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第5話 すきがすべて -2

「それで? 俺になんの用だ」  断れる雰囲気ではないまま、連れてこられた空き教室。教室とは名ばかりで、昔実際に使われていた頃の面影はどこへやら、本来そこにあるべき机も椅子もなく、なぜか勉学の場には不必要なベッドが置いてあるそこは、通称〝ヤり部屋〟であった。  なぜ学校という教育の場にそんなものがあるのか甚だ疑問だが、それはここだけでなく、この学園の各所に存在した。この学園に外の常識など通用しないのだ。ただしここはあまりにも生徒会室に近いため、そのせいで使用されることは滅多にないらしいと会計が言っていたのを聞いたことがあった。そういった類の情報に関して、会計の右に出る者はいない。  雨宮に二人で遭遇してしまってから数日。すぐに自分に、自分にだけ接触があるだろうと思っていた桐生からしてみれば不気味なほどに、なにもなかった。  彼はどう好意的に見積もったところで、そう簡単に引き下がるタイプではない。あんな煽るような追い払い方をしたら、尚のこと。  そしてその矛先が久谷に向くことは、絶対にないことはわかっていた。もしも接触があるとしても、自分の方であると。だから、ずっと構えていたのだけれど。  しかし拍子抜けするほどに、なにが起こる気配もない日常が過ぎていって。ここまでなにもないならば、案外こちらの方も大丈夫か。そう思い始めた矢先だった。やはりそうは簡単にいってくれないらしい。  むしろ雨宮は大人しく引き下がっていたわけではなく、冷静に作戦を練っていた、と。よりにもよって、仲のよろしくないはずの親衛隊長とつるむなんて、さすがに予想外だった。なんとも厄介な奴を連れてきてくれたものだ。 「私たちがお会いしにきた意味などおわかりでしょう?」 「……わかんねえって、言ったら?」 「いいえ。おわかりのはずです」  涼やかな目を細めてふわりと笑う隊長、仁科(にしな)に、ひくりと頬が引き攣った。さすがは学園最大規模の親衛隊を率いる隊長。そこのファンクラブのトップとは役者が違う。  わかっていた。隊長殿は怒っているのだ。なぜなら彼は、誰よりもよく知っていたから――桐生に、セフレなど一人もいなかったことを。  ヤリチンだビッチだと散々な噂を立てられていたのを止めずに、否定しないでくれと頼んだのは他でもない桐生だった。その勝手な我儘で、セフレ集団だと見られ蔑まれるのを否定もできずに耐えているしかなかった彼ら。ただ、桐生のことを好きでいてくれているというだけで、見返りはなにもなく、けれどその誠実さを信じ、理不尽な蔑みに耐え続けていてくれた。  その報酬が、これだ。気づけば桐生は久谷というヤリチンのセフレに成り下がっていて。さらにそれが学園に広まれば、彼らは桐生に切られた捨てられたと嗤われることとなる。  彼らには申し訳ないことをしている自覚はあった。  いつかは事情を話して謝らなけば、と思っていた。しかしまさか、こんな最悪な形でバレることになろうとは、思ってもいなかったのに。 「あなたが、久谷様のパートナーになったって話をしてみたんですよ。そしたら、面白いことを聞いてしまって。あなたは……」 「桐生様、私は貴方の口から直接聞きたい。貴方は本当に、久谷風紀委員長のセフレになられたのですか?」  意気揚々と語ろうとする雨宮を押し退けて、仁科が桐生を真っ直ぐに見る。  ずっと信じてくれていた。その誠実な思いを、自分は裏切ってしまった。真剣な瞳に見つめられて、桐生は俯くことしかできなかった。 「……悪い」  ぽつり、と呟いた声が部屋に吸い込まれていく。続けて「だけど」とみっともなく弁解しようとして上げた視界に、切なげに目を細める顔が映って言葉が詰まった。 「そう、ですか。本当なのですね……」 「……仁科、俺は」 「申し訳ありません、桐生様……この方に話を持ちかけられた時、そんなわけがないと否定しようとして話してしまったのです。我々と貴方が、本当はどういう関係なのかということを」  悲しげにこちらを見つめる麗人が、諦めたように笑った。その姿は儚げな見た目も手伝って、酷く切なげで。近づいてきた彼の手が宝物に触れるようにそっと頬を滑る。その手から逃げることはできなかった。 「そして――貴方が、あの方のことをどう思っていらっしゃるのかを」 「え……」 「なにを驚いてらっしゃるんです。貴方をお慕いし、ずっと見守ってきたのですよ。貴方の気持ちが誰へと向かっているのか、私にわからないわけがないでしょう?」  セフレがいるという噂をなぜ否定しようともしないのか。その理由を仁科に話したことはなかった。まして、久谷への恋情など、誰にも話したことはない。  それなのに、まさか、ばれていたなんて。つまりこの男は、遊んでいるように見えるよう装う理由を知りながら、協力してくれていたというのか。  どうして仁科がどこか悔しそうな表情をしているのか。そしてその隣で、どうして雨宮があんなにも勝ち誇った顔をしているのか。  ここでやっと、全貌が見えてきた気がして。僅かに眉を寄せた桐生は、小さく拳を握った。 「ねえ会長様、困りましたねえ? 僕は知っちゃったんですよ、そのことを」 「……っ」 「もちろんご存知ですよね、久谷様のポリシー。そのためにご自分の親衛隊を利用してたくらいだから、そりゃあ知ってるか」  ニヤニヤと、愉快でたまらないというように笑う雨宮を睨みつける。  わかっていた。自分が悪いのはわかっているのだ。それでもこいつに責められる覚えはなかった。