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兄のスパルタなリハビリのおかげか、目標通り1週間後には一人で歩けるようになっていた。 多少はふらつくしまだゆっくりとしか歩けないけれど。 体重をかけても前より痛くないし、負担も少ない。 それは確かに体が治ってきたのもあるけど 「皐月、お前更に痩せた?」 兄が今朝、唐突に言ったその言葉通り前よりも体重が落ちたのもあるのかもしれない。 今まで動かずに楽して登校してたせいで気付かなかったけれど、ゆっくり歩く外は日差しがきつくて前よりも夏を感じる。 もうそんなに季節が経っていたんだと、ようやく落ち着いてそう思えた。 でも、始業式のあの日から俺は少しも成長していないらしく。 …むしろ退化したようで。 「歩けるようになったんなら、また俺たちと遊んでくれるよなぁ??」 登校早々そう言われて突き飛ばされると、そのままろくに抵抗もできずいつの間にか廊下で小さくなっていた。 弱いまま、今もこうやって一人だと力に負けてお終いだ。 通り過ぎる人は俺を「あれ、Ωの。」と呟くだけで皆、見て見ぬふりをした。 頬を付けた廊下の床は冷たく、外から差し込む日差しとは不釣り合いで。 ても、これくらいの冷たさが今は少しだけ心地よかった。 「くっすもっとくーん!」 移動教室に行こうと教室を出た時、待ち伏せをしてたらしい先生が後ろから元気よくそう言った。 振り向くと笑顔の先生が半ば飛びつくように俺との距離を詰める。 「やぁ!車椅子卒業したんだって?おめでとう!」 慌てて荷物の中から紙を出そうとすると、先生は「少しだけだから大丈夫だよ」と言った。 申し訳なくて頭を下げると先生はしゃがんで、そんな俺をしたから見上げた。 「キミは本当に謙虚だね。っはは!こういう時は"ありがとう"って言うのが正解だよ。」 俺は口を ありがとうございます と動かす。 先生は満足したようにニッコリと笑うと、勢いよく立ち上がる。 それから俺の手荷物を覗き込んだ。 「次は体育?…あ、キミはまだでられないもんね。ボクも一回に用があるから一緒に降りようか。」 一度頷く。 先生は何も言わずに俺の遅い歩幅に合わせて、わざとのんびりと歩いてくれる。 先生のその当たり前みたいにできる優しさが格好よくて、少し合わせられてばかりの自分が恥ずかしくなった。 「お兄ちゃんとはもう一緒じゃないの?」 一度頷く。 「そっか。ね、楠本クンはあのお兄ちゃんと仲良いの?」 …仲良いのか。 それは俺が一番わからない事で。 リハビリに付き合ってくれて、夕飯を運んで来てくれて。 結局理解はできなかったけれど勉強も見てくれた。 その代わり、2日に一度は行為を強要されるし何かが起こると蹴り飛ばされることもある。 「わかんない?」 俺はやっぱり紙を引き出すと、ボールペンで1言 『ふつうだと思う』 とだけ書いた。 先生はその文字を見て、一瞬目を細める。 その顔はいつもの先生の顔に見えなくて。 怖い、冷たいような目。 「…普通、かぁ。うんうん。それが一番いいよね!」 …気のせいだった? 先生は次の瞬間には満面の笑みを俺に向けていた。 いつも通りの顔。 俺はコクンと頷いてそれからも先生の雑談を聞きながら歩いた。 あの一瞬の違和感はなんだったんだろう。 「それからお母さんの作るカレーがすっごく美味しくてね?ボク、3杯もおかわりしちゃって困らせたなぁ。こう見えてもボク大食いでね?」 先生がクスクスと笑いながら話す。 俺が不安になる隙を作らないようにしてくれるみたいだ。 俺も釣られて少しだけクスクスと笑う。 壊れた日常がほんの少しだけ、楽しいなぁと思えたような気がした。

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