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第18話 きらいになんて -2

 酷く、疲れていた。  こちらを物言いたそうに見ているのを気にせずに、ベッド脇に置いてあるソファへドサッと沈み込む。 「あー……」 「……久谷様?」 「……」 「なんでここにいらっしゃるのですか、久谷様」 「なんで……」  静かな問い。  雨宮からしてみれば尤もな、そして核心をつくそれに、久谷は苦い笑みを浮かべた。こんな状況で聞くなという方が、無理な話だった。 「……んなの、拒否られたからに決まってんだろ」 「え、」 「っくそ、いいんだよ俺のことは。それよりお前が見たことが聞きたい」 「でも久谷様、」 「いいから! ……早く、してくれ」  懇願するような声は、縋るように情けなく震えた。  自分が今いったいどんな表情をしているのか、わかったものではなかった。正直、見られたものではない顔である自信はある。ソファの背に頭ごと預け、表情を隠すように顔に腕を乗せた。彼相手にこんなんじゃ誤魔化しきれないことなんて、わかっているけれど。 「……会長を連れ去ったのは、二人の生徒でした。二人とも会長より少し背が低かったから、一七〇後半くらいだったと思います。片方は茶髪でもう片方は黒髪……多分、制服の着崩し的にFのような感じがしましたけど、彼らはこちらを向かなかったので、顔はよく見えませんでした」 「……あいつは?」 「え?」 「あいつは、桐生はなにしてて、そんなことに」  言いながら、奥歯を噛み締める。できることならば、聞きたくなかった。詳しく聞けば聞くほど、苦しいほどの激情が湧き上がるのだから。 「会長様は……桐生様はなぜか、廊下に座り込んでいたんです。なにしてるんだろう、って見てたら、そこに声をかけられて、なにか話してるみたいでした。それで会長が立ち上がったところを、その二人で羽交い締めにして……」 「……」  ああ、聞かなければよかったか。  あれだけ拒絶されたというのに、やっぱりまだ、どうしたって桐生のことが好きで。どうしたって桐生への想いは捨てられなくて。  ふつふつと沸き上がる怒り。腸が煮えくり返るような殺意を覚えながら、しかしそのお陰でかえって動揺が落ち着いてきた久谷は、ゆっくりと顔を上げた。  いつの間にか目の前に来ていた雨宮の、淡い瞳と絡む視線。小さい拳をぎゅっと白くなるまで握り締め、酷く緊張しているような固い表情のまま、しかし視線が外されることはない。一瞬だけ沈黙した彼は、意を決したように口を開いた。 「僕が……僕がそれを見たのは、五時頃でした」 「……そうか」 「……っ」  五時といえば、ちょうど久谷が最後のセフレと話をし始めた頃のはずだった。あれからもう、優に三時間は経っている。  確か、最後だからと彼と話し込んでしまって、気づけば二時間以上経っていたのだ。そしてもう戻らねばと部屋を出てきたところでちょうど雨宮からの電話がかかってきたから、辻褄は合う。  もうそれから三時間も経っていて、しかし未だに通報は一件だけ。もうとっくに授業は終わっていたから、いなかった生徒の確認などできないし、ただでさえ一般生の利用の少ないこの棟での目撃数は、これ以上望めないだろう。それにきっと、加害者達はとっくに戻ってしまっている。 (……犯人探しは、困難か)  桐生が喋るならば、話は別だけれど。彼さえ詳細を話してくれれば、きっと犯人に辿り着くのはそう難しいことではない。しかし逆に、それがなければ足取りはまったく掴めないまま。  そして桐生は――話してはくれない、そんな気がした。  ふとフラッシュバックする、さきの怯えたような強張った表情。相手が久谷だと気づく前も必死に抵抗しようとしてはいたが、しかしそこにあったのは怒りと屈辱だけだった。それが目の前にいるのが久谷だと気づいた途端、確かに桐生は怯えを見せた。  助けにいったつもりだった。救いにいった、はずだったのに。  それなのに桐生は――自分を犯した相手よりも、ずっとずっと、久谷に対して恐怖し、怯えていた。  犯人への怒りの方が勝っていた感情が、再び引き戻されるような感覚がした。慌ててそれを振り払うようにパシッと膝に手をつくと、久谷はすくっと立ち上がる。それにビクリと跳ねた小さな体に向かって、ガバリと頭を下げた。 「……ありがとう」 「え……?」 「話してくれて助かった。本当に感謝してる」 「――……っ」  情報は、確かに少ない。しかし情報がないのとあるのとでは、まったく違うから。  感謝の言葉を口にして、行きとは逆にゆっくりと顔を上げる。そうして視界に入った雨宮は、しかし泣きそうに顔を歪めていて。 「……んで、なんで責めないんですか……!」 「……」 「どうして……っ! 僕が電話したのが何時だったか、忘れたわけじゃないでしょう!?」  苦しそうに、絞り出すように訴えかけられる言葉。必死に涙を堪える瞳が、睨むような強い視線をぶつけてくる。  忘れたわけではない。忘れられるわけがない。だけど、それで雨宮を責めるつもりはなかった。  泣きそうな、辛そうな顔に僅かに口許だけ緩める。するとその大きな瞳から、今度こそぼろぼろと涙が零れ落ちた。 「僕はずっと知っていたのに……! ずっと知っていて、それでも黙ってたんです! だって、だって邪魔はしないとは言ったけど、会長が舞台から降りてくれれば僕にとっては好都合だったから! 良い気味だと、思ったから……っ!」  懺悔のように畳み掛けながら、カクンと折れた膝。パタパタと落ちる滴が絨毯に染みを広げた。握り締められた拳が床を打つ。 「そうまでしたのに僕は、僕は結局は怖くなって電話して……だったら、どうせ怖気づくんなら、どうして、もっと早く……!」 「――それでも」  嗚咽を堪えながら後悔に咽ぶ雨宮にゆっくりと近づき、口を開く。顔を隠すように俯いたまま、落ちてきた声に反応してぎゅうっとさらにキツく握り締められる拳。そのすぐ傍らまで歩みを進め、久谷は立ち止まった。 「それでもお前は、電話をくれた」 「……っ……」 「それで、十分なんだよ」  きっとそれは、俺だって同じだから。  私情で動いているのは、久谷も同じだ。久谷だってきっと、これが桐生以外だったらここまで必死になることはない。ここまで殺意を覚えることも、ショックを受けることもなかっただろう。  雨宮だってもしかしたら、桐生じゃない生徒だったら気にさえ留めてなかったかもしれないのだから。桐生だったからこそ注目し、気にかけ、悩み、最後には思い直した。そんな彼を、久谷には責められなかった。  きっともう一度、桐生と向き合わなければならないのだろう。  今度は拒絶されてもなにされても、ようやくすべきことをはっきりと自覚した以上、引き下がるわけにはいかなかった。拒絶されようがなにしようが、自分は風紀委員長なのだ。なにを言われようが、自分には責務を果たす義務がある。  ならば、すべきことは、一つ。  一人で傷ついている場合ではなかった。想い人に危害を加えられて、のうのうと見ているだけでいるわけにはいかないから。  私情で動き出した以上、最後まで私情で突き進んでやろうではないか。 「協力、感謝する」  会わなければならないと決めた途端、いてもたってもいられなくなる。会うとなれば、一刻も早く桐生に会いたくて。  未だに涙を零し、俯いたままの頭をぽんと撫でる。そうして久谷は外へと向かったのだった。 第18話 きらいになんて(なれるわけない) 完

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