてが導きだす答えは――たった一人の人物で。
「……戻って、きたな」
「あ……え……?」
それまで碌になにも見えていなかった、見ようともしていなかった視界が、一瞬にして鮮明になってしまう。ようやくまともに認識できた男の顔。それは確かに、久谷以外のなにものでもなく。
「ほら、もう大丈夫だ」
「え……なんで、くた、に……?」
そんな、嘘だ。嘘だろう。
目の前に見えているものをいくら頭で否定しようと、視界に映るのは、どうしたってこちらに向かって微かに微笑む久谷しかいなくて。
何度瞬こうと、そこいるのは久谷しかいない。しかし、こんな穏やかで優しい表情を間近で見ることなんて今まで一度もなかったから。そんな表情が自分に向けられるなんてありえないことだったから。
だから、目の前のすべてが幻覚のような気さえしてくる。すべては自分の妄想なのではないのかと。
幻想であってほしかった。妄想であってほしかった。けれど、目の前でほっとしたように笑い、優しく触れてくる男は、確かに、久谷で。
「あ……や、いやだ……っ」
「おい、桐生?」
「や、見るなっ! いや、いやだ、俺に近寄るんじゃねえ……!」
これが夢でも幻覚でもなんでもなく、現実だと認めてしまった瞬間、ガタガタと震えだす体。心身ともに拒絶反応を起こし、吐き気さえ込み上げる。
信じられない。信じたくない。信じられる、わけがなかった。
こんな惨めな姿の自分が、その目に映っている。こんな醜い姿の自分が、その手に触れられている。それはよりにもよって――他の誰でもない、最も知られたくない相手、で。
こんなこと、許されるはずがなかった。早く、この状況を打開しなければ。パニックになった頭では、それしか考えられなかった。桐生はその一心で、久谷の目から逃れるように震える身を捩る。
「近寄るな……いっ!」
「っおい、大丈夫か!?」
鉛のように重たい体を無理やり引き摺って、できるだけ久谷から離れようと、自分の体から久谷を遠ざけようと後ずさる。しかし途端に悲鳴を上げた体に、全身を走った強烈な痛み。我慢できずに、思わず口から余計な声が出た。
痛みにぐっと顔を顰めた桐生は――しかし、間髪入れずに伸びてきたその腕に、痛覚など忘れるほどぞっとした。
「っ、触るな……!」
躊躇なく跳ね上げた腕。荒げた声は鋭く、本気の拒絶を示す。
それに見開かれた目を見ることなど、できるわけがなかった。ガクガクと震える手を、体を痛いほどに抱き締める。
だって無理だ、無理なんだ。
よりによって、久谷の瞳にこんな姿が写っているなんて。他でもない、久谷の手にこんな体が触れるなんて。
そんなこと、絶対に耐えられない。誰よりもなによりも、久谷にだけは、絶対に見られたくなかった。
触れられるわけには、いかなかったのに。
「――仁科を、仁科を呼んでくれ……!」
喉から絞り出した声。
助けになど、来てほしくなかった。
他でもないお前だからこそ、その手を掴むことなどできないのだから。
第17話 すきだからこそ 完
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