結局こうして久谷に執着しているお前も、同じではないのか。なにが違う。 (……――いや、違うか)  すっと冷める思考。熱くなりかけた頭が、冷静になれと言ってくる。  もう一回捨てられている彼と、いまだに久谷の隣にいる自分とでは、まったく違った。雨宮はもうなんだってできる。失うものなどないのだから。対する桐生は、あまりにも大切な物を持ってしまっていた。 「このことを僕がうーっかり久谷様に話しちゃわないためにも、大人しくしててくださいね、会長様」  そう言われてしまえば、桐生にはもう、どうしようもなくて。  体だけの関係だが、それでも。それでも桐生にとって、久谷に捨てられるということは、どうしようもなく怖いから。 「……申し訳ありません、桐生様。だけど、我々のような者につけいられる隙など、貴方は決して見せてはならないのですよ。こんなにも狂おしく貴方を欲しているような人間は、その隙を見逃しなど、しませんから」  逃げ場も反論の余地もない状況。それは、嘘に嘘を重ねた自分自身が招いた結果。桐生は、静かに唇を噛み締めた。 *** 「ああ、桐生様……夢のようです、貴方とこんなことができるなんて」 「っは……あ、くそっ」  悦に入った声で喋りかけ、にこりと笑いかけてくる嘘のように美しい顔。  ギリッと歯を悔い縛りながら足の間にいる男を睨みつけると、黒く美しい瞳はゆるりと弧を描いて股間へと戻る。仁科はペロリと自らの唇を潤すと、おもむろに目の前のモノを口内へと含んだ。 「ッ!」 「ん、む、んんっんぅ」 「うぁ、やめ、やめろっ、くそ、くぁ……!」  ねっとりと絡んでくる舌。生暖かくぬめり、柔らかい口内に包まれて、体が勝手にびくびくと跳ねた。おかしな声が出そうな口を手の甲で押さえつけ、必死に声を押し殺す。  嫌だ、最悪だ、嫌なのに。  反応する体が。溢れる声が。  自分のものであるはずなのに言うことを聞かない体が、どうしようもなく、憎い。 「っく、ふっ……」 「んむっ……ふふっ、そんなに我慢なさらずともよいのですよ」 「くそっ、黙れ……!」 「そう強がらないでください」  ふわり、笑った顔は酷く綺麗なのに、過剰に潤った唇が卑猥さを演出する。その倒錯的な光景に頭がグラグラとした。  ゆるりと起き上がってきた線の細い体が、桐生の体へと重なった。しなだれかかってくるのは向こうなのに、けれど確かにその細い指が後孔の周りを戯れのように触れる。それにぎくりと体を強張らせると、反応を少しも見逃さないとでもいうように見つめていた顔が、少し切なそうに笑った。 「申し訳ありません、桐生様。貴方が片想いならば、それは全力で応援する所存でした……けれど貴方が、一方的に誰かのセフレであるなんて、許せない」 「ッ、や、いれんな……!」 「……なんて言うのは、建前、ですかね。やはり私は、堕ちてきた貴方を逃がしてあげられるほど、できた人間ではなかった……!」 「――ッ!」  ずんっと一気に指を二本挿し入れられ、がくんと体が痙攣する。桐生の先走りで濡れていたのであろう指がぐりっと中を掻き回すと、背中が不自然に戦慄いた。  久谷以外に触られているのに。彼以外に触られても、気持ち悪くしかないのに。鳥肌がたつほど気持ち悪いと脳は受け取っているというのに。  それなのに体だけが――どうしようもなく、俺を、裏切る。 「ああ……貴方はこんな痛みでも感じてしまうような体になってしまったのですね」 「黙れっつって……!」 「これが、我々が大切にお守りしてきた体……」 「っもち、わりぃんだよ!」  ぐちぐちと、丁寧すぎるほど丁寧に解されていく。奉仕するように指を動かしながら、うっとりと目を瞑って体に寄り添ってくる男に、嫌悪の言葉を吐きかける。するとふっと持ち上がった瞼の下から現れた瞳が桐生を見上げ、そしてなぜか、憐れむように緩んだ。 「そんなお顔をなさらないでください……」 「は、なに、言って、」 「貴方は罪悪感に駆られる必要などないのです。確かに貴方は我々を利用したけれど……私は今、それを差し引いても貴方に嫌悪されて仕方のないことをしている」 「……っ! っひ、や、いああっ……!」  いったいどんな顔をしていたというのか――桐生が思わず目を見張った瞬間に襲ってきた強烈な快感。下半身から全身へと駆け回る甘過ぎる刺激に、堪える間もなくあられもない声が溢れた。 「ああ、ココですね」 「やだ、やめろっ、そこ、あ、ひっ」 「快感に身を任せた方が楽ですよ……大丈夫です、気持ちよくなれますよ、彼じゃなくとも」 「……っ!」  ――彼じゃ、なくとも。  わかっている。わかっているのだ。あの男は、桐生ではなくたって、誰だって大丈夫であること。今頃きっと、雨宮とヤっているのだろうこと。この想いが、すべて独り善がりなのだということ。  だけど、それでも俺は。  俺の方はお前だけだと、思っていた、のに。 「――……っ」 「ああ、泣かないでください、桐生様」 「っく、そ……」 「大丈夫です……このまますべて、今はただ、流されていてください」  女性のように綺麗な手が、愛おしげに頬を撫でる。優しく涙を拭うその感触が、認めたくないほどに心地好くて、涙が溢れて止まらなかった。  この手に咽び、泣き、受け入れようとする自分の体が、ただただ、憎くて。  俺だけのお前など、求めない。そうならないことなど、とうにわかっていたから。  だけど、せめて俺は。  俺だけは――お前だけの俺で、いたかったんだ。 第5話 すきがすべて(おれのすべて)

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