176 / 269

10

外に桜が咲いたある日。 お父さんはボクの前に大きな段ボールを置いては淡々と言った。 「かな、今年から学校に行くんだ。物は全部ここにある。放課後は遅くならないこと。それが条件だ。」 それだけ言うとお父さんは向こうへ行ってしまった。 暫くポカンとしていたけれど段ボールの中を見た時、ボクはパァと笑顔になる。 ランドセルや服、靴。 教科書に絵の具セットと鍵盤ハーモニカ。 それはボクが夢見ていた普通の小学生で、優との日常だった。 ボクは慌てて部屋を飛び出す。 砂利の上、コンクリートの上、気にせず走り出す。 早く優に言いたい。 その思いだけで息切れも気にせずに走り続けた。 優は魔法使いみたいだ。 ボクをこの家から連れ出してくれる。 優はヒーローだ、優はすごいんだ。 いつもの優の家の前まで向かう。 同じ門の前に今日は黒い車が止まっていて、その前には知らないおじさんが立っていた。 開いた門の中には優が立っていてその目は大きく開かれていた。 いつもと違うのは子供のボクにだってわかった。 ボクは少しずつ近付きながら左右を交互に見る。 「………優、…?」 ボクのその声に、おじさんは1度ボクを見てはニヤリと笑った。 「皆木優くん?」 その声に優は首を振る。 暫くわからずにいた。 けれど、おじさんはもう一度ボクを見ては 「…やっぱり。……ごめんね、ここで死んでもらうよ。」 と言い放った。 優の目が大きく開く。 それから何もかもがゆっくりに見えた。 確かに目の前にあったのは拳銃で、その先には優がいた。 何もわからないままボクの足は走り出して、宙に浮くのと同時に優の肩に両手が触れていた。 突き飛ばしたのと同時に火薬の匂いがしてチカチカと周りが揺れる。 「……か、な………」 優の声を聞きながらボクの体は落ちていく。 パラパラと視界の端でミルクティー色の糸が舞った。 それと一緒に光った何かは、いつか優と見た打ち上げ花火みたいで。 綺麗だなってボクは少し笑った。 ドスン、と大きな音がして優とボクが地面に落ちたんだと気付いた。 おじさんは暫く固まっていたけれどすぐに怖い顔をして 「車を出せ、違うガキが飛び出した!早くしろ!」 と叫ぶと車と一緒にどこかへ行ってしまった。 ボクは優の上に乗っかったままで暫くぼーっとしていた。 起き上がりたいのに体に上手く力が入らない。 「…奏斗、血……お前、血が……!」 「え?」 そう言われて優の視線の先を見る。 僕の左肩は真っ赤で、Tシャツも血だらけだった。 それから左半分の髪が短くなって地面に落ちていた。 あぁ、あのミルクティー色はボクの髪で花火はボクの血だったんだな。 「……奏斗、なん…で………」 「…優が怖いって顔をしてたから。優が、…助けてって顔…したから。」 優の目からボロボロと涙が落ちる。 泣かないで、まだ悲しいの? 優の涙は好きじゃないよ。 泣かないでよ。 「ボク痛くないよ。だから、泣かないで。」 「嘘だ、っ…痛いに決まってる…怪我してんだぞ……!!」 「…優、血嫌い?」 「嫌いだ、っ…痛いのも、血も…嫌いだ…!」 「そうなんだ。優、いつも怪我してるから…嫌いじゃないと思ってた。」 左手が上手くあがらない。 仕方なく右手で優の手首を握った。 いつも通り、優の手は包帯が巻いてあって黒い血が滲んでいた。 ボクの肩から落ちた血が包帯に触れて、新しく染みを作っていく。 「これからは嫌いなこと、無理してしなくていいんだよ。」 「そんなこと…言ってる、場合じゃ……」 「…肩、痛いけど。この痛いの…優に当たらなくてよかった。優がまた痛いって思わなくてよかった。」 ボクがそう言うと優はボクを力いっぱい抱きしめてくれた。 痛いよ、苦しいよ。 そう言いたいのに声が出なかった。 優。 キミが痛くないようにボクがキミを守るよ。 だから、キミはもう無理しなくていいからね。 そう言いたくて、言えなかった。

ともだちにシェアしよう!