7 / 31
第6話 きらいであれば -1
尋問を始めてからかれこれ数時間。頓珍漢な回答のせいで一向に進まない内容に、イライラと机を叩いていた久谷の指がついに止まった。根気よく質問を続けながらも長の空気にビクついていた委員たちが、怯えた目を彼に向ける。その期待に応えるかのように、久谷は目の前の机に足を掛けた。
「ひっ……!」
苛立ちに任せ、ガシャアンと派手に音を響かせて机を蹴り上げた。その机についていた全員が大きくびくりと肩を跳ねさせたが、そんなこと気にせずに立ち上がる。尋問相手の親衛隊員は、その目に涙さえうっすらと浮かべていた。
いい加減、我慢の限界だった。彼らの宗教話を聞くためにこんな時間まで残っているわけではないのだ。尋問にもならない尋問をしている間中、ずっとなんとか様のためだなんだと本気で言っているのだから、始末に負えなかった。端から自分の正義以外認めるつもりのない彼らには、そう簡単に言葉が通じるわけがないのだ。
目に涙を浮かべながら、なんで怒っているのかわかりませんとでも言いたげにびくびくとこちらを窺う様子にさらに苛立ちが募り、大袈裟に舌打ちをして不快感を示した。そんな中、空気を読まずに口を開いたのは、容疑者ではなく部下の一人。
「委員長、みっともないですからやめてください」
「ああ……? てめえ今なんつった?」
「癇癪起こした子供みたいにイライライライラ……これは貴方の仕事ですよ」
「わあってら! だからまだここにいるんだろうが! これ以上イラつかせんな!」
生意気にも長に意見する樋口を怒鳴りつける。その怒気に周りから引き攣った声が漏れるが、当の本人は面倒くさそうに「はいはいすみませんね」と両手を上げて降参のポーズをとるだけで。殺気さえ込めて睨みつけるも、反省の色はまったく見られない。それに周りがまた、すげえ勇者だ……! とでもいうような目で樋口を見るものだから、余計に腹立たしく感じた。
こんな、苛立ちだけが募るばかりの無駄な時間、とっととお開きにすべきだった。これさえ終了させてしまえばもう自由の身。そしたらすぐにでも桐生のところに行って、この溜まりに溜まったストレスを解消したい。時間が時間のため今から行ったところで断られるかもしれないが、その時はその時だ。最悪セックスはしなくたって構わない。一緒に眠るだけでも違う気がした。
そうと決まれば話は早い。久谷はツカツカとチワワのような二人組の前まで移動すると、慄く二人の目の前の机に、ガンと勢いよく両手をついて乗り出した。
「いいか、てめえらの話を聞いてたって、さっきからこれっぽっちも埒が明かねえ。すぐ終わるだろうと高を括ってりゃこの様だ。今何時だ? ほら見やがれ、本来はこんな時間までてめえらをここに引き止めてちゃこっちがマズいんだよ!」
「ひっごめんなさ」
「うるせえ喋んな。今日はこれで逃がしてやるが、明日は絶対逃がさねえからな。つうかてめえらはもっと日本語を喋る努力しろ。俺はてめえらのルールを聞きたいんじゃねえんだ。事件の経緯と動機、それだけが知りたい。それ以外には興味もねえ。てめえらの宗教話はもう結構だ! ……明日も手間取らせやがったら絶対に許さねえからな。個人的に末代まで呪ってやる」
「ご、ごめ、ごめんな」
「それがわかったらとっとと帰れ! 明日までに原稿でも用意しておくんだな! それまでは、とりあえず、俺の前に現れんな!」
言いたいことを怒鳴りつけて、有無を言わさず部屋の外へと締め出してやる。二人を蹴り出したあと、扉も足で蹴り上げて閉めてやった。そのまま部下たちにも撤収を告げれば、触らぬ神に祟りなし、と彼らは蜘蛛の子を散らすように帰っていった。
彼らに倣って自分もとっとと帰ろうと、乱暴に物をカバンへと投げ込む。桐生には悪いけれど、今日は手加減してやれそうになかった。きっと今誰かに見られたら、相当酷い顔をしてそうだと苦く笑う。
なにをそんなに焦っているのかと、自分でもよくわからない焦燥感。内心笑いつつ顔を上げれば、まだ一人残っていた樋口がこちらを見つめて立っていた。もの言いたげな視線が突き刺さる。
「……委員長、本当に禁断症状みたいですよ」
「は?」
「なんですか、セックス中毒ですか?」
「はあ?」
彼の言いたいことがさっぱり理解できず、眉を寄せる。セックス中毒? 誰がだって?
