83 / 269

11

小さな丸テーブルの正面に座り、両手でマグカップを持つ楠本をじっと見た。 湯気で目が濡れているように見えるのは錯覚だろう。 「…ん、美味しい。」 「良かったな。落ち着いたか?」 「少しは。」 「よし。世間話でもするか。」 その言葉に頷きはしたが、特に何も話だしはしなかった。 世間話と言っても何かわからないんだろう。 …けれど、俺達は世間話をする前に自己紹介をした方がいいかもしれない。 「自己紹介…、するか。」 「…今更。」 「お前も俺もお互いの事何も知らないだろ。」 「そうだけど…何いえばいいかわからないし。皆木からしてくれたら参考にする。」 「…なるほどな。」 その言葉にうーん、と考え込む。 自己紹介と言ってもそんなの下のいつ以来かわからない。 だが、まぁ俺の事を言えばいいんだろう。 「皆木優。保険医兼保険科教師だ。お前の担任でもあるな。あとは…なんだ、αだな。」 「…楠本皐月。特進クラス。…Ω。」 「なんだ、味気ない自己紹介だな。」 「あんたもだろ。」 なんて言うと向かい合って少し笑い合う。 あぁ、こんな何となくの会話を待っていたのかもしれない。 特に意味の無い、痛みもない会話を。 「お前、得意科目はなんなんだ?」 「数学。あと化学、かな。」 「理数系か。でもお前、2年の成績表見る限り相当頭良かっただろ?」 「勉強位しかする事無かったからな。今じゃもう落ちこぼれだ。」 「今からでも遅くないだろ。わからない所は教えてやる。」 「あんた勉強出来ないんだろ。 」 「一応ここの卒業生だぞ。」 そう言うと楠本はポカンとして俺の顔を見た。 マグカップから出る湯気も相まって間抜け顔だ。 教師がその学校の卒業生であるのはそこまで珍しい事でもないだろう。 それとも、俺は本当に馬鹿だと思われていたのか。 「ここ、って…何コースの…?」 「お前も同じだ。」 「…全然知らなかった。」 「だろうな。一応首席で卒業してる。馬鹿は教師にはなれないからな。覚えとけ。」 「え、…えぇ………」 未だに信じられない、という顔をしている楠本を見てクスクスと笑う。 あぁ、少し気分がいい。 楠本はわかりやすくてその上、からかいやすい。 根は明るくて面白いやつなのかもしれない。 …ということは、つまり。 「……ぃ"、てて……」 「どうした?」 「股関節、…多分、変に開かれてたから…痛くて。」 「後でマッサージでもしてやろうか。」 「…いい。誰かに触られるの、得意じゃないし。」 そんな人間はもう壊れてしまったって事なんだろう。 自由に笑う楠本も、何かに楽しそうに取り組む楠本も。 俺はもう、出会うことは出来ないのかもしれない。

ともだちにシェアしよう!