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車を駐車場に止め、後部座席を覗き込む。
楠本はぼーっと前を見つめたまま居たが俺の視線に気づいたのか少し頭をあげてじっと俺を見上げた。
「そんな顔で見るな。」
とだけ言うと楠本は少し口角を上げ、目線を下ろす。
俺は車から降り後部座席の扉を開くと包帯の巻かれた頭を優しく一度だけ撫でた。
「揺れ、痛かっただろ。」
楠本は左右に頭を振る。
「骨が折れてたのは指だけだった。歯も全部あった。…左足の爪が二本無くなってた。あとは全部あった。すぐ生えてくる。傷もすぐに綺麗に治る。大丈夫だからな。」
そう嘘をつくと楠本は疑わずにコクコクと頷いた。
爪はきちんと全部生えるには一年以上かかるし、きっと傷は一生残る。
腫れは引いても太ももの刺された後は薄くなっても見えるだろう。
俺の知らないうちに背中に刻まれていたΩの印は死ぬまで、いや死んでも無くならない。
「……全部、痛かっただろ。今も痛いよな。」
そう呟いて上半身を優しく、出来るだけ刺激しないように抱きしめた。
楠本は左右に首を振って口だけで音は無く"大丈夫"とそう言った。
俺が抱きしめたところで、俺が悲しんだところで。
コイツの傷は消えないしコイツの痛みは消えない。
ずっと今日の苦しみは記憶に刻まれたままだ。
腫れた頬に手を添えて、ガーゼの上からキスをする。
すると楠本は左右に首を振っては大きな目で俺を見つめた。
嫌だったんだろう、と顔を離そうとすると折れた手が俺の頭の後ろに添えられる。
「…な、……ぅ、……っ…」
声を上げるより前に、唇と唇が重なった。
長いキスだった。
苦しくなった楠本が息を吐き出しても、それは終わらなかった。
舌と舌が触れて少し血の味がして。
閉じた楠本の目が薄らと濡れているのに気付いた。
それから一度瞬きをする。
大粒の涙が確かに楠本の瞳から零れた。
1粒、2粒。
それから溢れるように何度も涙は溢れた。
俺が出会ってから、初めて見た涙だった。
赤い夕焼けが涙に反射して燃えているように見えた。
これ以上傷つけるなと、その涙を指で拭って独り占めしてしまう。
ようやく唇が離れると楠本は濡れた瞳のままぼぅっとした顔で俺を見上げた。
「……皐月。」
なんとなく、そう名前で呼んでみた。
楠本はほんの少し笑うとボロボロと涙を落としながらゆっくりと唇を動かす。
し あ わ せ
今までで最悪のレイプの後の
今までで一番綺麗な夕日の中で
初めての涙を流した楠本は確かに幸せだと俺に言った。
楠本は俺の手を取ると、左手の指で手のひらをなぞった。
利き手じゃないほうの手でかく文字はグニャグニャと揺れてわかりにくい。
『やっと なけた』
「…やっと?」
『わすれて おもいだせなかった』
その言葉がどこか重くて、どこか引っかかって。
俺は曖昧な笑顔を向けることしか出来なかった。
疲れたのか俺をぼーっと見上げたままの楠本へ「そろそろ行くか」とだけ声をかけその体を抱き上げる。
前より少しは人間らしい重さになったがそれでもまだ不安になる軽さだ。
俺の腕の中で安心しきった顔をする楠本が酷く愛おしくて、そして胸が苦しくて仕方なかった。
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