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それから何日経っても皐月は保健室には来てくれなかった。
何度話しかけてもまるで聞こえてないかのように振舞った。
1度、頭に来て車椅子を止めた事があったがただ真っ黒な目が斜め下を見て弱々しく車輪を回そうと手をかけるだけだった。
「話をさせてくれ」
「親と何かあったのか」
そんな言葉はもう飽きる程投げかけた。
どの言葉にも全く無反応のままいつも通り過ぎていった。
あのレイプの日から一週間過ぎても、それは変わらなかった。
あの日キスをして幸せだと涙を流した皐月はどこに消えてしまったのか。
誰が何してそうさせたのか俺には何も知る術がなかった。
「優、不機嫌が顔に張り付いてるよ。」
「…うるさい。」
保健室の中、相変わらず入り浸る奏斗がクスクスと笑いながらそう言った。
奏斗が美味しそうに飲むマグカップの中身は9割牛乳のコーヒー牛乳で、むしろ珈琲を入れる意味があるのか気になってくる。
「怖いなぁ。楠本クンのことまだ進展はないの?」
「全くだ。」
「だろうね。愛想つかされたんじゃないの?彼、元々無口な方だったじゃん。」
「違うんだよ。…何かあったのは確実だ。ただ、塞ぎ込みすぎて何も聞き出せない。無視される対象は俺だけなのか?」
「…んー、流れを整理しようよ。」
俺がムシャクシャしていると奏斗は決まってそう言った。
今日もそれは同じだ。
感情のままに動く俺より奏斗は慎重で、いつも2つも3つも先のことまで考えて動く。
こんな時はコイツに従うのが吉だ。
「病院で隣に居る約束をしたまま優は出ていった。楠本クンからしたら起きたら親がいてびっくりだよね。」
「…それはそうだ。」
「ずっとキミの家にいて親からすれば行方不明状態の息子と再開。あの子の両親は厳しいから…きっと怒ったり虐待まがいのことをする。」
「だろうな。」
「…としたら、彼がおかしくなっちゃったのは親に何か言われたからってのが考えやすいよね。」
「その何かがわかれば苦労してない。」
それもそうか、と奏斗は言う。
ここ1週間ずっと考え込んでいたが答えは皐月しか知らない事だ。
今はとにかくアイツと接触する方法を考えないといけない。
…このまま永遠に話せない、なんてのだけはごめんだ。
「親や兄弟にされた事はキミに打ち明けた、つまり虐待だけならあの子はキミにすぐに相談するはず。それをキミを頑なに避ける…ってことはさ。」
マグカップを逆さにして中身を飲み干すと口の周りをペロリと舐める。
それから、一度瞬きをして恐ろしいくらいの笑顔で
「キミに関わったら殺す、…ううんそれじゃまだなんだか生ぬるいね。
キミに関わる事が悪だと刷り込まれて…生きてることを強く否定された、とかじゃないかな?」
と言った。
生きている事を否定される?
それがなんで、俺を無視する理由になるんだ。
「…よくわからない。」
「子供ってさ、親に必要とされなくなったら終わりなんだよ。親に嫌われないようにって必死に足掻くものなんだ。
だからね。キミと関わる事で親にこれ以上嫌われるなら…」
もう嫌われたくないために俺と関わるのをやめる。
それが皐月が出した答えだったってことか。
「全部ボクの憶測だからわからないよ。知らないけど、そんな所じゃないかな。……優、大丈夫?」
ふらふらと頭が揺れる。
わかったふりをしてわかっていなかった。
アイツが親に否定されて、必要とされない事をどれだけ恐れていたか。
時々浮かべる微妙な表情に気付けなかった。
親を思う気持ちに気付けなかった。
「そうか、…子供は親に嫌われたくないんだな。そんな事も知らずにアイツと親を遠ざければ済むと思っていた。」
「……優、…ボクそんなつもりじゃ……」
「…親ってなんなんだよ。誰もそんなの教えてくれなかったぞ。」
親のいない俺じゃ分からない事を皐月は心のどこかで抱えていた。
わかった気でいた自分が憎らしくて取り返しのつかない過去の自分を恨んだ。
もう、何も戻らない。
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