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第2話 きらいではないかな
「――う、委員長!」
「あ……? ん、なんだよ?」
「なんだよじゃないですよ! 人がさっきからずっと呼んでるっていうのに!」
「あー悪い、なんも聞いてなかった。なんだって?」
「まったく……ほら、この書類、生徒会行きですよ。大事なものなので委員長にお願いしなきゃなりません」
そう言ってから「その方が逆に心配なのに」と嘆く部下、樋口 から書類を受け取り、とりあえずそれを丸めてスパンと叩いてやる。すると優秀な部下はぞんざいに扱われた紙を指して重要だなんだと涙目になったが、久谷はそれに興味など欠片もなかった。なぜなら今、彼の頭を占めていることなど一つだけだから。
昨日も、これからだった。
珍しく自ら届けにいった書類。一人しかいない生徒会室。艶やかな笑み。熱い吐息。濡れる瞳。
誘う痴態――……
『くた、に……もうっ……』
思い出すだけでドクリと心臓が脈打ち、ゾクリと背中に興奮が走る。あれから何度も思い出し、何度だってそれに欲情した。それほどに、あの天下の生徒会長様の濡れた瞳と声、そしてはしたなく強請る姿は、堪らないものがあった。
「あー……ヤりてえ」
ぞくぞくとするあの甘美な征服欲が甦ってきて、思わず漏れる呟き。自分がどうしようもなく飢えていることに、苦笑を浮かべるしかない。
まだあれから一日しか経っていない。いや、正確に言えば一日さえ経っていないのだ。昨日したばかりだというのに、欲求不満は解消されるどころか昨日より遥かに欲が募っていた。体裁を気にしての契約だったはずのに更にヤりたくなるなんて、見事なまでの本末転倒。さすがは、淫乱生徒会長といったところか。
「……委員長、あんた本当にヤることしか考えてないですよね」
「ん? あー……お前さ、俺が相手一人に絞ったらどう思う?」
「は? なんですか急に。無理でしょうそんなの」
「仮にだよ仮に。頭の堅い野郎だな」
向けられる心底呆れた視線。こんな風に久谷にも遠慮のない言動をとれるのは、風紀委員の中でもこの男、樋口だけだった。しかし対する、久谷も無遠慮な視線を向けられたからといって怯むような人間ではない。
視線を無視してスマホを弄っていると、無意識に電話帳を呼び出している指。画面にずらりと名前が並ぶ。しかし眺めたところで顔の浮かばない名前ばかりで、久谷はようやく自分が弄っているのがセフレ用のスマホであることに気づいた。いったいどれだけヤりたくなっているのだか。
「うーん、仮に……仮に、万が一にでもそんなことになれば、うん、素晴らしいことだと思いますよ」
「ヤる回数が増えたとしても?」
「え、まあ……相手が絞られればいいんじゃないですか?」
「ふーん、そういうもんか」
どの名前を見てもピンと来ない。ただの文字の羅列と化している電話帳に、久谷は小さく息を吐く。今までどうやってこの中から相手を選んでいたのか思い出せなかった。手当たり次第だっただろうか。
「そりゃそうですよ。というか、好きな相手が出来たらセフレよりもヤりたくなるのは普通なんじゃないですか?」
「なんで」
「だから、恋人相手の方が体だけの関係の相手より、心が繋がってる分もっと欲情するでしょうって。セフレとかいたことないからよく知りませんけど」
「んー? いや別に恋人じゃねぇし。セフレを一人に絞るってだけだしな」
「は? いや、でもだって一人に絞るとか本命だとしか……」
「家がうるせえってだけだ。ま、嫌いじゃあねえけどな……男を好きにはならねえよ」
何度往復したところでわからず、諦めて画面から目を離す。どうしたってどれも同じにしか見えなかった。逆立ちしたって名前だけじゃわからない。とはいえ、昨日からはわかる必要などなくなったのだけれど。
セフレ用のそれを置いて、普段使いのスマホを取り出す。さっきの会話の流れに納得していないらしい樋口に一挙一動を観察するように見られているのはわかっていたが、そのまま気にせず電話をかけた。ちらりと視線をやれば、ムッとして資料に目を戻す部下に喉を震わす。
「こんな所でセフレに電話かけんなよ! っていうか人に話ふっといてこの人は……」
ぶつぶつと小声で言ってるのを聞きながら、待つこと数コール。留守電に繋がろうかというところで途切れたそれに、久谷の口元が僅かに弧を描いた。
『……はい』
「おう俺だ。ははっ、いーい声だなあ」
『な、え、おまっ……!?』
「せっかく専属になったわけだし、昨日お前が寝てる間に登録させてもらったから」
電話に出た掠れ声に、今度こそ隠しようもなくニヤリと笑みが浮かんだ。ぞくぞくと背中を駆け抜ける欲情。
