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蝉の声が五月蝿いくらいに鳴り響く。 眩しい太陽がカーテンの隙間から時々覗き、俺はそれを横目にクーラーの下に座っていた。 皐月が登校しなくなってから二週間がすぎた。 期末テストは昨日で終わり、これでアイツが新学期から学校に来れるかは不確定になる。 夏休みの補習に来れば何とかなるかもしれないがこのままじゃ進学は難しいだろう。 出席簿を見ながらため息をつく。 一人だけ丸が明らかに足りない。 ほぼ全ての単位を落としてしまっている。 「……もう、諦めたか。」 きっと自分が勉強についていけない事に気付いたんだろう。 学校に来て暴力の中を生きるくらいなら家で平穏な日々を送った方がきっとましだ。 もうきっと アイツは学校には来ない。 最後にああやって少しでも話せてよかった。 何も、伝えられず 何も、聞けていないけれど。 『自分を大切にして欲しいんだ。』 それだけ伝えられてよかった。 今は少し離れたどこかで自分を大切にしてくれているはずだから。 最後に見たアイツの顔は酷く歪んでいた。 苦しみの頂点にいた。 逃げ出して、楽になった方がいい。 俺なんかと関わらない方がきっと幸せだ。 そう思い直し、考えるのはやめにした。 気分転換に珈琲でも飲もうと戸棚へ手を伸ばす。 いつも使うコーヒーカップの横、プラスチックのカップは皐月にいつもはちみつレモンを出す時に使っていたもので。 珈琲を入れようと手を伸ばした先にあるのは、いつか奏斗が「ココアが好きだって」と言った言葉に乗せられて買った封の開いてないココアの瓶だ。 その横にある袋には、皐月が好んで食べたビスケットがまだ半分残っていて。 ついでにあまり好きじゃないと顔をしかめたレーズン入りのバターサンドもあった。 「………馬鹿馬鹿しい。」 コーヒーカップと珈琲の粉だけを取って机に戻る。 向かい合うように置かれた椅子の片方には皐月用のクッションがまだ置いてあって、入口を見れば皐月がいつも履いていた黄色のスリッパがまだ並んでいる。 本当は いつ逃げて来ても いつ帰って来てもいいように アイツの居場所を残してしまっている。 忘れようとしても、離れようとしても 本当は俺のほうが皐月を求めている。 苦い珈琲を喉に流し込む。 全てを忘れてしまおうと。 俺には俺の未来があって 皐月には皐月の未来がある。 それが偶然交わってしまっただけで それは今だけの過ちで 幸せになれる未来がそれとは限らない。 それなのに、何故だろう。 「………く、っそ………」 胸の奥が苦しくて 締め付けられる。 皐月、お前が好きだよ。 離れていてもいつもお前の事を考えている。 お前が俺から離れていっても もう俺を必要としなくなっても 胸のどこかで、思い続ける事は許されるだろうか。 いつまでも 恋をしていても許されるだろうか。 この部屋に残るアイツの面影に 今はまだ 寄り添っていたい。

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