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第7話 すきで、すきで

「あ――……なあ、もうやめようぜ」  そう、機械に向かって音にした声は、震えてはいなかっただろうか。  無理矢理耳から引き剥がした画面に指をスライドさせ、四角い板を無造作にベッドへと放り投げる。厄介な機械だった。今までだったら閉じればすんだところを、わざわざ自分で操作しなくては通話を切れないだなんて、本当に。  最後の最後に聞こえてしまった声が、この名前を呼ぶ彼の声が、耳にこびりついて離れない。焦ったようなあの声が脳内で何度も繰り返し再生されて、体が勝手に高ぶりそうで、涙が出そうで、ぎゅっと体を縮こめた。 「……いい子ですね、桐生様」  久谷の声でいっぱいだった耳に、無遠慮に押し入ってくる耳障りな声。いい加減聞き飽きたその声は酷く桐生を苛立たせたが、反応したところできっとなにも変わらない。殴れるものなら殴ってやりたいが、しかしどうすることもできないので無視を決め込んで目を閉じた。  お前のせいで、お前らのせいで。  俺は――……あいつ、は。  言ってやりたい言葉は口から外には出せない。弱みを握られた自分の愚かさが情けなくて、腹立たしくて、悔やんでも悔やみきれなかった。しかし結局はどこにも吐き出すことはできない苛立ち。自分を殴ることもできず、シーツをぎゅっと握り締めることで無理矢理誤魔化す。きっと、なにもしないよりはましなはずだった。 「完璧でした、さすがですね」 「……」 「久谷様のご様子はいかがでしたか?」  背中にひたりとくっついてくる低い体温。白く華奢な腕が腰に回されるも、逃げることはできない。ちゅ、と首筋にキスを落とされ、ぞわりと体が芯から震えた。  情けなくて、虚しくて、悔しい。  あんな電話のあとなのに、この名を呼ぶ彼の声を聞いたあとなのに。それなのに、快感に慣れた体は簡単に熱を上げる。怪しい手つきで体をねっとりと撫でられて、直接的な刺激にあの声を聞いたときよりも、簡単に昂る。 「ふふ、かわいいですよ桐生様」 「だまれ……っ」 「こんなにも麗しく気高いのに、誰よりも健気で敏感で……罪なお人だ」 「てめえな、んっ……!」  カッとなって振り向き睨み上げるも、柔らかい笑みに軽く往なされる。おまけに簡単に捕まった頭は向き直るのを許してはもらえず、不自然な体勢のまま口づけを受けるはめになった。後ろへ逃げようとするも、後頭部を引き寄せられ、あまつさえ体ごと抱えるようにホールドされれば、それも叶わずそれが深くなるのを許してしまう。 「んぐっ……う、ん、んんっ」 「ん……っ」 「んぁっ、ん……っは、ん」  易々と侵入してくる舌に口内を蹂躙される。あっという間に絡めとられた舌を執拗にねぶられて、快感を訴えるように喉の奥がひくりと震えた。覆い被さるように体勢が変わり、上から唾液を送り込みながらの深い口づけを施される。  飲み込みきれずに口の端から溢れて頬を伝う唾液。しつこいキスに、酸欠でボーッとしてくる頭。限界を訴えるために伸ばした手はどうにもならず、縋りつくだけで終わってしまった。 「んぅ、ぁ……んんっはぁっ」 「ん……はっ、気持ち、よかったですか」 「はっ、あ、くそっ、は……」  ようやく解放された唇。しかし熱に浮かされた頭は痺れて働かない。ぐったりと動けなくなった体は重く、しかし条件反射のように目だけで威嚇すれば、見下ろしてくる男がこくりと喉を鳴らした。 「ってめ! も、いいだろっ……」 「なにを仰いますか……貴方だって」 「ッ!」 「ここを、こんなにして」  怪しい動きをしだした手に抗議の声を上げるも、昂ぶり始めていた自身を柔く握られて息を詰めた。さっきまで散々ヤっていたにも関わらず、桐生を余すところなく見つめる瞳はすでに情欲に濡れている。