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第24話 藤城を変えたもの

「……綾香がいなくなって、やっと気づいた。俺が芝居を続けていたのは、全部彼女のためだった。彼女が支えてくれるから、俺は役者でいられたんだ。だから、綾香を失った時に、俺は役者を辞める決意をした……はずだった。紫乃、お前に会うまでは」  急に自分の名前が出てきて、驚いた紫乃は藤城の方へ振り向いた。見ると、藤城は困ったように笑っていた。 「俺の舞台、観に来てただろ。演目は『ハムレット』」 「――ッ!」 「あの舞台を最後に、俺は事務所を辞めるつもりだった。けど、その公演が終わってすぐ、俺に会いたいっていう変な後輩が現れてな。それが紫乃、お前だった」  もう十年も昔のことだが、紫乃ははっきりとその時のことを覚えていた。当然だ。それが藤城輝と初めて会った、運命の日だったのだから。 「びっくりしたよ。抜け殻だった俺のことを、お前はめちゃくちゃに褒めちぎってくれた。なんて見る目のない奴なんだって思ったもんだ」 「あ、あの時はっ……輝さんの演技に感動して、無我夢中だったっていうか……感じたことを全部伝えたくって、必死だったんですよ……!!」 「ああ、必死だったな。すごく一生懸命になって、最後には泣きそうになりながら『すっごくカッコよかったです!』とか言ってくれたっけ」 「へー……紫乃ちゃん可愛いー……」 「そうそう、本当にあれは可愛かった」  赤くなる紫乃を二人してからかうと、張り詰めていた空気がやっと緩んだ。それに少し安堵した紫乃も、二人につられて笑う。 「……紫乃の言葉と笑顔に俺は救われた。辞めようと思ってた役者を、もう一度続けようって気にさせてくれたんだ。……紫乃の事を鈍感だなんて言ったが、俺も人のことは言えないな。最近になってようやく気づいたんだ。これは、ただの後輩への感情じゃない、ってな」 「……輝さん……」  そう語る藤城に、紫乃も結太も黙ってしまった。それに気づいた藤城は後部座席を振り向いて、結太に言う。 「なんか言ってくれよ。恥ずかしいじゃないか、俺ばっかり喋って」 「……じゃあ、遠慮なく言いますけど」  下を向いていた結太は、顔を上げて藤城を見た。何もかもを包み込むような目に毒気が抜かれるが、言いたいことは山ほどある。 「なんか……なんていうか、ズルイです。俺だって紫乃ちゃんのこと好きなのに……最初っから二人の間に入る隙がないじゃないですか。そんなのって、フェアじゃない」 「まだまだお子様だな、結太。フェアな恋愛なんて存在しないんだよ」 「……それに、藤城先輩ってノーマルなんじゃないの? 付き合ってみて、やっぱ男は無理でしたーなんてことになったらどうするんですか」 「ああ……それなんだが、な」  言いづらそうに藤城は目を泳がせた。紫乃の方をちらりと見やり、少し困ったような表情を浮かべている。 「…………あー、これは、紫乃の前で言うべきかどうか、正直悩むんだが」 「何ですか?」 「紫乃、お前……この前出てた舞台でブロマイド売ってたろ」  ブロマイドという単語に反応して、結太が前に身をのりだしてくる。 「ちょっと待って! 藤城先輩もしかして……!」 「結太も見たのか? あのブロマイド」  藤城と結太はなぜか分かり合えたような顔をしているが、紫乃だけ置いてけぼりになっていた。  ブロマイド? 確かに、つい先日まで公演していた舞台でブロマイドを売っていた。四枚セットで六百円。それがどうしたというのか。尋ねようにも不穏な空気が流れていて言い出せない。 「あの四枚のうちの一枚な、お前、裸だったろ」 「え? そうでしたっけ」 「間違いない、紫乃ちゃん裸だったよ。めちゃくちゃ綺麗な体してた」 「あれでな…………何度か、ヌいた」  しん、と沈黙が訪れる。  ……ヌいた。  男なら、なんの説明もいらないこの言葉。  その言葉が藤城の口から飛び出した。  紫乃は、ただ呆然としていることしかできなかった。

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