3 / 31
第3話 すきのせいで
カタカタと奏でられていた音がふいに止まった。部屋には他に音がなかったせいで、手が止まったのがすぐにわかってしまう。僅かな静寂。その秀麗な眉を少しだけ顰めた桐生は、しかしすぐに仕事を再開する。
「ね、かいちょー、お昼いかない?」
そこへふいに掛けられた声に、桐生の体がビクリと揺れた。パソコンから上がった瞳がふわふわと揺れる金髪を捉え、彼にはわからないように小さく息を吐く。
「あー……俺はいいや。お前らだけで行っとけ」
「あら、いいの?」
「ああ。まだ腹減ってないし」
「んん、了解っ! じゃあお大事にねん」
桐生の答えにぱちん、と綺麗にウィンクをして出ていくチャラ男に、不覚にも顔が赤くなる。隠していたつもりだったけれど、あの男にはバレバレなわけだったようだ。学園一のチャラ男の名前は伊達ではない。
正直、舐めていたのだ。お世辞にも体が小さいわけではないし、それなりに鍛えてもいる。だから、まさか自分が動けなくなるわけがないと。そんなに柔な人間ではないと。
だから、どうせ腰の痛みなんて大したことないだろうと――実際に、経験してみるまでは。
あの日、初めて抱かれた日から、ほぼ毎日のように電話がかかってくるようになった。
他愛もない話をして、軽口を叩きあって、少しだけ仕事の話をして。まるで友人のように話をする。今まではずっと、用事がなければ言葉さえ交わさない犬猿の仲だった。あの頃からしてみれば、信じられないくらい大きな進歩。普通に話せるだなんて、驚くくらい急速に二人の仲は近づいた。
(だけど――……)
最後に必ず、誘われる。
いや、あれはもう、誘われるというものでもない。セックスするというのは大前提。だから、ただ場所と時間を伝えられるだけ。そうしていつも、そこでようやく思い出す。彼は、ヤりたいから電話をしてきているのだということに。
当然だった。なぜなら二人の関係は、セックスフレンドで。おまけにそうなろうと持ちかけたのは桐生自身。だけどそうでもしなければ、きっとまだ犬猿の仲だったのだ。今のように親しく話なんてできやしない。まして電話なんか、掛かってくるわけがない。
「あー……」
がくり、机に項垂れる。なんの気なしに出した自分の声に、不満が滲んでいるのに気がついた。
なにが不満だというのだ。これだけ話せるようになった。これだけ共にいる時間が増えた。それだけで、いいではないか。
元々こうなることを望んでいたのだ。これを望んで持ち掛けた話のはずだった。それなのにどうして、それだけでは満足できない? これではまだ不満だと、それ以上の関係を望んでしまう?
(体の関係がなければ、友達でさえ、ないのにな)
あの日から起こったことは、桐生にとっては良い変化ばかりだった。
なんの前触れもなくふらりと気紛れのように生徒会室に帰ってきた会計は、罪滅ぼしのように仕事を片づけ始めた。なにがあったわけではない。ただ、ふと我に返ったらしい。それから彼に誘われて食堂へと赴けば、たまたまそこで鉢合わせた書記と庶務も、よろよろとしていた桐生の様子に慌てたように戻ってきてくれた。
どうやら桐生がフラフラとしていたことで彼らは酷く罪悪感に駆られたようだった。しかし残念ながらそれは仕事過多による寝不足なわけではなく、慣れない行為に足腰が悲鳴を上げていただけなのだけれど。もちろんそんなことをわざわざ教えてやるわけもなく、今は二人とも、桐生のためにと働いてくれていた。
とはいえ、これだけ久谷と連絡をとって暇さえあればセックスしているのだ。彼らとは一日の大半を一緒にいるため、真実がバレるのも時間の問題ではあった。現に、すでに会計にはバレてしまっているのだから。
「ねみい……」
