5 / 31
第5話 すきがすべて -1
カチャカチャとキーボードを叩く音だけが響く生徒会室。ついこの間までならば、この時間もきっともっと賑やかだった。
つい先日までは、少しずつ役員が帰ってきてくれて賑やかになっていく一方だったのだ。会計に書記、庶務、そしてついには副会長まで戻ってきて。しかしそれを突き離したのは自分だった。
彼らが離れるだろうとわかっていて、それでも愚行をやめはしなかった。自分にとって、それは愚行などではなかったから。せっかく戻ってきてくれた彼らには悪いとは思いつつも、他の役員が早々に帰ってしまうのには、もう慣れてしまっていた。
「っし、帰るか……」
本日のノルマを終え、のんびりと立ち上がる。今日も例に漏れず他の役員はもう先に終わらせ、待つ素振りも見せずに先に帰っていった。だから、今生徒会室にいるのは桐生一人だった。
今までは噂だけだったはずなのに、彼らが生徒会を少し離れていた間に、会長があからさまにセフレと連絡を取るようになっていた。そのことに、他の役員、特に副会長が酷くお冠だった。会計だけは嫌悪感を抱いたりはしていないようだったが、「会長がいいなら俺もいいじゃん」と調子にのって、桐生の好感度の降下に一役買ってくれていた。まったくありがたい。
当然のことといえば、当然だった。そもそも今までは、本当に噂だけで実際にセフレなどいなかったのだから。だから、連絡をとっているところを見られなくて当然なのだ。しかしそれが今は、桐生の着信履歴は遠慮せずに電話を掛けてくる男の名前でいっぱい。毎日のように仕事中もなにも関係なく掛けてくるものだから、役員にバレないわけもなく、当然の如く印象は最悪。その場で律儀に毎回電話をとって見せつけるように駆け引きし、最終的に承諾する桐生も悪いのだけれど。
副会長たちは、今までは親衛隊だったために桐生の気分次第で持ち掛けていたのが、今は相手が久谷になったせいであちらからも掛かるようになったらしい、と都合よく解釈してくれているようだった。確かに天下の生徒会長様に自ら持ち掛けるなど、風紀委員長ぐらいしかできないのは事実だけれど、よくそんなこと思いついたなと感心してしまったのは秘密だ。
カバンに荷物をしまいつつ、着信を確認する。本日、履歴はなし。あれからほとんど欠けた日はないくらいには、連日抱かれ続けていた。しかし今日はどうやらヤらないらしい。珍しい日もあるものだ。スマホを片手に持ちながら、桐生はぐうっと背伸びをした。
確かどこかの親衛隊がやらかしたとか副会長が言っているのを聞いた気がした。つまり、風紀委員はみなその後処理に追われているわけだ。いつも散々自分のことを抱き潰して偉そうに上から見下ろしてくる男の忙しそうな姿を想像し、笑ってやった。
最近はもう、セフレだということを不満に思うのはやめた。
この間、久谷のファンクラブとたまたま会ったときに思い知ったのだ。自分は彼と、なにも変わらないことを。セフレでいいと思っておきながら、その先を期待してしまう。独占欲など欠片もないように装いながら、久谷が自分だけのものにならないかと願ってしまう。
きっと、彼もほんの少しだけ勘違いをしていたのだ。ファンクラブの中で、自分が一番久谷の側にいた時間が長いのだと。少しだけ、周りよりも優遇されていたのだと。
だけどそれは、あくまでセフレの中だけの話で。自分がその域から出ていないのに気づけなかった。いや、気づこうとしなかった。
――きっと自分も、彼と一緒だ。
他のセフレを切って、自分だけに絞ってくれている。それは自分から持ち掛けた話なのに、うっかりそれを忘れて勘違いしてしまいそうになる。自分だけを選んでくれたのだと、自分に都合のいいように考えてしまいそうになる。だから今、諦めておかないと。期待することをやめないと。それでもしておかなければ、いつか捨てられたときに、自分が雨宮のようなストーカー紛いのことをしないとは言い切れない。
雨宮は、遠くない未来における自分の姿かもしれなかった。セフレだと割り切っていたつもりで、いざ切られたらなにをするかわからない。そんな無様な真似、するわけには絶対にいかない。それでも、そうとわかっていても、自分でもなにをするかわからない自分が怖かった。
なんて、そんなことを真面目に考え思い込もうとしている時点で手遅れなのかもしれないけれど。それでも結局は足掻く自分が想像できて、くつくつと喉の奥で笑いながら扉を開けた。
今日は久々にゆっくり眠れるのだ。ならば早く帰らない手はない。部屋に帰ったらなにをしようか。そんなことを考えつつ、足取り軽く部屋の外へと踏み出そうとした桐生は――しかし、そこで待ち伏せていた人物に、ぴたりと足を止めた。
「ああ会長様、お待ちしておりましたよ。おや、今日はお一人ですか?」
こちらに向けてあどけない表情で笑うのは、桐生がつい今まで考えていた人物。どこか白々しい言葉選びをする雨宮は、先日久谷と共に会ったときの印象とはまったく別の人物のようで。
しかし桐生にとって重要なのは、そんなことではない。桐生の目は、彼を待っていたもう一人の人物に釘付けだった。
「お久しぶりです、桐生様」
「に、しな……」
「ええ。お元気そうでなによりです」
雨宮の隣で、嫋やかに笑むその人物。
それは他でもない、桐生侑紀生徒会長親衛隊の、隊長殿だった。
ともだちにシェアしよう!