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第7話

「霞…」 絞り出すような声はいつもの美しさなどかけらもない。 低く掠れて、とても店一番の陰間が出す声とは思えないものに成り果てていた。 「月影様…」 「ねぇ霞、お願いがあるんだ。」 「なんでしょう。」 「君を抱きたい。」 また、あの目だ。 舐めるような、あの目。 同時に己の身体に覆い被さる震えた月影の吐息に酒の匂いを感じて、霞は不快感に顔を顰めた。 その霞の表情に何を思ったのか、月影は自嘲の微笑みを浮かべる。 痛みを堪える微笑みだ。 月影は霞の金剛としてもう何年も秘孔を拡げる稽古を施してきたが、二人が身体を繋げたことは一度もない。珍しい話ではないが、この楼では金剛が陰間を抱くことは禁じられていた。 稽古では月影の指を受け入れ、男性器を模した張型を使用する。水揚げの価値を上げるためだった。 「それは…なりません。」 霞はゆるりと首を振る。 そっと月影の身体を押し返すと、意外にもあっさりと月影は離れていった。そして血を吐くような月影の言葉に、霞は驚愕する。 「頼むよ霞…これで最後だから。」 「最後なんて…また稽古をつけてくださるのでしょう?」 「もう稽古はないよ。私は明日身請けされる。」 「…え?」 身請け? 今、月影はそう言っただろうか。 俄かに信じられず、霞はただ目を白黒させることしかできない。月影はくすりと面白そうに笑いを一つこぼした。 漸く見れた、月影らしい優しい微笑みだった。 「随分反発したんだけどね…私ももう二十二だ。落ち目の陰間にあんな大金積まれては楼主様もお断り出来なかったみたいだ。君の傷が癒えて、君を傷付けない馴染みのお客が見つかるまで側にいたかったんだけど。」 店一番、いや店の外にもその人気ぶりが知れ渡っている月影が、身請けされる。 何故知らされなかったのだろう。付き人の自分が。いの一番に知らされてもいいものを。 「月影は早咲きの梅の花…最初から、遅咲きの霞桜とは共に咲けない運命だったね。」 月影の声は聞こえているものの、その言葉は全く脳に伝わらない。 月影がいなくなったら、自分はどうなるのだろう。考えても、答えは出ない。 何もかもを月影に世話されてきた。 着物を選んでもらい、着付けを教わり、髪の結い方も化粧の仕方も教わった。言葉も所作も、楼での生活の仕方も。 小田の一件があってから、次に客を取る時にもまたあんなことになるのではと怯えて眠れずにいる霞の手を握ってくれたこともあった。 そんな霞を見ているから、客を取るのはまだ早いと守ってくれていたのだ。 霞が苦手だったあの視線は、霞を愛しているから。愛しているから抱きたい。抱きたいからこその視線。 そして、愛しているからこそ守りたい。 月影の行動が、全て繋がる。 続いて、自分の感情に整理がついた。 月影に触れられるのが居心地悪かったのは、月影が誰かに触れられた後だったからだ。 月影を好きにできる者たちへの嫉妬。月影を愛しているからこその嫉妬だ。 霞は沈黙した。 月影も何も言わなかった。 月影は、反発したと言っていた。その言葉が指す意味は、一つ。 「行きたく…ないのですか。」 月影は動かない。 微かに震えた肩が、答だ。 その姿を見て、霞は自分が驚くほどするりと言葉を紡ぎ出した。 「逃げましょう。」 と。 月影が顔を上げる。 視線がぶつかる。 くしゃりと微笑んだ月影は泣きそうに見えた。 「どこへ?足抜けは重罪だよ。」 「誰も来ないところへ。」 「北の果てとか?」 「構いません。」 「ここよりも寒いよ。地獄だ。」 「構いません。」 月影のいないこの楼も、地獄同然だろう。それなら月影と共に本物の地獄へ落ちるのも悪くない。 月影が笑う。 ころころと綺麗に笑う。 霞が憧れた月影の姿だった。 「ありがとう霞…一緒に来てくれるかい?」 そして差し出された白い手に握られた懐刀。 霞はそっと、手を重ねた。

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