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第10話 きらいだとは -1

 届いていたメールに散々悩んだあげく、了承の返事を返してスマホをポケットの中へ戻す。すぐに書類へと目を戻すも、頭に内容は入ってこようとはしてくれない。机に肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せて久谷は小さくため息を吐いた。  ――俺は、桐生のことがすきらしい。  その事に気づいたのは、最低最悪なことに、セフレとヤっている最中だった。  目の前の相手に桐生を重ね。口を塞いで声を遮断し。そうして妄想の中の桐生の姿と声に、久谷は呆気なく果てたのだ。  隣で気絶してしまった雨宮と、そして初めて気づいてしまった気持ち。それらを前にして、久谷はどうしようもない罪悪感と後悔に打ちのめされた。  どうして今さら気づいてしまったのだ。どうして今さら自覚してしまったのだ。しかしどんなに後悔したところで――気づいてしまった感情に、嘘はつけなくて。  周りからは犬猿の仲と言われていたが、その実、桐生とはそんなに接点がなかった。そもそも所属している組織自体の仲が悪く、であるならば、もともと接触の少ない生徒会役員にわざわざ近づこうとはしない。だからお互いに関わり合いがなさすぎて、不自然なまでに会話がないのがまた、仲が悪いと噂される由縁だった。  そんな相手からの誘いは、唐突で。まさか犬猿の仲とされる桐生から誘われるなんて、いったい誰が想像しただろう。しかし驚きながらも、噂に伝え聞く淫乱会長のセックスがどんなものなのか一見の価値ありだなと判断した久谷は、その誘いに軽い気持ちで乗ったのだ。期待外れだったらすぐに断ればいい。ネコもタチも絶品だという、大勢を虜にする桐生の姿を見てみたい。  ただの、興味本意のはずだった。  しかしそれは、大きな見込み違いだったのだ。お手並み拝見だなんて侮っていた久谷の予想を裏切って、桐生は想像を軽く超える妖艶さで。あの黒髪が艶やかな男前は、どちらもやるが基本はタチだったという。時にはネコもするが、そのときでさえ主導権を手放さないらしい桐生は――翻弄されることに、酷く不馴れだった。  ただでさえ、あまりい美しく均整が取れすぎていて、逆に淫靡さを感じさせる体。それが、組み敷かれた途端に快楽の淵へとあっという間に堕ちていく。ストイックさの滲む完璧すぎる容姿も手伝って、自分の手によってそんな男が快楽に溺れていく姿は、どうしようもなく、そそられた。  そうして体を重ねていくうちに、見事にハマっていったのだ。  次第に一日に一回は桐生と会わなければ気が済まなくなり、なんでもない会話も増えていった。そうしていつの間にか、毎日会うのが日常になった。毎日会うのが当たり前。桐生がいなければ味気ないと、そう感じるほどに。  別に、毎日セックスをしたいというわけではなかった。ただ、一回でも彼と喋ることができれば、一緒に隣で眠ることができれば、それでいい。セックスは毎日しなくてもいいけれど、桐生との接触が一日に一度もないのは、どうしても我慢ならなかった。 (それが、もう何日触れてない?)  この欲求の理由に、正体に気づいたのは、もうすべてが終わってしまったあとだった。ゲームは終わりだ、さよならだ。そう告げられて、呆気なく終わってしまった関係。それから会えないことによって募っていく欲求不満に苛立ち、持て余す体をどうにかしようと、桐生以外の人間と久々にセックスをしようと呼んでみて――気づいて、しまった。  苛立ち、体を持て余していたのは、溜まっていたせいだと思っていたのに。ヤったところで、なにも晴れやしない。これじゃない。これを求めていたんじゃないと、本能が訴える。そうしてどうしても全ての思考が桐生へと向かって、ようやく気づいた。  桐生が自分の特別なのだと――どうしようもなく、好きなのだと。  それからというもの、どうにか彼と接触できないか試みているのだけれど。しかしこちらのスケジュールを完璧に把握しているのかと疑いたくなるぐらいには、とことんすれ違い続けていた。会ってどうするつもりなのか、なにを言うつもりなのかは自分でもわからない。だけど、今はただ、会いたくてしかたなかった。  彼はゲームに飽きたと言った。この、専属契約というゲームに。だからもう、終わりだと。 (じゃあ、俺には?)  桐生は、久谷自身にも飽きているのだろうか。素直に考えれば、相手に飽きたからゲームに飽きたという流れになるだろう。だからこの初恋は、気づく前から叶わぬものとなっていたことになる。  だけど、それでも。たとえ結果は見えていたとしても、本人から直接答えを聞かない限り、希望を捨てない――捨てられないほどに、桐生を求める、自分がいて。  ならば、やるべきことなど決まっている。桐生への想いが捨てられない以上、すべきは一つ。  だけどその前に、久谷にはやらなければならないことがあった。これだけは、出来るだけ桐生に会う前に決着をつけておかなければならない。