怪訝な表情で見返せば、真剣な顔をしている樋口がなぜかおもむろにスマホを取り出した。見覚えのあるそれは、久谷の元セフレ専用機。確かあの時、思いっきり壁に叩きつけられていたはずだから、まだ生きていることに驚きだった。なぜ今そんなものを差し出されているのか、意味はわからないけれど。
「そんなに会長にヤらせてもらえなくてストレス溜まるんならもう他のセフレでいいじゃないですか。イライラされるとこっちが迷惑なんですよ」
「お前さっきからなに言ってんだ?」
「えっ、だから、そんなにヤりたいならヤればいいじゃないですかって。毎日のようにこれにも電話かかってきてますし需要なら山ほどありますよ。そうすれば委員長のイライラも抑えられるでしょ?」
「いや別に……つかセックス中毒なんかじゃねえよアホ」
いまいち噛み合わない会話。どうも変だとお互いに首を傾げる。しかしセックス中毒だなんて、よくもそんなフレーズを思いついたものだ。人聞きの悪い。
確かに今は桐生のところに行けないことに酷くイライラしているが、だからと言って他の誰かとヤればこのイライラが解消されるというわけでもなかった。だからこそ、未だに電話がかかってくると聞いたところで欠片も嬉しくないのだ。桐生とのセックスを知ってしまった今、他の人間とヤりたいとは思えないから。
「えっ本当にセックス中毒じゃないんですか?」
「お前こそ本気で言ってんのか? 誰でも彼でもヤりたいわけじゃねえ」
「ヤりたいんじゃないならなんでイライラしてるんです? どうすればイライラしないんですか」
「は? そりゃお前、それは――……」
それは――それは、なんでだ。
誰彼構わずヤりたいわけではなかった。彼と、桐生と、ヤりたい。そう、ヤりたいのだ。いや、本当にそうだろうか。ついさっき添い寝でも良いと思ったのではなかったか。ふいに湧いてきた予想外の疑問に、久谷はぱちりと瞬いた。
自分で言っておきながら、思考がまとまらずに答えに窮する。ヤりたいだけのはずだ。なぜなら、それがセフレだから。自分たちはそういう関係のはずだから。
しかしそこにはどうしても少しだけ引っ掛かりがあって、それがどうにも久谷をモヤモヤとさせた。
「……あの、委員長。えっと、その、それって……」
「ん? なんだよ?」
言葉がでない自分に戸惑う久谷と同じくらい、目の前の樋口も戸惑っているのがわかる。考えるときの癖で口元に手を持っていこうとした久谷に、彼は恐る恐る口を開いた。
「え、わからないんですか? え、じゃあ、えっと……その、こんなこと俺が言っていいのかわかんないんですけど、そこまで悩むんなら……委員長、あんたもしかして……」
言いにくそうにまとまりのない言葉を紡ぐ唇。戸惑いながら、もう少しで吐き出せる……そんな様子で思いきってなにかを口にしようとした樋口。しかしその言葉を妨害するように、ちょうどそこで、ノックの音がした。
コンコン、と部屋に響く無機質な音。ぷつりと途切れる会話。
一瞬気まずそうにこちらを見たあと、彼は諦めたように脱力して扉を開けに向かった。あたかもお前が悪いといっているような態度に、久谷はその後ろ姿に向かって不満げに眉を上げた。
「はい、どうしました? 緊急のご用ですか」
「あの、えっと、久谷様はいらっしゃいますか?」
「え、君は……」
僅かに聞こえる会話。他人の声を聞いた瞬間、さっき一瞬だけピンと張っていた緊張の糸が見事に切れて、時間差で久谷もため息を吐きながら自分の席へと戻った。なるほど、彼もこの脱力感を感じたのなら、ため息を吐きたくなるのも頷ける。
いい加減帰ろうと、今度こそカバンを持つ。すると戻ってきた樋口はさっきよりもさらに微妙な表情をしてこちらを見ていて。言葉を探しあぐねているらしい男に向かって「なんだよ」と眉を潜めれば、彼は悩みながらもセフレ専用機のスマホを手に押し付けてきた。
