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血迷っていた。 1人で過ごす夜が酷く寂しかった。 目を閉じれば瞼に焼き付いたあの不器用な笑顔を思い出す。 些細なことで大袈裟に喜んで、怒って。 その癖に苦痛だけは人一倍溜め込む不器用なあの男の事を。 その反動かもしれない。 いつもより早く教室へ向かってしまったのも間違いだった。 少し前をヨロヨロと歩く後ろ姿に、俺は我慢ができなくなってしまった。 このまま放っておけばまた教室でなにかされるかもしれない。 また、ボロボロになって諦めた目をするのかもしれない。 それがどうしても耐えられなかった。 その細い手首に触れて、強く握って。 掠れた息の音を無視した。 やめて、離してと叫んでいたかもしれないのに。 これじゃ 他の奴と俺も同じだ。 保健室まで連れ込んで、鍵を締める。 そこまでしてようやく冷静になった。 目の前で俯く皐月の姿を見てただ「やってしまった」と自分を蔑んだ。 何か、言わなきゃならない。 「………悪い。こんな、つもりじゃ…」 それじゃどんなつもりなんだ、と自分に問いかけてしまう。 皐月はまだ俯いていた。 早くここから解放しよう、と今閉めたばかりの扉に手を伸びすと小さな力で白衣の袖を引かれる。 驚いて振り向くと皐月は俯いたまま俺に手を伸ばしていた。 「……お前は、無理やり連れてこられたんだ。いいな。」 皐月は一度頷く。 何かが起これば俺が強制したと言おう。 そう、一つ誓って俺は両手を広げた。 皐月は倒れ込むように俺の体へ距離を縮める。 小さな体が俺の腕の中に収まって、さらに小さくなる。 皐月の手は俺に伸びなかった。 ただ、俺が抱きしめただけ。 無理やり 意思を聞かずに。 廊下からチャイムの音が聞こえてくる。 SHRにはもう間に合わない。 2人だけの時間がゆっくりと ただここだけで流れていた。 * 俺が閉じていた腕を広げると、皐月はすぐに距離をとった。 目は合わない。 背負っていたリュックからノートとペンを取り出すと、ギブスの取れた指でペンを握った。 俺の知らない間に怪我も少しずつ治っているらしい。 『ごめん』 「謝ることは何も無い。…謝るのはこっちの方だ。」 『ひどいこと した』 その文字は震えていた。 恐怖でも、寒さでもなく きっと俺への悲観的な感情からだ。 俺は左右に首を振る。 お前は悪くない。 そんな安い言葉じゃ崩れた皐月の心はきっと元には戻らないだろう。 「皐月、今だけは逃げずに聞いてくれ。…お前の意思で俺を拒否したのか。」 皐月はようやく顔を上げると、真っ赤な目で俺を見た。 今にも泣き出しそうな目だった。 今はあの日みたいな"幸せの涙"じゃない。 苦しさや痛みを溜め込んだ涙だ。 皐月は暫く俺の目を見つめた後ゆっくりと、そして僅かに首を横に振った。 この意思表示を今まで躊躇って出来なかった。 つまり、何かを裏切る行為になるんだとすぐにわかった。 「……安心した。」 『誰にも言わないで』 「言わない、俺だけの秘密だ。」 『こわかった』 間を置いて、五文字が並ぶ。 崩れそうな字だった。 何が怖かったのか、どれが怖かったのか。 いくつも候補がありすぎてわからない。 皐月の握るペンの先が震えてノートにいくつも文字にならない線を書く。 「何があったか、まだ言えないんだな。」 皐月は一度頷いた。 そのまま俯いて顔は上がらない。 「その言えない事は、お前を必要以上に苦しめてないか。…先が見えなくはなってないか。」 もし、その何かが 皐月が前を向けないくらい、何も出来なくなってしまうくらい。 例えば どうやって生きればいいのかわからないくらい苦しめる言葉なら。 俺はどうにかして、…いや。 何をしてでも救い出さなければならない。 皐月は暫く紙を見つめていた。 きっと声が出ていれば反射的に答えてくれるような質問も、今は考えさせてしまうせいで聞き出せない。 皐月から声を奪って 逃げ道を奪って それから 幸せを奪った世界が 憎くて憎くて仕方なかった。 『わからない』 「……わからない?」 必要以上に苦しめているのかが…わからない。 の、だとそう思った。 でも次の文字を見て 俺は息が止まる。 『もう ずっと前から なんで生きてるのか わからない』 「………さ、…つ…」 『しんだほうが らく だった』 確かにそう繋いだ文字を、皐月はグチャグチャとインクで潰す。 それからノートのページを雑に切り取るとノートを床に落として、紙を丸めた。 吐き出した本当の気持ちを 無かったことにしようと。 「……皐月、顔を見せろ。」 「っ、……ひ、っ…」 「なんで泣いてないんだよ。…なんで、…今こそ泣く時だろ?…なんで苦しい時に泣けないんだよ、なぁ…!」 思わず両肩を掴んで声を張り上げてしまう。 皐月は怯えた目で俺を見上げる。 それから、震えた唇を必死に動かしていた。 「………ぁ、…ふ…っ…」 「なんだ…?大丈夫だ、ちゃんと聞き取るから。…声、聞かせてくれ。」 掠れた音が保健室に響く。 それは、ほとんど吐き出しただけの息の音だったけれど。 「ハ、…フ、ぅ……ヘ、ハ…ッ…」 「…………わ、す、れ、た…。」 あの、クラス中から襲われた日。 夕日で焼けた車の中で やっと泣けた 忘れて思い出せなかった を俺に伝えた姿を思い出す。 幸せ という感情での涙は知っているのに。 辛すぎる時も、苦しすぎる時も。 コイツは泣く事すら出来ないんだとこの苦しそうな目を見て思い知らされた。 目の前で辛そうに喉を抑える姿を見ても、俺は何も出来ない。 俺がいくら胸を痛めたところで 少しも皐月のためにはならないんだ。

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