だからこそこうしてまだ、こちらのスマホを使用する必要があるわけだけれど。  さっきからせめてものポーズで眺めてはいるけれど、結局は頭にちらとも入ってこない書類。やがてもはや見るのさえ放棄した久谷は、再びスマホを取り出したのだった。  メールに書かれていた教室の前に立つ。そこがあまりにも自分の城に近いことに、きっとなんのために呼び出したのか薄々気づいているのだろうと思いながら、久谷はその扉へと手を伸ばした。 「久谷様、お待ちしておりました」 「ああ、呼び出して悪かったな」 「いえ、お声をかけてもらえて嬉しいです」  最後に会った時と同じ台詞で迎えられた部屋は、しかしあのときとは違って悪趣味な飾りつけはされていなかった。やはり彼は気づいているなと思いながら、返事を返す。  しかし会話もそこそこにすぐに腕をとられ、誘われるように引っ張られた先は、ベッドで。そのまま強引にベッドの淵へと座らされる。わかっているわけではないのか、と覆い被さってこようとする腕を止めたところで、雨宮の過剰に挑戦的なその表情に、久谷はふっと体の力を抜いた。  彼はわかっていないわけではない。すべてわかっていて、それでも敢えて久谷のことを誘っているのだ。きっと今までなら、簡単にこの誘いに乗っただろう。 「――この間は、悪かったな」  そう切り出して真正面から見つめれば、大きくて水気の多い瞳が頼りなげに揺れた。戸惑っているような、傷ついたような、切なげなそれ。今までの久谷なら、その本気の気持ちを鬱陶しいと感じたことだろう。しかし今は、最後まで、微かな希望にでも縋りたいその気持ちがわかってしまうから。  皮肉だな。こうなって初めて、その気持ちがわかり、動かされそうになってしまう。 「……やめて、ください」 「本当に、悪かったと思ってる」 「謝らないでください!」  悲鳴のような声が上がった。聞きたくないとでも言うように、ぱっと上から飛び退いて首を振る。その姿が痛々しくて、久谷はぎゅっと眉を寄せた。  しかしここで引いていてはなにも変わらない。後ずさろうとする雨宮の腕を、咄嗟に捕まえた。 「離してください! 触らないで!」 「聞いてくれ」 「やっ、嫌です!」 「頼むから!」  つい掴む手に力を籠めれば、ビクリと抵抗するのをやめる体。その怯える瞳に映る自分は、酷く不様で。それでも構わず、真剣な表情で雨宮を見つめた。 「もう、セフレという関係を終わりにしたい」 「っ」 「お前だけじゃなくて……他の全員にも、断るつもりだ」  そのまま謝りそうになり、寸でのところで口を噤む。久谷がどんな人間なのか、どういうセックスをするのかを理解した上でセフレだった彼に対して今までのことを謝るなんて、それは違う。そんなのはただの自己満足で、思い上がりだ。 「……突然で悪いが、元々お互いにそういう約束だったはずだ。わかってくれるな?」  どちらかがやめたいと言い出せば、すぐに関係を解消すること。それでもいいかと聞いて、構わないと答えた人間としか関係は持たなかった。長い間関係を持っていれば情が湧いてしまうのは仕方ないことかもしれないが、それでも、約束は約束だから。  俯く顔を覗きこみ、表情を窺いながら尋ねる。少し持ち上がった顔が、こちらと目があった途端、泣きそうに歪みながら笑みを作った。 「以前なら……聞くなんてこと、しなかったのに」 「……ああ」 「桐生様の、おかげですかね。セフレを切るのも、桐生様のためですか?」  確かに桐生だけとの関係になったとき、メール一本ですべての関係を清算しようとしたのは確かに、他でもない自分だった。だからこうして直接会って、伝えようとする自分は、変わったのかもしれない。いや、変わらなければならないと思ったのだ。  だけど、多分それは、桐生との関係のためだけで。メールではなく直接会って話をして、そうして確実に終わりにして、桐生ともしも進展があった時の枷を、一つでも残しておきたくなかったから。可能な限り悔恨を残したくはないだけで。  だから、彼らのためを考えて、という思いからではないのだ。確かに彼らの想いを今までよりは理解できるし、共感だってできるようにはなったけれど。しかし雨宮に喜ばれるようなことは、なにもしていない。 「……俺は、あいつが欲しいから」  雨宮がどんな返答を期待しているのかは知らないけれど、とりあえず確かなことだけを告げる。桐生が自分を動かしているというのだけは、確かだった。  しかしそうとだけ答えると、雨宮はもう逃げる気がないと両手を上げてアピールしながら可笑しそうに笑った。腕を握っていた手を離せば、今度は向こうが小首を傾げてこちらの表情を窺う。 「随分高慢な言い方ですね……お好きなんじゃ、ないんですか?」 「なんだ、それを言わせたいのか?」 「ええ、言ってくださらなければ諦められません」  諦める、だなんて。そんな言葉を使っている時点で、もう久谷のセフレでいることを放棄しているのと同じなのに。それでもどうしても言わせたいのか、引こうとはしない雨宮に小さく息を吐いた。

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