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トクン、トクンと心臓が音を立てる。
こんな簡単な言葉にどこかときめいているのならそれこそ笑いものだろう。
俺は一度瞬きをするとなんでもないような顔をして見せた。
「…そ。これ、落としたのどうしたらいい?」
「それはもう使えないな。ゴミ箱持ってくるから待ってろ。」
「わかった。」
俺が必死に"何でもない"を作ったのに、皆木は当然のように澄ました顔をして向こうへ行ってしまう。
…これじゃ子供みたいだ。
俺は立ち上がっては被っていた布団を四つに折り、それを抱きしめたままぼーっと戻ってくるよのを待っていた。
「ここに全部入れろ。金属の入れ物はそのまま置いとけ。」
「ん。」
「今日はお前、家に帰るのか?」
「……え。」
頭から完全に飛んでいた話題を振られ、手に持っていた包帯がボトリとゴミ箱に落ちていく。
皆木は特にリアクションせずに続けた。
「どうせ帰っても帰らなくても同じなんだろ。不便がないならうちに来ればいい。」
「…いいのか?」
「嫌なら誘わない。」
「ぅ、……」
ここで、そのまま甘えるべきか。
それとも…断って家へ帰るか。
抱きしめていた布団に力がこもり萎んでいく。
家には帰りたくない。
けれど皆木に甘えていいのかもわからない。
「……あ、そうだ。」
「なに…?」
「間違えて夕飯のデリバリーを二人前頼んだんだった。病み上がりでも食べられる、美味いリゾットの店なんだけどな。」
そう言っては皆木がわざとらしく首をかしげた。
まるで「こう言えば素直になれるか」なんて、言っているみたいに。
満足に食事をしてないし、ゆっくり眠ってすらない。
…家に帰ったって、まともな生活を出来る保証はない。
「仕方ないから…食べて、やる。」
「よし、決まりだな。それさっさと捨てて布団おいてこい。準備が終わったらさっさと帰るぞ。」
「…ん。」
「あぁ今日はなんだか長い1日だった。」
伸びをしながら向こうへ歩いていく。
白衣についた埃やシワを見て、ジクリと胸が痛む。
俺の、せいで。
「楠本。」
「…なんだよ。」
「あんまり自分で自分を追い詰めるなよ。」
何度、この男の言葉に救われてるんだろう。
俺は見えないと分かっていながらも黙って頷き、何も言わなかった。
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