堪らない。この偉そうなくせにどこまでもエロい声を、散々に啼かせたい。
『どうしたんだよ、なにか用か』
「んーや、なんか声聞きたくて」
『……っは、なんだ、てっきりヤりてえのかと思ったぜ』
挑発する、昨晩喘ぎすぎて掠れた声。あの豪勢な会長席に沈み、気怠げに笑いながら男を誘う姿が目に浮かぶ。
ああ――ああ、堪らない。
「よくわかってんじゃん、今日は俺の部屋来るか?」
『……どこだっていい。好きにしろ』
「え、なに、じゃあ生徒会室がいいっつったら、会長様は了承してくれるわけ?」
『体裁気にしてんだろ、馬鹿かてめえは』
「はいはいすみませんねえ」
ニヤニヤと軽口を叩いていると、がたりと勢いよく立ち上がる音。何事かとそちらに視線をやると、驚いたようにこちらを見ているアホ面が一人。喧しいという視線を送るも唖然として気づいていない彼から、興味を失くして視線を外した。
しかし改めて考えると、生徒会室で、というのはなかなかに刺激的である。王様の居城で王様を組み敷くだなんて、まさに男のロマンそのものだった。あるいはこっちでというのも悪くなさそうだとほくそ笑みながら、久谷はちらりと時計に目をやった。
「よしじゃあ俺の部屋な。ちょうどお前に届けなきゃなんねえもんあるし」
『届けるもん?』
「あーなんか書類だ。届けにそっち行くからよ」
『わかった……待ってる』
「ん、じゃあな」
プツリと通話を切って立ち上がる。
さっき渡されたのも含めて生徒会長へ渡さなければならない書類をトントンと束ねていると、風紀委員長が署名する欄があることに初めて気づいて。しかし桐生と後でどうせ部屋で一緒になるのだから、彼がサインするときに一緒にすればいいと見ないふりをする。
すでに下校時刻は過ぎていた。だからこそ他の委員は帰って久谷と樋口しか残っていないわけだが、そろそろ自分たちもお役御免でいいだろう。今日までにやるべきことはやったのだし、と久谷は一つ頷いて立ち上がった。
「じゃあ、お疲れ。俺、今日はもうここには帰んねえから。お前も早く帰れよ」
「ちょ、あの、い、委員長……! 今の、今の本当ですか!?」
「あ? 今のって?」
「今の電話! だって、だってあの会話のタイミングで相手を一人に絞るって! もしかしてその相手って、あの会長様なんですか!?」
目を真ん丸くして驚きを表現する部下に、久谷は心底鬱陶しそうに顔を顰めた。わざわざ答えてやるのも面倒くさくて、無視して新規メールを作成する。そうしてセフレ解消の旨だけを書くと、一斉送信のボタンをタップした。
送信しはじめたセフレ用のスマホをほいっと投げてやる。すると条件反射のようにキャッチした樋口に、久谷は口角を上げた。
「それ、メール全員に送れたら処分しといて」
「は? え、な、なんでですか」
「だってもう必要ねえし」
いくら薄くて軽いものだといえど、わざわざ二台持ち歩くのは面倒くさい。それにきっと、今のメールを受けて、しばらくは鳴り止まないだろうから。それに応対するつもりはなかったから、煮るなり焼くなり好きにしてほしかった。
「ちょっと! 困りますよこんなの!」
「いーから。好きにしろよ、適当に……な? ほら、その電話帳使ってもいいぜ?」
「ばっ……!」
その言葉にカッと目を見開き、思い切りぶんと投げたものを久谷はひょいと避ける。後ろでガシャンと音がしたので振り返ると、壁に当たって落ちたスマートフォンの無惨な姿が目に入った。
「うっわあ……」
「あっ! つ、つい……!」
「……まあ、確かに好きにしろっつったが、一応メール送れたのか確認してほしかったな……」
「うわ、うわ、すみませ……!」
照れ隠しでスマホを投げられては堪らない。それ要らないっていうのが冗談だったらどうするつもりだったのだろうか。我ながらバイオレンスな部下を持ったものだな、と久谷は頬を引き攣らせた。
壊れていてもいいけれど、メールは送れてますように。送れてなかったら、すべてはこのアホな部下のせいってことにしてこいつを献上してしまおう。それでいい。なんて適当なことを考えながら、久谷は風紀委員室を退室した。
これからあの会長様がいったいどんな痴態を演じてくれるのか、楽しみで仕方なかった。せっかくの契約なのだから、楽しまなくては損だ。
送信した直後から、不穏なバイブレーションを響かせ始めたスマートフォン。しかしとっととそれを部下に下げ渡してしまった久谷は気づかない。ただ上機嫌にこれからの情事に思いを馳せながら、彼は足取り軽く、自分の部屋を目指していた。
第2話 きらいではないかな 完
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