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この事を一応、上に報告しないといけない。 校内でレイプがあったのならそれなりに対策が必要だからだ。 …にしても元はと言えばコイツの体質や薬の事が原因だ。 「おい、楠本。そういえばお前の…」 「…ちょっと、待って。」 「は?」 「頭の中グチャグチャになってきた。」 楠本はそう言うと右手で口元を抑え、俯いた。 口に出したから改めて思い出してしまったんだろう。 精神的にきてる時に何を言っても無駄なのはわかるが、俺もそんなに優しくはない。 こいつの精神が病もうが俺に関係はないから。 「そうか。それで、この事を学校や家に言わないといけない。」 「…待ってくれないのかよ。」 「待って欲しいなら何分待ってほしいか明確に言え。」 「いや、…もう、いい。」 一度信じられない、という顔をしたがもうどうでも良くなったのかそれとも諦めたのか元気を無くしてそう言った。 こうなれば手っ取り早い。 さっさと聞くことだけ聞いて今日は家に返そう 「よし。学校や家に言うにあたり何か伝えて欲しくないことはあるか?」 「…家には言わないでくれ。」 「それは無理だ。」 「なんでだよ、言っても言わなくても何も変わらないだろ。」 「そういう決まりだ。」 「いいから、…言うな。」 楠本は一向に引き下がらない。 レイプされた、なんて家族に知られるのは確かに屈辱的だろう。 けれど言わなくて文句を言われるのは俺だ。 同情だけで決まりを破ることは出来ない。 「諦めろ、無理だ。親にはレイプをされた事とその過程と内容を軽く伝える。家に電話をかけて親を呼び出す。」 「…嫌だ。」 「子供じゃないんだ、そんなに嫌々言ってて好きなようになる訳ないだろ。」 「で、も……」 「少し優しくされたからって甘えるな。俺がお前を助けに行ったのも担任だからってだけだ。」 知られたくない、はいそうですかで終われない。 出来ることなら俺だって面倒ことは避けたいがそれがルールだ。 しばらくそのまま沈黙が続くと、しばらくして消えそうな声で楠本が呟いた。 「薬、くれたのも…」 「保険医だからだ。」 「……最初、…助けてくれたの、…」 「教師の名誉と面倒事を避けるためだ。」 「本当に、それだけ?」 楠本は最後の希望を探すような目で俺を見上げた。 本当に、それだけ? 本当にそれだけ。 俺は教師で、コイツは生徒だから。 俺に助ける義務があっただけだ。 それ以上でもそれ以下でもない。 「それだけだ。」 「…そう。わかってた、なんとなく聞いただけ。親にも学校にも言っていいしなんでもいい。…帰る。」 「あぁ、…制服、どうするか。」 「このまま帰る。」 「はぁ?お前そのパジャマのままって…」 楠本は一変して澄ました顔をすると淡々とそう言った。 パジャマのままベッドを降りて素足のまま床へ立ち上がると、無表情で俺へただ目を向けた。 「いい。」 「いや、良くないだろ。どこの馬鹿でもパジャマのまま帰ったり…」 「…いい。」 「あー…、せめて残ってる上の服だけ持って帰れ。ズボンは見つかり次第渡す。お前、鞄は?」 「無くした、からいい。帰る。」 「はぁ?無くした?朝の時点でか?」 どういう事だ、と問いただそうとすると楠本は両手を前に出して俺の体を弱々しく押し返した。 俺は驚いて思わずそのまま止まると掠れた小さな声で 「もう、迷惑かけない。…だからもういい。関わらないから。」 「お前何言って…」 楠本はもう何も言わずに何も持たずに薄っぺらいパジャマのまま保健室を出ていった。 いつ薬が切れてまた倒れるかわからないのに。 また、誰かにすぐ襲われるかもしれないのに。 慌てて薬を手に取り扉に手をかける。 せめてこれだけでも渡しておけば。 「……馬鹿馬鹿しい、ただの生徒1人に。」 ふと思い直し足を止め、ドアノブから手を離す。 どうでもいい。 アイツがどうなろうが関係ない。 でも もしさっきの少しの我儘が精一杯のSOSだったら? この時俺はまだ そんな優しい感情を知らなかった。

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