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第8話 きらいなんだと -1
会議室に響く明朗な声に、会議に参加している者の多くが聞き惚れていた。
ようやく授業が終わり、誰しもが疲れている時間帯。すぐに寮に帰る者、部活動に勤しむ者、過ごし方は様々だが、勉学に励む学生にとって一日の中で唯一といっていい自由時間だ。だというのに自由参加のはずのこの会議への出席率は、毎週異様に高かった。
その理由は偏に、今、全員の前で淀みなく喋っている男にあった。私生活でどんな噂を立てられようが、伊達に満場一致で選出されたわけではない。圧倒的なカリスマ性によって生徒を率いる今期の生徒会長。
その会長の手腕を間近で目にし、直接話せる貴重な場。たったそれだけの理由で、こうして各組織のトップだけが参加を許されたこの空間は、毎週異様な光景を生み出していた。
「――これで生徒会からの報告は以上だ。なにか質問は?」
資料を片手に、ホワイトボードの前に立つ姿はなにも変わらなかった。
なんの関係もなかったときから――あの関係があったときとも。
誰も質問しなかったことにより、今日の会議は終わりを告げる。自分の資料を片付けつつ、掛けられる声に適当に応えてやる。風紀委員長として応対しながら、しかし久谷の視界は桐生の姿を捕えていた。
桐生は、見事だった。
あの電話があったその次の日から、二人の関係は、まったくなにもなかったかのように前のものへと戻っていた。連絡は途絶え、口をきかず、目も合わせず、見かけることさえ少なくなった。極稀に会話するときでさえ事務的なことしか話さず、不遜で傲慢な態度で必要事項だけ告げられて、終わり。
それは本当に、以前の関係とまったく同じで。まるでセフレだった事実などなかったかのような、すべてが夢だったかのような完璧な戻り方に、その話を出すことさえ、久谷には憚られるほどで。
(相手の顔色を窺うなんて、いつぶりだ)
しかし、こうなって初めて気づかされた。
あの、濃すぎるほどに濃く、暇さえあれば顔を会わせていた時も、結局自分たちの間にはセックスしかなかったということを。あの時だってセックスの話題を抜かせば、結局は今と同じなのだ。今のこの、限りなく必要最低限しか接触しない関係と、なんら違わなかった。
最近は桐生が持ってきてくれていた書類は、前と同様、生徒会補佐が持ってくるようになった。久谷が書類を届けにいったところで、とっくに仕事を終わらせた有能な会長様が放課後まで残っていることなどなくなった。電話さえ繋がらなくなり、彼の番号を知らなかったときと同様、仕事の電話は副会長とやりとりするしかなくなった。
あの期間、いかに桐生がこちらに合わせていてくれていたかがよくわかる。
始まりは電話。久谷が電話をし、約束を取りつけ、桐生は会いに来るか、もしくは待っていてくれた。それはすべて久谷から持ち掛け、桐生はそれを承諾していただけだった。
当時はまったく気にしていなかったけれど、桐生から、ということは一度もなかった。しかし同時に、断られるということも、一度もなかった。
「会長、さっきのなんですが」
「ん? ああ、ここか。確かに俺もここはどうにかしなきゃと思ってたんだよな」
「はい。それでですね……」
会議が終わったあとも、すぐに帰るという人間はあまりいない。全組織のトップたちが集まっているわけで、これを活用しない手はないのだ。だから会議終了後もしばらくは、全体に告知するほどではない情報のやり取りでいつもざわざわと騒がしかった。そんな中でも、無意識にあの声だけやたらに拾ってしまう自分に久谷は苦く笑う。
バカみたいだった。結局は自分が一人で夢中になってがっついていただけで、桐生はただそれを許容してくれていただけだった。その桐生にそっぽを向かれれば、こんなにも簡単に呆気なく、自分たちの間にはなにもなくなる。
セフレだから、それでいいはずなのだ。そうでなくてはならない。なぜならば、そうでない、それ以上の関係なんて、面倒くさくて鬱陶しくて、心の底から嫌なのだから。大嫌いなはずだから。
だというのに、本当に体の関係しかなかったのだと突きつけられて、桐生が本当にセフレとしての自分しか興味がなかったのだと実感して――予想以上のショックを受けている、自分がいた。
「久谷委員長、今大丈夫ですか?」
「ん? ああ」
「あの、これなのですが……」
「あー、それなら資料はうちの部屋だな……仕方ねえな、ついてこい」
ふいに掛けられた声と共に、呆と見ていた桐生との間に入ってきた体。目の前の生徒から求められた詳しい資料を今は持ってきていないことを確認し、ようやく久谷は重たい腰を持ち上げる。
きっと自分では離れるに離れられなかったから、ちょうどよかった。離れられないくせに、これ以上ここにいたところで、やることなんてぼんやりと桐生を見ていることしかないのだから。
どこか後ろ髪を引かれる思いをしながら立ち上がる。こちらを一瞬桐生が見た気がしたが、気のせいだったかもしれない。
「久谷様、お待ちしておりました」
「……はっ、準備万端じゃねぇか。胸くそわりぃ」
「はい、ありがとうございます」
「どういたしまして」
掛けた電話は、ワンコールで繋がった。久しく触ってもいなかった方のスマホは、しかし相変わらず掛けるだけでセフレが足を開く便利な機械のままで。開いた電話帳の中からたまたま彼、雨宮を選んだのは、他の奴らと違って最近見ることが多いせいで、顔と名前が一致したからだった。
電話してから十分も経っていないのにも関わらず、指定した部屋が見事に整えられているのに、自分で誘っておきながらうんざりして、酷薄な笑みを浮かべて嫌味を吐く。しかしそれにさえも嬉しそうに返事をされるのがまた、胸糞悪かった。
「これは随分とまた、セフレ用にしては甘ったるい演出だなあ」
「ええ、いつお呼びがあっても大丈夫なよう色々用意していたので」
「ははっ、さすが、悪趣味だ」
綺麗にベッドメイクされたベッドの上に無遠慮に腰を下ろす。皺一つなかったそこをわざと荒らすように座りながら、ぐるりと部屋を見渡した。
ベッドヘッドに置かれたキャンドル。凝った間接照明。部屋に充満する甘く焚かれたお香の匂い。
よくもまあ、ヤるためだけにここまでやるものだ。そう純粋に感心していると、こちらも準備万端とでも言いたげに甘い匂いを漂わせてバスローブを纏った雨宮が、久谷の足の間に跪いた。なにも言っていないのにスラックスを寛げ始める。それを止めずに眺めながら、その光景がどうにも滑稽で、なんだか笑いたくなった。
「ああ、久谷様……いただきます」
かわいい顔に下品な笑みを浮かべ、雨宮はなんの躊躇もなく久谷のモノをぱくりと口内へと咥え込む。旨そうに舐められ、手を使って根元から隠曩から刺激されれば、なんの反応も示していなかったモノが少しずつ勃ち始めた。
「んっ、んんむ」
「……もっと舌使え」
「あんっ、んうっ……」
最もセフレ歴が長いだけあって、ポイントをよく抑えている愛撫の仕方。愛でるように愛撫され、すぐに昂り始める。しかし刺激されれば否応なしに反応してしまうモノと違って、思考の方は冷めていた。性感を高められれば高められるほど、ますます気持ちの方は冷めていった。
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