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楠本へどう接したらいいのかわからず、つい奏斗へ相談の電話をしてしまったその時だった。
タイミングよく鳴ったノックは久しぶりの楠本からのアクションで。
「あ、どうした?」
扉越しにそう声をかけると教科書を抱きしめた楠本が浮かない顔を覗かせた。
この様子だと随分悩んだ果てに相談しに来たんだろう。
「あぁ。教えてやるからちょっと待ってろ、すぐに行く。」
そう言い奏斗へ断り電話を切ると、楠本はノートの端に小さく文字を書いてはそれを俺へ差し出した。
『ジャマしてごめん』
「相手は奏斗だ。気使わなくいい。ここでやるか?あっちでやるか?」
『わかった、ここでいい』
必要最低限の文字だけじゃまるで楠本の心は読めなかった。
今、どんな事を考えてるのかだとか何を思ってるのだとか。
声ってのは案外重要でテキストだけじゃ伝わらないことの方が多いらしい。
椅子を引いて机を空けると、ノートと教科書を開き黙って問いを指さした。
「あー…ここはな、方程式になってるだろ。公式に当てはめて左右を合わせれば解ける。当てはめる数字は……」
指を指し数字を示していく。
そんなに難しい問題ではない。
確かに小難しい記号が並んではいるが、これくらいなら楠本はすぐに理解できるはずの範囲だ。
「…ってとこだな。」
そう言って説明を終え顔を上げると、楠本はじっと教科書を見たまま固まっていた。
右手に持つシャーペンの芯は折れ、ノートに黒い汚れを作っていた。
まるで"なぜわからないのかが理解出来ない"みたいな顔をして。
「…楠本。」
『わからない』
「どこがわからなかったか、わかるか?」
『理解できない つながらないんだ』
震えた文字がそう連ねた。
まるで今までならわかっていた、と言うような言葉に違和感を感じた。
ふと教科書のページを見ると数時間前に声をかけた時から進んでいないらしかった。
2年の学年末テストでトップを取っていた楠本がこの程度で躓く訳がない。
精神的なものがあったとはいえ理解できなくなるなんて事、脳か身体に変化がない限りありえない。
「脳か、身体に変化…?」
その言葉が何かに繋がった気がした。
ふとあの日、書庫で見たファイルの記録が蘇る。
1年と2年のデータに"α"の文字があったことが。
「なぁ、楠本。お前に聞きたいことがある。」
俺がそう切り出すと、楠本はシャーペンを握りしめたままゆっくりと顔をこっちへ向けた。
"聞かないで"なんて言いたそうなくらい表情をしたまま。
「…お前は生まれつきのΩじゃないのか?」
「元はαだったって、そんな事…ありえないよな?」
段々と大きな瞳が開かれていく。
見開いた目が何かを訴えるように俺を見つめた。
聞いてはいけないことを
聞くべきではないことを
とうとう、聞いてしまった。
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