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少しルンルンで廊下を進み、予鈴が鳴るよりも早く教室の扉を開けた。 生徒達はまだ休み時間気分であちこち散らばっている。 「おはよー奏斗先生。」 「ちゃんと時枝先生って言ってくださーい。」 「トキエダってなんか言い難いんだもん。」 「奏斗も言いやすくはないでしょ?」 入口すぐの生徒とそんなたわいない話をして教卓の前までやってくる。 荷物を置いて教室を見回すと、視界の端の床に人影が見えた。 どれだけ眠くてもそうそう床では寝ないだろう。 そこまで考えたところでようやく思い出した。 ここは優のクラスだ。 という事は、あの人影は噂の彼だろう。 ボクはスグに傍まで向かうと、上を向いて焦点の合わないその子の前へしゃがんだ。 「大丈夫?」 「…構うな。」 「酷いなぁ、ボクは優みたいにキミをぞんざいに扱ったりしないよ。手を貸すよ、立ち上がれる?」 「っひ、……触、るな……!」 手を伸ばそうとすると、彼はビクリと体を強ばらせてそう叫んだ。 ボクの手から逃げるように少しだけ体を引きずると少し怯えたような目で見上げてくる。 相当、洗礼を受けたみたいだ。 「奏斗先生、構わなくていいから。ソイツずっとそんなんで俺達が仲良くしよって言っても口聞いてくれないから。」 「え、そうなの?寂しいなぁ。」 「担任が言っても構うなの一点張りで。」 「そっか…楠本クン、ボクは構わない方がいいのかな?」 「いら…ない、……」 生徒に流される様にそう尋ねると、弱りきった彼は絞り出すようにそう言った、 そのままヨロヨロと起き上がると机にしがみつくようにして立ち上がりなんとか椅子に座るとすぐ前へ崩れ力なく机に体を預けた。 彼がクラスの嫌われ者で強がりなのはよく分かった。 ボクが手を差し出しても救いようがないって事も。 そんな事をしているとようやく教室に予鈴が鳴り響いた。 「それじゃー…そろそろ皆、準備しよっか。」 ボクのその声に皆がそれぞれの席にバラけていく。 あぁ、子供ってのは案外えげつないものだね。 * 「……それじゃ順番に読んでいこっか。一文ずつで交代しようね。」 教科書を開きながらそう言い、一番窓際の子を見るとその子が物語を読み始めた。 ようやくボクの話すターンが終わり横に置いてある椅子に座ると教科書越しにチラリと彼へ目を向けた。 相変わらず教科書も出さずに机に顔を伏せたままだ。 拳は強く握られ、時々ピクピクと体が揺れるのが気になる。 「……消えるはずであった未来が続いていくのだ、と彼が言うと我々は顔を見合わせ笑い声を上げた。」 そこまで一人が読み終えると教室がシン、と止まった。 教科書へ目を向けていたボクは慌てて顔を上げると今、誰まで読んだのかとキョロキョロと教室を見回す。 すると一人が自分まで読んだ、と小さく手を上げた。 「ええと次は……楠本クン、かな?」 そうボクが言うと彼は真っ赤になって火照った顔を上げ、モタモタと机の中の教科書を探し始めた。 様子がおかしいのは本当に発情期のせいだけだろうか。 ボクはあえて何も言わずにただ彼の準備が整うのを見守っていた。

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