眠い。お腹が空いた。腰が痛い。心が寒い。
心が寒い、なんて。ふと頭を過った思いに、桐生はため息を吐いた。役員が戻ってきていて、片想い相手と情を交わすことができている。こんなにも、満たされている。それなのにもっと欲しくなるなんて、自分でも呆れるほどに欲深い。
とりあえず今の欲求で満たせるものを満たそうと、ゆるりと目を閉じる。ここのところ毎晩のように久谷に抱かれているし、そうでないときはこうしてどうにもならないことを考えてしまって眠れていない。せめて昼休みぐらい寝てもいいだろう。
セックスのあとも死んだように寝てしまうのだが、隣の久谷に無意識のうちに緊張でもしているのか、それでは十分な休息は得られていなかった。
「あの絶倫め……」
きっと専属契約なんてものをする前は、毎晩取っ替え引っ替えセフレ達とお楽しみだったのだろう。それが、相手が桐生一人となったのだから、抱き潰されているといってもいいこの状態も仕方のないことかもしれなかった。それを思うと、相手が自分だけになったというのは桐生にとっては喜ばしいことだった。それに、腹が立つことに、連日連戦のくせに処女だったはずのそこが傷ついていないくらいには、彼は上手いのだ。
と、思った瞬間、勝手にもぞりと腰が揺れた。さらにあれやこれやを思い出しそうになり、慌ててぶんぶんと頭を振る。
毎晩すっからかんになるまで出させられ続け、挙げ句、空イキなんてものも覚えさせられた。そうして逃げ出したくなるほど、嫌というほど性欲は解消しているはずなのに、こんなことでおっ勃てるだなんて最悪ではないか。盛りのついた中学生でもあるまいに。
「これじゃあ本気でビッチじゃねえか……」
口に出してしまってから、自分の言葉に自分で落ち込む。今までも散々噂されてはきたが、それはまったくの事実無根だったので別段気にはならなかった。しかし実際に自分に当てはまるかもしれない言葉だと思った瞬間、心の底から気持ち悪く感じる。
そう思いながらも、だけど、と桐生は頭の中の自分に反論していた。
だけど相手は不特定多数じゃない。相手は久谷限定だ。そこを譲る気は毛頭ないから。だから、初めても、それこそ男を好きになるなんて滅多にないだろうから、もしかしたら最後だって、彼かもしれないのだ。むしろそうであることを望んでいるわけで。
だからビッチというわけではなく、むしろそう、一途なのだ――と、そこまで考えて、それこそ本気で気持ちが悪いことに気がついた。
(う、わ、なんだ今の。なしなし。今のなし)
自分の思考に思い切り顔を顰めながら、桐生は慌てて今の記憶を脳内消去しようと、必死に仕事のことを考える。せっかく他の役員たちが戻ってきてくれたのだから、あとは副会長を取り戻しにいかなければならない。正直あの、日本語の通じない宇宙人と会うのだと考えるだけでげんなりするが、ここは仕方ない。近いうちに説得しにいくか、とわざわざ嫌いな人間まで思い出して気を反らそうとする。
――が、しかし。
「おい俺だ、入るぜ」
「はっ……?」
ダンダンという乱暴なノックから、間髪いれずに開いた扉。幸か不幸か、その行為と声でそれが誰かはすぐにわかる。そもそもここの扉は、一般生にとってはおいそれと開けるようなものではない。遠慮なしに開くような人間はごく数人に限られているのだから。
というわけで、もちろん入ってきたのは、ちょうど今、考えないように必死になっていた人物に間違いなかった。最近ずっとずっと、桐生の中で話題になっている男。よりにもよってこのタイミングか、と頭を抱えたくなる。
「あー? 桐生だけか?」
こつこつと近づいてくる靴音。目の前で立ち止まる音、少し覗くように落ちてくる影。
対する桐生はというと。
(やっちまった……!)
