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一日 二日 三日 日が過ぎるのは早い。 過ぎていく中で、唯一変わったのは朝向かう教室にアイツの姿が無いことだけだ。 はじめは探しに行くべきか、連絡を取るべきか。 なんて悩んでいたが結局は答えが出ずに今日を迎えている。 あの最後の日。 保健室のベッドの向こうへ消えた後ろ姿を、俺はもう覚えていない。 雨の中へどんな気持ちで飛び出したのかなんて俺にはわからなかった。 だってアイツは俺に何も教えてはくれなかった。 同じように俺だってアイツへは何も伝えられてはいなかった。 だから、どれだけ苦しんでいたとしても俺はきっとそれを知らないままに生きている。 きっと今日も、明日も。 「優、顔色悪いよ。」 そんな声に顔を上げる。 放課後、ファイルの整理に付き合うと言い出したのは奏斗の方からだった。 最近の俺は見るに堪えない、なんて呆れた顔をしながら。 「保険医が顔色悪いってどうなんだよ。」 「ボクに言われたって知らないよ。」 「……なぁ、奏斗。俺は少し前から…なんか、変わったか?」 「変わったよ。」 ファイルを捲りながら、不機嫌そうにそう言った。 何がそんなに不機嫌にさせているのかはわからないが、奏斗は顔を挙げずに続ける。 「苦しそうになった。いつも悩んでるみたいでキミらしくない。余計なことで頭がいっぱいみたいで、自分以外の何かでずっと悩んでる。」 「…その通りだ。」 俺は最後のページになったファイルを閉じると、横にそれをはけながら奏斗へ目を向けた。 下を向いていると思っていた奏斗は同じように俺を真っ直ぐに見つめていた。 「…ねぇ、優。これから先もキミはずってあの子の事で頭をいっぱいにして生きていくの?」 「なんだ…いきなり。」 「答えて。悩んで、苦しんで。人の事で自分を追い込めて。そうやって生きていくの?」 「………その質問に答える前に、俺の質問に答えてくれるか?」 「…なに。」 俺の切り出した言葉に奏斗は一瞬だけ顔を顰めるが、すぐにまた大きな目で俺を見た。 出会った日から俺達は隠し事なんてせずに生きていたけれど。 ココ最近、俺たちに歪みが出来たような気がしていた。 噛み合わないような互いに違うことを考えているような。 この、何もかもが歪んでしまっている今。 むしろ決着をつけるべきなんじゃないか。 「奏斗は 俺がアイツ……楠本を、好きでいるのが嫌なのか?」 その言葉に奏斗は返事をしなかった。 じっと俺を見つめたまま、何も。 仕方なく言葉を重ねる。 「俺がアイツと好き合うのも、世話をするのも。お前は反対なんだよな。」 「……ボクは、ただ…っ…」 「…俺が言ってる事は違うか?」 奏斗は大きな瞳を揺らす。 俺はその瞳を見つめる。 重い空気が流れた。 唯一の、一番の親友へ聞いてはいけない事を聞いている気がする。 「奏斗、答えてくれ。」 「……そうだよ。だって、おかしいよ。 キミは"そんな事のために"教師になったの?」 奏斗の泣き出しそうな目に俺は首を振る。 それだけは、それだけは言っちゃダメだ。 俺が 今1番大切にしているものを 大切にしている人を 「そんな、…事…?」 そんな なんて言わないでくれ。 「違う、違うんだよ優…!」 「帰ってくれ。」 「聞いてよ。言葉のあやで、…だって…キミは教師で……!」 「帰れ!!」 言葉を突き放すようにそう叫んだ。 奏斗はシャツの首元をグシャリと強く握りしめて、消えそうな声で 「………そんな、つもりで…言ったんじゃ、無いんだ……っ…ボク、……キミ、を…」 「いいから…帰ってくれ。今は、何も話したくない。」 そう言って俺は俯いた。 顔を見たくなかった。 見れば、どんな暴言を吐くかわからない。 「……ごめん、なさい。」 奏斗が震えた声でそう呟いた。 それから、スリッパの擦る音と保健室から出ていく音が聞こえた。 俺は俯いたまま暫く動けなかった。 奏斗の言う事はいつだって正論で。 初めから一つも間違ってなんてなかった。 Ωに関わるデメリットや、生徒と教師の関係。 全部 言う通りだ。 でもそれは今の俺にとって一番に都合が悪くて触れられたくない事だったんだ。 つまりこれは 「八つ当たり、かよ。」 ポツンと呟いた声が落ちる。 大切な存在が消えて 大切な親友を傷つけた。 ポッカリと穴が空いて息をするのも苦しいのに。 それでも 時間は勝手に進んでいく。

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