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届かない声。
閉じた扉を見て首を傾げる。
…何だったんだあいつ。
水道の蛇口を締め、椅子に座ったままの楠本へ目を向ける。
さっき奏斗の肩越しに楠本の顔を見た時、息苦しそうに喉を抑えていた顔は見間違えじゃないだろう。
「楠本。」
「……ぁ、…」
「どうした?喉が痛いか?」
その問いかけに口をパクパクと開いては眉間にシワを寄せる。
片手で喉を抑え何かがおかしいんだと訴えるように。
濡れた手を拭きながら側まで行くと、楠本は一度目を閉じてからもう一度口を開いた。
「ヒュ―……、ス……ヒュ、ッ……!」
「……楠本?」
足元にしゃがみ、下から顔を覗き込む。
苦しそうに何度も息を吐き出す姿はどう見ても異常だ。
まさか。
と、手を伸ばし楠本の手へ重ねる。
「声、出せないのか。」
その言葉に暫く目を見開いていたが、直に手の力が抜け目を伏せるとコクンと頷いた。
突然、体に起きた異常にパニックになっていたらしい。
さっき奏斗がいた時から異常は現れていたんだろう。
それは口に出す事すら出来なかった。
声を失ったからだ。
「…痛くないか。」
「他に、異常は。耳は聞こえるか?」
問いかけに一度頷き、一度首を降り、最後にもう一度頷いた。
声が出せない以外は大丈夫らしい。
俺は曲げていた膝を伸ばし下から楠本の体を抱きしめる。
壊れるほど強く、強く。
「…大丈夫だ。大丈夫だからな。」
それしか他に言えなかった。
何が大丈夫なんだ?何を根拠に?
一生声を出せないかもしれないのに。
楠本の手が俺の背中へ伸びてくる。
弱々しく震えた指先が触れると、ゆっくりと小さな力で
『ごめん』
と、確かにそう背中へなぞられる。
「…もう、謝るな。」
俺はそうとしか返せず、他に何も言えなかった。
首元に埋まった頭が重くてその重みが唯一生きている気がして。
やせ細った体と消えた声。
自信なさげに話す姿や、少し笑った顔を思い出す。
なぁ、神様はさ。
少し1人から奪いすぎなんじゃないか。
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