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トクン、トクンと二人の心臓の音が重なる。 さっきまで腕の中で壊れそうなくらいに震えていたソレはようやく落ち着いたらしい。 楠本が眠ってから3時間くらい経った頃だろうか。 リビングで仕事をしていた所に、廊下からドンドンと何かが暴れるような音が聞こえてきた。 慌てて部屋を覗くと暗闇の中で壁を叩きながら「助けて」と繰り返し叫ぶ姿があった。 1人で寝かせるのは良くなかった。 そう反省しながら、落ち着いた様子の楠本の顔を覗き込む。 「まだ怖いか。」 「……もう大丈夫。」 その声に合わせて体を離すと、楠本は膝を抱えて小さくなっては目を伏せた。 この精神状態に一番驚いているのは本人だろう。 怖くて不安で仕方ないはずだ 「何が一番怖かった?」 「……暗かったの。」 「そうか。電気はつけておくべきだった。俺の判断ミスだ。」 「変だった、…前よりもっと…」 楠本はそう言うと、言いにくそうに震えた唇を噛む。 怖い思いをしたからだろう。 前よりも臆病になっている。 …いいや、今の状態はむしろ奇跡と言えるレベルだろう。 普通なら人として保ってられないはずだ。 「どんな風にか教えてくれ。」 「血が、目の前で弾けるみたいな…息が出来なくて、…死ぬ、って思った。…あと、なんか…嫌なことばっか思い出して。」 「そういう風になるのは前からじゃないな?」 「…最近は、たまに。でも…昨日と今日はおかしい。何がきっかけかもわからない。 」 楠本の爪が、自分の足へ食い込んでいく。 俺は慌ててその手を上から握りしめると驚いた顔で俺を見上げるソレへ首を横に振った。 自傷行為は良くない。 「なぁ楠本。お前がレイプにあうのも、なにか傷付けられるのも1度じゃなかっただろ。…その中でも今回のは特別になにか怖い思いをしたんじゃないのか。」 「……怖、い…」 「思い出すのはきっと怖いな。だが、それが原因なら吐き出すほうが楽な可能性もある。無理矢理に言わせるつもりはない。お前はそう言うのを嫌がるだろう。」 「……ん。」 こくり、と1度頷く。 話さないまま腹の中に貯めておくからこう悪循環が起こってしまうんだろう。 それならどうにか本人から話しやすい環境にならないだろうか。 「話したくはないか。」 「……吐く、かも。」 「洗面器持ってきてやる。」 「用意周到だな。」 楠本はそう言って、青ざめた顔でクスリと笑った。 そんな顔が見たいわけじゃない。 楠本の痛みきった髪を指でとかしながら最後に確認する。 「俺に話すのは、本当に嫌じゃないか。」 ソレは1度目を逸らしたが、こっちを見ると掠れた声で 「あんたは変な同情もしないし。…このままの扱いでいてくれそうだから、別にいい。」 と言った。 俺は「そうか。」とだけ言ったが、本当のところはこのままの扱いでいられる自信は無かった。 きっと、俺は酷く同情しては甘やかしてしまうだろう。 と、言いはしないけれど。

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