伏せてしまっていた顔を上げるタイミングを逃し、今更どうすればいいのかわからずにいた。ついさっきまで考えていた内容も内容だったため、一方的に気まずくどういう顔をしていいかわからない。だから桐生はとりあえず、寝たフリをすることにしたのだけれど。
バサリという音と顔に感じた風に、久谷が真横に書類を置いたのがわかった。今までは、委員長直々に持ってくることなどほとんどなかった。こうして彼が自らここに足を運ぶようになったのも、最近の変化の一つ。
「なんだこいつ、また役員にハブられてんのか?」
そんな、最近なぜかよく見かけると役員の間で専らの噂である久谷は、やってきていきなり、なんとまあ失礼なことを宣った。
そんなわけあるか、と思わず口が滑りそうになる。腰が痛くて昼食に行けていない。こうして一人で突っ伏しているのは、他でもない久谷のせいだった。それなのにハブられたなど、本当にムカつくコノヤロウ、と口には出さずに心のなかで悪態をつく。
「……ったく、こんな鍵かかってないところで寝やがって。仕事増やす気かこいつは」
そう沸々と煮えているところに、何気なく、ぽつり、落とされた呟き。それに驚いて、思わず目を開けそうになる。
心配とも捉えられる言葉が、彼の口から自分に対して出るなど予想外すぎて。風紀委員として言っているのはわかっているけれど、それでも。ただでさえ驚いていたというのに、続けて久谷の口から出た言葉は、桐生をパニックにさせるには充分で。
「ふーん……寝顔は案外幼いんだな」
「……」
「あ、そうか。あの目が見えないからか?」
「――っ」
前髪に触れられる感覚。今まで聞いたことのない優しい声音。信じられない言葉。
心拍数が一気に上がり、体温も急激に上がるのがわかった。しかしいくら天下の生徒会長であろうとも、人体の反応をコントロールすることなどできなくて。
こんなの、気づかれないわけがなかった。しかしだからといって、今更顔を上げたところでどうせ顔は真っ赤なのだ。嬉々としてなにか言ってくるに違いない。にっちもさっちもいかずに内心呻いていると、ちゅ、と額に感じる柔らかい感触がした。
瞬間、真っ白になる思考。
「――……ッ」
「くく、耳まで真っ赤だぜ。どうかしたか?」
「なっ……!」
言葉を頭が理解した瞬間、桐生は反射的にガンッと音をたてて立ち上がっていた。
目の前にはニヤつく美形。ぐあっと更に熱が昂るのがわかって、咄嗟に手の甲で顔を覆った。
「信っじらんねえ! 気づいてたんなら言えよくそやろう!」
「はっ、てめえがアホみたいに狸寝入りしてたんだろ。からかいたくもなるってんだ」
「てっめえふざけんのも大概に……っ!」
瞬間、引っ張られる手首とネクタイ。
間にある机につんのめり、バランスを崩して咄嗟に開いている手で久谷のシャツにしがみつく。文句を言おうとした口は、しかし喰らいつくように覆ってきた唇に塞がれた。
「っん、ふ……!」
すぐにぬるりと侵入してきた舌に、桐生の舌はあっという間に絡めとられる。撫でられ、吸われ、容赦なく口内を刺激されて、体は跳ね、思考は白んだ。送り込まれた唾液が飲み込みきれずにとろりと口の端から溢れ落ちる。
(――あ、だめだ。これだめだ)
口内を蹂躙されると、すぐに頭が回らなくなる。熱に浮かされてなにも考えられなくなってしまう。いつもそうだった。そうとわかっていて、この男は執拗に口内を舐るのだ。無意識に、シャツを握る手に力が籠った。
「ふっ……は、ぁ……」
「チッ、邪魔だ」
「んぁ……?」
舌打ちと共に唐突に体が離れ、支えを失った桐生は思わず机に両手をつく。置かれていた書類がぐしゃりと音をたてた。
「よっと」
「っちょ、やめろてめえ何しやがる!」
「そりゃ何ってナニだろ」
「昼間っから盛ってんなこのケダモノめ! っく……!」
「うっせえよ。盛ってんのはてめえだろ桐生」
