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第20話 きらいなわけない
会いたい、会いたいと、どうしようもなく気持ちが逸る。色んなことが、言葉が、感情が、ぐるぐると目まぐるしく頭を回った。
できうる限りの早さで足を進める。今にも走り出したい気持ちを、少し落ち着けとなんとか冷静になろうとして、極限に早足だが走りはしない。ざかざかという無駄に大きな音が、人気のない廊下に響いた。
ひとつの仮説が、久谷の頭を占めていた。この仮説が本当にあっているかどうか、はやく答え合わせをしなければならない。しかしそう思う一方で、そんなに焦って突進だなんて無謀すぎると諌めようとする、冷静なふりをした自分もいて。
もう少し冷静に考えるべきだ。その仮説は、確かなのか。自分に都合の良いように解釈しているだけなのではないのか。それにもしも合っていたとして、それに伴う真実に、自分は堪えられるのだろうか。
仮説が合っていても外れていても、どちらにせよ久谷は堪えなければならないものがある。受け止めなければならないものがある。だから、一刻も早く会いたいけれど、その前にほんの少しだけ考える時間がほしい、なんて。
(情けねえ)
僅かに足の速さが鈍った正直な自分に舌打ちをする。一度スピードが落ち始めると、みるみる歩調が鈍っていく。それがわかっても、それでも速度を上げることはできなくて。つくづく情けない男だと、自分を笑いたくなった。
わかっている。なんにせよ、早く行かなきゃならないのはわかっているのだ。
(――だけどもしも、もしも俺が立てた仮説が正しかったとしたら)
そうしたら、自分は信じたくないほど酷いことを桐生に強いていたということになる。知らなかったでは許されないような、酷なことを。
真実を知りたかった。彼の気持ちを聞いて、自分の気持ちを伝えたかった。
だけど、もしも仮説通りだったとして。桐生の気持ちを聞くことのできる喜びの反面、それと同時にわかってしまう、自分がした彼への仕打ちを認めるのは、どうしようもなく、痛くて。
「あーくそっ!」
そんな風にしか考えられない自分が本当に情けなくて、むしゃくしゃする。苛立ちに任せて放った声は、廊下の奥へと消えていった。
なんだというのだ。どうして自分が傷つくことしか考えられない。どうして保身しか考えられない。結局、いつだって自分のことばかりじゃないか。こんなにも自分が守ろうとしている自分には、いったいどれだけの価値がある。
あいつは、俺のことばかりだというのに――……
『俺にとっても都合がいいんだよ。お互い快楽主義で好きでもない。後腐れのない、いい条件だと思うがな』
『久谷様は、桐生様以外切ったのにっ……! それなのにあの人は、今でも不特定多数と乱交しているのですよっ!』
『あの専属契約っての、もうやめよう。なんか性に合わねえし、飽きちまったんだわ』
『うるせえよ、俺には関係ない』
単純に考えれば、言葉通りに捉えれば、きっと、弄ばれたのは俺の方だった。
もちろんそんな風に考えること自体、ズレているのだと思う。セフレ関係にそんな、弄ばれただのなんだのということを持ち込むこと自体がおかしいのだ。だけどそんな風に考えてしまうのは、まんまと久谷が桐生に堕ちてしまったから。
恋愛なんて面倒くさいと思っていた男が、ひょんなことからうっかりセフレに恋してしまう。そしてセフレにもう飽きたからと捨てられて嘆き、片想いの男は愚かな執着を見せ始める。
なんて下らない物語。なんの面白みもない陳腐なそれは――しかし、ある男のたった一言で、すべてが覆ることとなる。
『それに、桐生様にセフレなんて、一人もいません……!』
あの時、あの言葉に、久谷は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。すべてを根本から覆す真実。そもそもの前提を否定され、しかしそう考えると、すべてのピースがまた別の形で填まっていくのも、確かで。
(もしも……もしも、本当に)
セフレが大勢いるヤリチンビッチな快楽主義者――もしも、その前提が本当に違ったとしたら。噂が噂でしかなかったとしたら。
だとしたらどうして、噂の通りであるフリをしていた? どうしてあんな関係を持ち掛けてきた? どうして天下の生徒会長様が、わざわざ風紀委員長のセフレなんかに?
