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第19話 すきであることさえ -1
「……わかった。仁科親衛隊長だな」
力なく落とされた手。無感情な小さな声でそれだけ告げて、ゆっくりと離れていく体。
そのまま、一度も振り返らずに部屋を出ていく背中が傷ついていたように見えたのも、自分で拒絶したにも関わらず引き留めそうになったのも――きっと、気のせいだった。
それからすぐにやってきた仁科と、風紀の救護班。救護班だなんて大層な名前がついている彼らだが、しかし実際はただの、生徒相手の後処理係でしかないのだけれど。
入ってきて目があった仁科は瞬時に状況を理解し、処理道具だけを受け取って救護班の生徒たちは外に出そうとした。必要な物を持っているだけで特になにか特別な技術を持っているというわけではないただの生徒よりも、アフターケアは仁科の方がありがたかったから、戸惑う彼らに、仁科に任せて大丈夫だと告げる。その言葉に、彼らは素直に部屋を出て行った。
そうして自分と仁科以外には、誰もいなくなった部屋。そこではもう、取り繕う必要も踏ん張る必要もなくなっていた。だからもうそのあとは、仁科が掻き出したり拭いたりしてくれるのに身を任せるだけ。親衛隊長は、なにも言わずともすべてをわかってくれていた。
なにもする気にはなれなかった。今はなにも、考えたくなかった。
「はい。とりあえず、今できることは終わりました」
「……」
「桐生様……立てますか?」
「……ああ、ありがとう」
酷い抱かれ方をした体はギシギシと軋み、全身が悲鳴をあげているようで。しかし差し出された手は取る気にはなれず、自力でベッドから立ち上がった。
綺麗になった体で、いつのまにか用意されていた新しい下着と制服を身につける。そういえば制服どうされたっけと思い出しかけて、すぐに中断した。あんなにも忌々しい記憶をわざわざ呼び起こす必要なんてない。今、腕を通せる新しい制服が手に入ったのだから、それでよかった。
姿見に写る自分は、思っていたよりもずっと、いつも通りの自分だった。きっともう、今の桐生を見て強姦されたと直後だと思う人間はいないだろう。
いつも通りの、不遜で傲慢な俺様生徒会長。とはいえ、もしもまだ爛れた空気を醸していたとしても、それも含めていつものことだと思われるだけなのかもしれないけれど。
最後にきちっと上まで締めていたネクタイを、いつものように僅かに弛め――そうして桐生は、再びベッドへと沈んだ。
「――仁科」
目の前の男へと、縋るように伸ばした腕。
それに応えるようにゆっくりと近づいてきた仁科の手が桐生の頬にそっと触れる。大切そうに頬を撫でる手に擦りよると、僅かに悲しげに、しかし愛おしそうに細められる瞳。ところがすぐに、その手はするりと離れていってしまって。不審に思った桐生がなにかを言う前に、名残惜しげな表情のままの仁科の唇が動いた。
「……久谷委員長は、どうされたのですか」
「っ、仁科」
「どうして……なぜ私を、呼んだのです……」
切なげに苦しげに落とされた言葉、それはまるで、桐生の行動を責めるような問いかけ。
真剣な表情の仁科と視線が絡み、桐生はぐっと眉を寄せた。まさか、そんなことを言われるなんて想像してもいなかった。だって仁科はいつだって、桐生にはどこまでも、苦しくなるほどに甘かったから。
だから今日だってそうなのだと――今までのように甘やかしてくれるのだと、ぬるま湯のような温さで包み込んでくれるのだと、そう、思っていたのに。
どうして、はこちらの台詞だった。なぜそんなことを聞くんだ。なぜそんな顔でこちらを見るんだ。お前はいつものように、なにも聞かず、ただただ癒してくれるのではないのか。
「そんなのお前が……仁科がいいと思ったからに決まってんだろ……?」
「……」
「久谷じゃなくて……俺は、お前が……っ!」
どうして、わかっているくせに気づいてないようなふりをするのだ。今まで散々甘やかしてきたくせに、なんでよりによって今、突き放すような、離れようとするようなことを言うのだ。どうして――……
伝わらないもどかしさに感極まって、桐生は身を乗り出して立ち上がる。しかし桐生が仁科へと腕を伸ばそうとしたのと、仁科自身の腕が動いたのは、同時だった。
「――いい加減になさい……っ!」
パシン……ッ!
鋭く乾いた音が、部屋に響く。ついですぐにジンと熱くなった右頬に、桐生は僅かに目を見開いた。
「どうしてそう、あなた方は……!」
「に、しな……?」
一体、なにが起こって……?
なにが起こったのか理解できず、動揺してなにも言えずに立ち尽くす。呆然として仁科を見つめると、その綺麗な顔は切なげに歪んで。再び近づいてきた華奢な手が、痛わしそうに、気遣わしそうに、熱を持つ頬をそっと撫でた。
「なぜそうやって、ご自分を苦しめるのですか……我を通せば、いくらでも貴方は幸せになれるのに……」
「ちが、違う……! 俺は、久谷じゃダメなんだって、どんな姿でも見せられるのはお前なんだって、だから……っ」
「……それこそが、久谷委員長が貴方の特別だという証でしょう?」
そう言ってふわりと微笑む仁科に、桐生は必死に違うと首を振る。間違いなくわかっているはずなのに、仁科が桐生の言いたいことがわからないはずかないのに、それでもどうしてもわかろうとはしないその穏やかな笑みに、泣きそうになった。
違う、違う、違うんだ。
仁科だから、すべてを見せられて、すべてを委ねられると思ったんだ。確かに久谷は特別かもしれない。だけど、仁科だって特別で。
だから――……
「俺に、お前を選ばせてくれ……!」
やっと、決心がついたというのに。散々迷って悩んで葛藤して、そうしてやっと、ようやく決められたというのに。
必死に取り繕った自分しか見せられない久谷ではなくて、正直な自分のままでいられる仁科の隣にいたい。隠す必要のない、ありのままの自分でいられる仁科の隣がいい。
だから本気でお前を愛したいと、思ったのに。
それなのに――どうしてそんなにも悲しそうな、苦しそうな、諦めたような顔で、笑うんだよ。
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