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ピタン と、小さな水の音が鳴る。 それは台に縛り付けられたままのボクの頬から落ちた涙の音だった。 床に涙が落ちる度、なにかがすり減っていく。 開いたままの口からは胃液と混ざったヨダレが垂れる。 どこまでボクは汚いんだろう。 「かな、前を向きなさい。」 ボクは声の通り重い頭を持ち上げ、前を向く。 目の前には大きな姿見があってそこにボクの体が頭のてっぺんから足の先まですべて写っていた。 ぼんやりとした視界でもわかる。 顔は殴られたせいで腫れ上がっているし、体は痣だらけ。 その上縛られたとこは赤い線になってきるし痩せ細った体は自分の体でも気持ち悪い。 「自分を見失うなよ、いいな。」 「……ぁ"……ひ、……っ…」 声が出ない。 裏返って床に落ちると乾いた空気だけが押し出された。 もう何も望まないでおこう。 自分の体を見てそう誓った。 いつか、きっと楽に死ねる時が来る。 その時まであと少しだけ待っていよう。 今までだって、なんとなく生きてこられた。 優の前でだけは嘘をついて綺麗なボクを見せてきた。 これからだって同じようにやっていける。 「かながどんな姿だって、お父さんだけが受け入れてあげるからな。」 その言葉に目を伏せる。 嘘だってわかってたから。 優だけがボクを受け入れてくれた。 髪の短いボクも、男に近付いていくボクも。 …それは本当? 優の前では、疑われないように無理してご飯を食べた。 優の前では、疑われないように笑って過ごした。 見えない場所で全部吐いて出した。 見えない場所で苦しくて蹲っていた。 嘘しか見せてないのに、それは本当に受け入れられてる? 「…ぅ"……」 考えれば考えるほど頭がおかしくなりそう。 ボクはどうしたらよかったんだろう。 優に嫌われたくない、優に愛されたかった。 優の望む、1番の親友になりたい。 ただ それだけでいい。 頭が痛くて、目を開く。 鏡の中のボクは白い顔をして死んでしまいそうだった。 こんなボクを 本当に望んでるの? 「……お父さん。」 「なんだ?」 ボクはじっと鏡を見て、枯れた声で呟いた。 また、優の前で笑えるように。 今だけは壊れかけてても許してほしい。 だから今だけこんな事だって言わせて。 「……ボクのこと、好き?」 父親はボクの骨の浮き出た背を優しく撫でる。 それから、甘ったるい吐き気のするような声で 「愛してるよ。」 と囁いた。 あぁ、こんなボクでも愛されるんだと少しだけ安堵した。 それと同時に、こんなボクじゃないと愛されないんだと知ってしまった。 もうボクはとっくの昔に壊れてたんだと この時、やっとわかった。 目を閉じる。 世界から目を背ける。 これから先、ずっと嘘をついて生きていこう。 笑っていれば疑われない。 ずるくてもいい、誰に嫌われたっていい。 ただ 優だけには嫌われないよえうに生きていこう。 時枝 奏斗を愛してくれる人はきっといない。 それなら 誰にだって愛される都合のいいボクを作ってしまおう。 冷たい床と、千切れそうな体の痛みの中 ボクはそう誓った。

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