外見にそぐわない絶倫加減にゾッとしてその手を引き剥がそうとするも、股間をぬちぬちと揉みしだかれて、刺激に震える体は力が入らない。  嫌なのに。もう、嫌なのに。  煽られれば簡単に熱を上げ、あまつさえ後ろまで疼いてくる自分の体に、絶望する。 「や、くそ、やめろっ……!」 「体は準備万端なようですが?」 「ひっ……う、ああっ!」  ぬぷりと後ろに入ってくる指。先までの行為で散々蹂躙されていたそこは、初めから三本もの指を難なく受け入れる。くぱあっと穴を広げるように指を動かされ、体がビクンと仰け反った。中に出されたものがとろとろと出てこようとする感覚に、ぞわりと全身が震える。指が動くたびにぬちゅぬちゅと卑猥な水音が聞こえてきて、死にたくなるほどの羞恥に駆られた。 「く、あ、んんっ……!」 「ああ、ほら、さっきの私の精液が出てきましたよ」 「ひっ、や……っんな、みんじゃねえ!」 「嫌なのに興奮なさって……随分とまた、久谷様に調教されているようで」 「だまれ……っ! ん、あ、あああ……っ」  さっき中に出されたものを掻き出すように動く指。執拗に内壁を引っ掻かれ、シーツに爪を立てて快感を逃がそうとしてもそんなもの意味もなく。背中が仰け反り晒した乳首を口に含まれ、さらにビクビクと体が跳ねる。もう片方を優しく擦られ、一辺に与えられる快感に体の痙攣が止まらなかった。  快感に流されそうになるたびに、わざわざ口にされる久谷の名前。いくら喚いたところで、いくら抵抗したところで、なにも変わらない。忘れるなと、調子に乗るなと、そう、言われているようで。  調教された?  そうかもしれない。そうではないかもしれない。自分ではわからなかった。だって、他を知らなかったから。しかし淫乱だなんだと揶揄されるこの体は、確かに久谷に作られたものだった。久谷のために、作り替えた体だった。  そうして出来上がったそれは、久谷だけのための、久谷以外にも反応する体で。  誰にだって触られればこうして簡単に昂る。嫌がる思考を無視して裏切る。まさに淫乱と呼ぶに相応しい体。  だけどそう、久谷が望むのは――自ら腰を振って、善がるような男で。  そんなセフレが彼の望みで、それこそが桐生の目指すところだったわけだから、これはある意味、成功なのかもしれない。それならばそれでもいいかと思える自分が、愚かで、馬鹿らしくて、泣きたくなった。 「入れますよ、息を吐いて」 「やっいやだ、もうっ……」 「ああ、桐生様……嫌がったところで抵抗はできないなんて、ご同情、申し上げます……っ!」 「――ッ!」  一瞬だけ目に入った、憐れみに歪む顔。しかし次の瞬間、一気に体を割り開かれる衝撃ですべてが吹き飛んだ。  十分に解されすでに蕩けているナカにあまりにスムーズに挿入されたソレが、ごりごりと前立腺を擦り上げていく。スパークする視界。痙攣する両脚。声を押さえるなんて考えられるわけもなく、あまりの衝撃にはくはくと酸素を求めるように口を開閉するしかできない。 「あっ、はあっ、あ、あっ!」 「はあっ、気持ちいいですか、桐生様」 「や、あっ、んんんっ」 「本当に、健気ですね……」  ひくひくと痙攣する桐生の顔の輪郭を、労るように滑らかな手がなぞる。そんな労るような素振りを見せるくせに、その手の持ち主のがつがつと突き上げてくる律動は止まらず、できる抵抗などいやいやと首を振ることだけで。許容量を超えるような行き過ぎた快感に、ぼろぼろと涙が溢れるのを止められない。 「ひぅ、この、え、あ、ああっ!?」 「先っぽ気持ちいいですか? すごいですね、ふふ」 「やっ……あ、まて、あ、ああ、あっ!」  突然今まで触られてなかったモノの先端を弄られ始めて、途端にぶるぶると内股が震える。自分じゃないような、自分の声。そんなもの聞きたくなくて止めたくとも、もはやそんな余裕はどこにもなかった。下半身から駆けあがってくる重く熱すぎる熱に、頭がおかしくなりそうだった。  無理だ、もう無理だ。