その答えは、あまりにも、単純だった。
セフレ関係を持ち掛けてきたのは、久谷は男と恋愛をしないという噂が流れていたから。自分に恋愛感情のある人間とは寝ないというルールを作っていたから。噂を否定しなかったのは、自分が軽い男であることをアピールしたかったから。そうして自分が下半身男だと周りに思わせれば、久谷は躊躇なくセフレにしただろうから。
そうまでして、桐生は久谷と、関係を持ちたかったから。
そう、つまり、自惚れでなければ――桐生は久谷のことが、好きだったのだ。
『いいぜ、専属契約、しようじゃねえの』
そうして久谷は案の定、まんまと騙されてしまった。
そこからの展開だって察しがつく。桐生のところに親衛隊長が現れたのと、久谷のところにセフレが現れたのはほぼ同時で。まるで自分たちにそれぞれ宛がわれるかのような、あまりにも良すぎるタイミング。そしてそれ以降、頑なに久谷を避け続け、拒絶した桐生。今思えば、桐生について久谷にもたらされる情報は、すべて雨宮からのものだった。
違うと思いたい。違うと信じたいのだけれど。それでも、この流れが成立するのは――桐生があの二人に脅されて、というのが、一番自然で。
もしも桐生が本当に久谷へ恋愛感情を抱いていたとしたら、それは彼らに対して致命的な弱点となっただろう。久谷があんな風に、メール一本で一方的にセフレ達との関係を切ろうとしたのを目の当たりにした直後であるならば、尚更。
『じゃあな、ゲーム、なかなか楽しかったぜ』
桐生はあの時、いったいどんな思いであの言葉を吐いたのだろう。
自分のくだらない噂とルールが桐生の枷になっていたかもしれないなんて、そんなこと、信じたくなかった。桐生がその枷に身動きを封じられてなにを強いられていたかなんて、彼が歯を食い縛って耐えていた間に自分がいったいなにをしていたのかなんて――考えたくも、なかった。
被害者ぶって、健気な片想いだと思い込んで、気持ちを伝えようともせずに自己満足に浸っていた。今までの自分を思い出すだけで吐き気がした。そんなこと、知りたくなかった。
(――だけどきっと、誰よりも俺が、知らなければいけないことだから)
これはただの仮説で憶測。こういう可能性もあるのだというだけで、どこまで合っているのかなんてわからないのだ。
きっと久谷にとっては、桐生に笑われて、自惚れるなと、お前なんか好きじゃないと、そう言われるのが一番楽なのだ。そうすれば、そこからいくらでも頑張れるのだから。そこから好きになってもらう努力をすればいいだけの話なのだから。
だけどもし、仮説通りだったとしたら。
自分は彼を酷く傷つけたことになる。一生残るような傷を作る原因となったことになる。しかし過ぎてしまったことはやり直せない。自分が桐生に残してしまった傷を、なかったことにはできないけれど。
(それでもきっと――その傷を癒せるのも、俺だけだと信じたい)
自惚れかもしれない。傲慢かもしれない。虫がよすぎるかもしれない。
それでも、自分が与えてしまったその傷を癒すのは、自分でありたかった。自分であると、自分でなければならないと、信じたかった。
桐生が受け止めてくれるなら、今まで散々傷つけてしまった分、今度こそ精一杯愛すと誓うから。
磨り減ってしまったものを埋めることができるくらい、それが溢れて零れるくらい、愛を注ぐと誓うから。
(だからどうか、俺を好きだと言ってくれ……!)
見えてきた目的地。近づいてくる扉を前に、ようやく整理のついた、覚悟を決めた想い。今度こそ躊躇なく、久谷の足は力強く地面を蹴った。
第20話 きらいなわけない 完
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