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砕ける

静かな廊下を走り抜ける。 何故。 それが初めだった。 何かがあればすぐに押せ。 そう繰り返し伝えておいたはずだ。 いつも我慢が過ぎるアイツでも流石にそれは了承していた。 レイプ、となればすぐにでも押すはずだ。 それすらも出来ない程急に強く襲われた? 「……んで、だよ。」 声にならない怒りが湧き上がる。 何に怒ってるのか、それすらもわからなかった。 手を出した生徒に?この環境に? それともまた救えなかった俺自身に? きっと答えは最後の一つだろう。 教室の前に立ち、扉に手をかける。 が、鍵がかかっているのか開かない。 焦る手でマスターキーを手に取り急いで鍵穴に差し出す。 見たくない。 本当はもう、目にはしたくない光景だ。 何度目だろう? 俺はまた自分の無力さを突きつけられる。 「……楠本。」 返事は帰ってこないとわかっている。 それでもその名前を呼んで教室へ踏み込んだ。 後ろ手で鍵を占め、1歩ずつゆっくりと前へ進む。 1部机が開けている所が見えた。 きっと、そこにあいつはいるんだろう。 見たくない、見たくない。 …早く抱きしめたい。 「く、………」 楠本。 そう名前を呼ぼうとして肺が閉まる感覚を感じた。 ソレは床に生ゴミみたいに落ちていた。 ソレは血生臭くて死臭がした。 ソレは青白く、そして紅かった。 カーテンの隙間から差し込む光がソレの顔だけを映し出していた。 ガタン と音がして手から救急箱が落ちる。 それから小さな音がしてシーツも床に伏せた。 俺は足から力が抜ける感覚を感じながら、ソレのすぐ隣へとしゃがみ込む。 震える手をソレの頬へ触れた。 乾いた血の感覚がした。 それから暖かい頬の体温を感じる。 生きている。 それだけが俺の受け入れられる事実だった。 「ごめん、…ごめんな。」 また、ダメだったな。 俺は何のためにこいつと約束を交わしたんだろうか。 偉そうにしたくせにまた同じことを繰り返している。 頬から手を離し、その身体を見つめる。 この生臭さの中からする鼻を突く甘い香りは発情期のせいなんだとすぐにわかった。 それはたしかに楠本の、そしてΩの匂いだった。 腫れ上がった唇はきっと自分で苦しみから逃れるために歯を立てたからだろう。 首にも、胸にも、腹にも。それから内股やあらゆる所に誰かが噛み付いた跡が残っている。 手首には楠本の首にあったであろうネクタイで結んだ跡が残り、痛々しく皮膚を削っていた。 床に水たまりを作る白濁液は恐らく中に出されたものが溢れ出したもので、頬の周りについた物も同じだろう。 それから太ももの外側にこびり付いた血の塊は、どうやら何か針状のもので何度も突き刺されたあとらしく。 長時間の行為で締りの悪くなった楠本への強制的な刺激だったんだろう。 身体中を見た後で俺は力が抜けた。 ここまでの事がこの世にあるんだと。 それが当たり前のように繰り返されているんだと。 目の前の状況が現実なんだと受け入れたくなかった。 「…お前、を……家から、出さな…きゃ、よかったなぁ……」 ぐったりとしたまま動かない身体を抱き、顔を伏せる。 青臭い気持ち悪い香りが鼻をついた。 ようやく顔を上げ、もう一度体を確認しようとした時、楠本の瞼がピクリと揺れた。 そのまま顔を見つめていると薄らと瞼が開き、それから右手が浮いた。 俺は何も言えないままその姿を見下ろす。 言葉が何も出てこなかったんだ。 右手が床についた俺の手に触れると、震える指が弱々しく手の甲をなぞった。 あ り が と う それだけを書くと手はまたぐにゃりと床に落ちる。 ただ呆然と見ている事しか出来なかった。 意識を失った楠本の顔はどこか、少し笑っていたような気がした。

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