もういっぱいだ。いらない。これ以上されたら、おかしくなる。 「あっ、あ、や、でる、も、ああっ」 「……っは、いいですよ、イってください……!」 「ッ、ああああ!」  促すように先端を嬲られ、前立腺を抉られ、耐えられるはずもなく派手に吹き出す白濁。爪先がきゅっと伸びて体を震わす。仰け反る自分の腹と仁科の腹を白く汚すそれは、胸まで届いて。  久谷ではない男にいいようにされ、感じ入って達してしまうなんて、屈辱でたまらない。嫌なはずなのに、気持ち悪いはずなのに、気持ちと連動しない体が、憎くて憎くてたまらない。  荒い息で胸を喘がせながら、それでも見下ろしてくる顔を睨み上げた。 「泣くほど悔しかったですか……かわいそうに」 「っるせえ、よ」 「だけどまだ終わりじゃ、ないですよ?」 「はっ? あ、や、うごくな……っ」  宣言通りに再び突き上げられ再開した律動に、情けない声が出る。散々蹂躙されつくし、さらに達したばかりで敏感な体が悲鳴を上げた。 「や、も、むりだ……っ!」 「なにを仰いますか……貴方はもうよくても、私はまだ、イっておりません」 「ひっ、や、も、あああっ」 「それに、どんなに嫌がろうと貴方は結局、私を拒絶することはできない……そうでしょう?」  にこりと嘘のように綺麗に笑う顔を、歯を食いしばって睨み上げる。しかしそれをうっとりと見下ろしてくる切れ長の瞳。  視線が絡み合うこと数秒。沈黙を肯定ととって動き出した腰に、あっという間に絡んでいた視線は解ける。そうなるともう快感に流されないことだけに必死になり、見栄も意地もなにもかも奪い去られ、ただただ縋りつくしかなくて。 「ご安心ください……はあっ、貴方が抵抗しない限り、貴方の想いは決して、言いませんから」 「っも、てめ、しゃべんなっ」 「どうしても嫌われたくないだなんて、かわいいお方だ……っ」  嫌われたくないと思って、なにが悪い。  セフレじゃなくてもいい。たとえ体の関係がなくなったとしても、嫌われさえしなければなんでもよかった。久谷は、男と本気で恋をする気はないのだから。本気で恋した相手を疎い、毛嫌いし、二度と側に寄せない男だから。彼の恋心など求めない。  好きはいらない。だけど、嫌いだけは嫌だった。  桐生にとって、久谷に嫌悪されるのが、拒絶されるのが、一番怖いことだから。  だから――だから、想いだけは、絶対に知られてはならない。  なんて、あんな電話をして一方的に振ったのだから、もうとっくに嫌われているのかもしれないけれど。それでも、恋情がバレたことで拒絶されるよりも、ずっとよかった。 『俺がお前に会いたいんだ、会いに行かせろ』  耳残るあの声は、いったいどんな意図で言ったのか。今はもう聞くことは叶わない。きっと、もう聞く機会は訪れないのだろう。だって二人は、以前の、極力関わらない関係に戻ってしまったのだから。あの立場を――会いたいと言ってもらえる立場を手放したのは、自分自身だった。  あの言葉に打ち震えるほどに期待を持ち、喜びたくなってしまう。しかしもう二度と、その真意がわかることはない。そうしてあの一言が、桐生をどうしようもなく喜ばせ、どうしようもなく絶望させるのだ。 「っん、はあ………はっ」 「気持ちよくなりましょう、なにも考えずに……桐生様」 「や、んんっ、んー……っ」  再び仕掛けられたキス。もはや抵抗する気力など持ち合わせておらず、されるがままに口内を荒らされる。口の中までもが性感帯になったかのように意地汚く快感を拾い、余すところなく感じてしまう自分を嫌悪する。  久谷とのファーストキスが、遥か彼方にいってしまった気がして。  生理的なものではない涙が滲み、じんわりと、世界が醜く歪んでいった。 第7話 すきで、すきで(きらわれたくない) 完

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