余韻に頭が呆としているうちに、気づけば机を迂回していた久谷に腕を一纏めに掴まれて、後ろの窓へと押さえつけられていた。キスだけで半勃ちになっていたモノをスラックスの上から握られて、喉の奥が震える。カチャカチャとベルトを外そうとする片手。片方だけだというのに器用なその手は、拘束を解く前にあっという間に寛げてしまう。
ヤり慣れ過ぎだろうという嘆きは、悲鳴の中に隠れていった。
「やめろこんな所で! 誰かに見られたらどうするつもりだ……!」
「あ? 構わないんじゃねえの。相手絞ってる分、印象いいらしいし」
「てっめえ、なっ、ん……!」
「はっ、諦めろ、ケダモノなのはお前も同じだ」
「ちょ、ぁ! それやめ、ひっ……!」
先端をぐちゅぐちゅと弄られると、いきなりの直接的な強い刺激に口から矯声が溢れ、堪らず膝ががくがくと笑った。先端を弄られながら再び口づけられる。そうされてしまえば、押さえられていた手が解放されたところで抵抗などできるわけもなく、目の前の男にしがみつくことしかできない。
「んん、っふ、ちょ、まっ! っ、や……!」
「ん? もう限界か?」
「やめろ! イっちまうから……! ちょ、ぁ、やめっ」
「ほんとお前キス弱えなあ」
いつの間にかネクタイもボタンも外されていたシャツの中、侵入してきたら片手に乳首を摘ままれる。先端ばかり弄られて先走りでどろどろになったモノを、射精を促すようにしごかれる。くつくつと愉快そうに笑う声と熱い息が耳に近くて、頭の芯がジンと痺れた。それと同時に、ぐちゅりと侵入してきた舌が耳まで犯しにかかる。
「ちょっ、ひ、や、ぁ……!」
濡れた音が脳内を満たし、その卑猥さに桐生は短い喘ぎを漏らす。ねっとりと耳を犯した舌は、抜き出されると同時に軽いリップ音を落とした。
「おら、イけよ」
「――ッ!」
歯を食い縛る。走り抜ける快感。跳ねる体。引き攣る喉。
荒い息を吐きながら、握り締めていたシャツからずるり手が落ちる。伏せていた目を上げると、久谷は白濁の付いた自分の手を少し舐めていて。桐生の視線に気づき、彼はニヤッと笑ってみせた。
「なんだ、んなによかったか?」
「はあっ……ん、まあそうだな、悪くはなかったぜ」
「へえ? じゃあどうする? ここでコレ使ってヤるか、仮眠室でローション使ってヤるか」
掌を見せつけながら、「俺はどっちでもいいけど、お前は恥ずかしいんだっけ」とニヤつく顔に腹が立つ。このままやられてばかりでは癪で、仕返しとばかりに今度は自分からネクタイを引っ張ってキスを仕掛けた。驚きつつ応えてくる舌を絡めとっていく。久谷の両手が囲い込むように窓につかれた。
ゆっくり離れた二人の間を、つ、と銀糸が繋ぐ。久谷の視線がその糸を辿って自分へと辿り着く。見せつけるように唾液で濡れた唇を手の甲で拭うと、桐生は口角をつり上げた。
「自信満々なとこ悪いが、てめえのテクじゃローション使わないと痛えんだよ」
「てっめえ」
「昼休み、あと三十分もないぜ? その粗チン突っ込む前にしっかり解してちゃんとイかせてみやがれ」
ここ数日でこの先の快感を散々教え込まれた体は、火が点いたらもうこれだけでは収まらないのはわかっている。そして、久谷の性欲が底を知らないのも。お互いに、まだまだ足りるわけがないのだ。
(それにお前は、ここで俺が断ったら、他の奴のところへ行くんだろう?)
だから桐生は、これを断るわけにはいかない。どうせヤるのだ。どうせ昼休みなど関係なくなるのだ。だったらこんな、いつ誰が帰ってくるかわからない場所では遠慮申し上げたい。
挑発するように膝でスラックスを押し上げる。すっかり勃ち上がっているモノをごりごりと刺激してやれば、ギラリ、濡れた光を瞳に灯した久谷が獰猛に笑った。
「上等じゃねえの……天国見せてやるから覚悟しやがれ」
「はっ……できるもんならな」
自分に欲情しきった男の顔を眺めながら、乾いた唇を舐めて潤す。笑いながら応えた自分の声は、濡れて欲情しきったものだった。
第3話 すきのせいで 完
ともだちにシェアしよう!