「……これ、一応返しておきます。いらないでしょうけど」
「お前にやったつもりだったんだが」
「それこそいりませんよ。こんなのもらっても対処に困るんで、自分で処分してください。その方が株も上がるでしょうし」
「は? 株? 誰のだよ」
言っている意味がわからずそう言うと、あからさまに憐れむような目で見つめられた。
その目にムッとして口を開こうとしたところで、彼の後ろに一人、小さい誰かが立っているのに気づく。さっきのノックの来客か。なぜかわざわざ中まで招き入れていることに眉を潜めつつ、ひとまず文句を言おうとしていた口を噤んだ。
「おい、そいつは?」
「ああ、彼は委員長に急用だそうで。こんな時間なので中に入ってもらいました……なんでも、委員長にしか話せない内容らしいです」
「俺にしかあ?」
「ええ。俺はよくないと思いますけどね、こういうの」
なぜか途端に不機嫌になった樋口。ぼそぼそとぶっきらぼうに告げる彼の後ろから、ついに我慢できなくなったらしい生徒が飛び出してきた。
「く、久谷様あ……っ!」
「お前……また来たのか」
ついこの間見たばかりのその顔に、久谷は思わず顔を顰めていた。遠慮せずにうんざりした声を出せば、たちまち無駄に大きな瞳の水分量が増す。そんな雨宮の様子を見下ろしながら、久谷はその涙を拭う気にも慰める気にもなれなかった。
そんなにうるうるとされても困るのだ。同情など湧くわけがない。いったいなんのつもりなのかと問いたいくらいで。この間、桐生に心配されるほどこっぴどくセフレ切り宣言をしているのだから、無下にされることくらい予想できていたろうに、そんなことも予想できずに歓迎されるとでも思っていたのなら、余程おめでたい頭をしているようだ。
ああ、それとも泣き落としが利くとでも思ったのだろうか。だとしたら残念なことに、元々が小動物のような顔でされたところで、久谷にとっては嬉しくもなんともなかった。
ふと、頭を黒曜石のような瞳が過った。もしもあの綺麗な切れ長の目にうっすらと涙を溜めて、悔しそうに頼まれたとしたら。そんなのなんでもしてやりたくなるに決まっていた。いや、寧ろもっと虐めたくなるか。
一瞬その画を想像しそうになり、慌てて脳内からそれをかき消した。こんなところで想像だけで勃ってしまったら洒落にならない。恥ずかしいにもほどがあった。
「今度はなんの用だ? セフレなら間に合ってるって言ったはずだが?」
「あ、その……あまり、この人がいる前では……」
「……」
「は? なんでっすか」
「その方が、桐生様のためにもなるかと……」
「あいつの?」
邪魔者扱いされた樋口から漂ってくる不穏な空気。いつもなら久谷のセフレ関係にわざわざ口を出そうとはしない、というよりも寧ろ、可能な限り避けて通ろうとするくせに、なぜか彼は今日に限って、暗に邪魔だと言われてもいなくなろうとしない。
しかしこのままだと話が聞けないらしい。いつもならまともに聞きもしないところだが、桐生が関わっているとなると別だった。
仕方なく久谷が「先に帰ってろ」と言うと、樋口はムスッとした顔で自分の上司を数秒見つめたあと、もう一度大きなため息を吐いた。しかし彼はそれ以上抵抗せずに、「わかりましたよ」と不機嫌そうに言う。どうやら大人しくカバンを持って、外に出ることにしてくれたようだった。
「委員長、自分の気持ちに素直になってくださいね。有り得ないことなんて、ないんですから」
「え?」
「……なんでもないです。それじゃ、お疲れさまでした」
言いたいことだけ言って、彼はバタンという大きな音と共に部屋からいなくなった。捨て台詞のように最後に残された忠告。彼がいったいなにを言いたかったのかわからず頭のなかで考えながら、久谷は残った一人と再び向き合った。樋口が出ていった今、風紀委員室にはもう自分と彼しかいない。望み通りの二人きり。
ともだちにシェアしよう!