24 / 26
第24話 藤城を変えたもの
「……綾香がいなくなって、やっと気づいた。俺が芝居を続けていたのは、全部彼女のためだった。彼女が支えてくれるから、俺は役者でいられたんだ。だから、綾香を失った時に、俺は役者を辞める決意をした……はずだった。紫乃、お前に会うまでは」
急に自分の名前が出てきて、驚いた紫乃は藤城の方へ振り向いた。見ると、藤城は困ったように笑っていた。
「俺の舞台、観に来てただろ。演目は『ハムレット』」
「――ッ!」
「あの舞台を最後に、俺は事務所を辞めるつもりだった。けど、その公演が終わってすぐ、俺に会いたいっていう変な後輩が現れてな。それが紫乃、お前だった」
もう十年も昔のことだが、紫乃ははっきりとその時のことを覚えていた。当然だ。それが藤城輝と初めて会った、運命の日だったのだから。
「びっくりしたよ。抜け殻だった俺のことを、お前はめちゃくちゃに褒めちぎってくれた。なんて見る目のない奴なんだって思ったもんだ」
「あ、あの時はっ……輝さんの演技に感動して、無我夢中だったっていうか……感じたことを全部伝えたくって、必死だったんですよ……!!」
「ああ、必死だったな。すごく一生懸命になって、最後には泣きそうになりながら『すっごくカッコよかったです!』とか言ってくれたっけ」
「へー……紫乃ちゃん可愛いー……」
「そうそう、本当にあれは可愛かった」
赤くなる紫乃を二人してからかうと、張り詰めていた空気がやっと緩んだ。それに少し安堵した紫乃も、二人につられて笑う。
「……紫乃の言葉と笑顔に俺は救われた。辞めようと思ってた役者を、もう一度続けようって気にさせてくれたんだ。……紫乃の事を鈍感だなんて言ったが、俺も人のことは言えないな。最近になってようやく気づいたんだ。これは、ただの後輩への感情じゃない、ってな」
「……輝さん……」
そう語る藤城に、紫乃も結太も黙ってしまった。それに気づいた藤城は後部座席を振り向いて、結太に言う。
「なんか言ってくれよ。恥ずかしいじゃないか、俺ばっかり喋って」
「……じゃあ、遠慮なく言いますけど」
下を向いていた結太は、顔を上げて藤城を見た。何もかもを包み込むような目に毒気が抜かれるが、言いたいことは山ほどある。
「なんか……なんていうか、ズルイです。俺だって紫乃ちゃんのこと好きなのに……最初っから二人の間に入る隙がないじゃないですか。そんなのって、フェアじゃない」
「まだまだお子様だな、結太。フェアな恋愛なんて存在しないんだよ」
「……それに、藤城先輩ってノーマルなんじゃないの? 付き合ってみて、やっぱ男は無理でしたーなんてことになったらどうするんですか」
「ああ……それなんだが、な」
言いづらそうに藤城は目を泳がせた。紫乃の方をちらりと見やり、少し困ったような表情を浮かべている。
「…………あー、これは、紫乃の前で言うべきかどうか、正直悩むんだが」
「何ですか?」
「紫乃、お前……この前出てた舞台でブロマイド売ってたろ」
ブロマイドという単語に反応して、結太が前に身をのりだしてくる。
「ちょっと待って! 藤城先輩もしかして……!」
「結太も見たのか? あのブロマイド」
藤城と結太はなぜか分かり合えたような顔をしているが、紫乃だけ置いてけぼりになっていた。
ブロマイド? 確かに、つい先日まで公演していた舞台でブロマイドを売っていた。四枚セットで六百円。それがどうしたというのか。尋ねようにも不穏な空気が流れていて言い出せない。
「あの四枚のうちの一枚な、お前、裸だったろ」
「え? そうでしたっけ」
「間違いない、紫乃ちゃん裸だったよ。めちゃくちゃ綺麗な体してた」
「あれでな…………何度か、ヌいた」
しん、と沈黙が訪れる。
……ヌいた。
男なら、なんの説明もいらないこの言葉。
その言葉が藤城の口から飛び出した。
紫乃は、ただ呆然としていることしかできなかった。
ともだちにシェアしよう!