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凹凸のあるアスファルトの上は車椅子で進むには少し不便だ。 この振動を感じると家が近いのだと思い出す。 家の門の前で足のストッパーを外し、地面に足をつく。 変な形で長時間固定され筋がおかしくなったせいで暫くは上手く立てないと医者に言われた。 リハビリをすれば2週間で歩けるようになるらしいけれど俺の親はあれから二度と病院へ行くことは許してくれなかった。 足に体重をかけた瞬間ピキ、と切り裂くような痛みが走りそのまま車椅子へ体が落ちる。 やっぱり家に上がるにはあの方法しかない。 バリアフリーの欠片もないこの家じゃ車椅子に乗ったまま門をくぐることさえ出来ない。 「ッ、………」 鈍い痛みに耐えつつ、床へ崩れるように車椅子から降りる。 左手で車椅子を引き寄せ門の端へ置くとそのまま這うように体を引きずりながら玄関へと向かう。 誰かが手を貸してくれればきっとこんな事はしなくていいんだろうけど、今となってはこの家では俺は家族としては扱ってもらえてないだろう。 やっと玄関へ入り、壁へ体重をかけながら廊下を進む。 台所へ水筒を出そうと顔を覗かすと母さんが夕食を作っているところだった。 仕方なく廊下へ戻り階段へ向かう。 あれから母さんは俺の顔を見ると悲鳴をあげて泣き出すようになった。 関わらないように、顔を見せないようにするのが俺が唯一出来ることなのかもしれない。 階段を上ることは出来ないから俺はまた這うように床を伝っていく。 まるでどこかのホラー映画みたいだ。 「あ。」 階段の上から声が聞こえて顔を上げる。 兄は俺を見下ろしながら、暫くだまっていたけれどすぐに不自然な笑顔になった。 「うちの階段手すりないから流石に立てないか。上まで運んでやるよ。」 その声に返事をしないままいると、脇の下に手を入れられ引きずり挙げられるように進んでいく。 時々段差にあたる体が痛むけれど自分で登るより楽だし早いから、これは有難いかもしれない。 階段を上がりきったところで礼を言おうと後ろへ顔を向けるが、止まらずにそのまま廊下を体が滑っていく。 「……、?」 「そんな顔すんなって。ご奉仕ご奉仕。」 その声になんとなく察して俺は滑っていく床を見ていた。 元はと言えば俺の生活が狂ったのは兄のせいだった。 もう、どうでもいいけれど。 やめて なんてお願いしてもどうにもならない事がこの世にはあって。 「お前、学校でもレイプされたんだって?可哀想にな。2年間必死に成績トップを守ってたのにさ。Ωになった途端落ちこぼれってほんと笑えるよな。」 ベッドに体をあげられ、上に被さる兄をぼーっと見つめた。 勉強しないといけないのに。 こんなことしてる場合じゃないのに。 兄の手が俺のシャツのボタンを外して、長い指が腹を撫でた。 「痣と傷ばっか増えて何も無いもんな。正直さ、お前には同情するよ。何も残ってないもんな。なんで必死に生きてんの?俺ならとっくに飛び降りでもしてたけどな。 父さんも母さんも言ってたぞ。お前が居なかったらこんな面倒な事にはならなかったのにって。親のくせに酷いよな。兄貴なんか家出て量で暮らすって。Ωの匂いに酔って気持ち悪いんだと。」 指が降りてズホンのベルトに触れる。 この制服が、唯一俺と皆木を繋ぐもので。 そういえばこれが無くなればあの日々を証明するものは無くなるんだ。 これだけは 無くしたくないなぁ。 「厄介者扱いされてどんな気持ちだ?俺なら耐えられねぇよ。誰にも必要とされないなんて悲しいよな。 一人で登下校すらまともに出来ないで床に這う生活なんて嫌だろ?」 ズボンを膝まで引き下ろされ、そのまま体を弱くだかれる。 顔と顔が近付いて俺よりもずっと大人っぽい兄の顔が目の前まで迫ってくる。 頬を生暖かい舌がなぞり、それから俺によく似た声が囁いた。 「生きるの手伝ってやる。その代わりに、俺の玩具になれ。」 その言葉の意味がわからずに、首を傾げた。 兄の手が体を撫でて下へ伸びると後ろへ触れ押し込むように指が割って入ってくる。 ジリジリと迫ってくる痛みに顔を顰めるが兄は気にせずに言葉を続けた。 「登下校も手伝ってやるし、父さんや母さんの仲介もしてやる。悪い話じゃないだろ?その代わりお前は俺のストレス発散のための玩具。俺には逆らわない。 どうする?嫌なら俺はお前に今後関わらない。もし飲むならこの瞬間から。…もちろん、俺だって別に機嫌がいい時は何もしないしな。」 熱にうかされながら少し考える。 俺が兄に車椅子を押され不自由なく登校し、兄と帰っていたら。 朝も遅刻せず帰りも無理をしていなければ。 皆木は少しは安心するだろうか。 母さんは落ち着いて生きてけるだろうか。 父さんは怒らずにいてくれるだろうか。 「皐月、どうする?」 俺はじっと兄の目を見て、1度だけ頷いた。 兄は楽しそうに笑っては「決まりだな」とだけ言った。 押し込まれた指が奥を突き上げ、それから次の瞬間には足を折られ、大きく広げられていた。 鋭い痛みに目を細めるけれどそれは止まらない。 自由を1つ手に入れるには不自由が1つ増える。 それくらいの方がわかりやすくていいかもしれない。

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