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窓の外が赤く染まる。
皐月の部屋から夕日が見えることも、夕方になるとこんな色になることも知らなかった。
ぼんやりと空の向こうを見ながら皐月はいつもどんな気持ちでいたんだろう なんて答えのないことを考えていた。
最後に1度だけ、皐月に謝っておこう。
アイツは声が出ないからきっと返事は聞けないけれど。
聞かなくたっていい。
聞けない方がいい。
電話帳の中からもう何年もかけてなかった皐月の電話番号を探す。
その名前をタップして、耳に携帯を当てる。
電子音の後、感情のない声が聞こえる。
『おかけになった番号は現在電源が入っていないか、電波が届かない場所にあります。』
携帯を耳から離す。
…電話の電源が入ってない?
家族と連絡が取りたくなくて放置してるのか?
一瞬、親が契約を切ったのかとも思ったけれどそれなら今は使われてないとアナウンスが聞こえるはずだ。
…確かめる、だけ。
夏休み真っ只中。
こんな時間に教師が学校にいる保証はない。
でも、もし誰か1人でもいたらあの教師へ繋げることは出来るだろう。
一か八かで学校へ電話をかける。
『はい。南浦高校、職員室です。』
「皆木先生はいらっしゃいますか?」
『確認をしますので少々お待ちください。』
その声の後、またあの校歌が流れる。
夕日が落ちて辺りが暗くなっていく。
外に出ればきっと蒸し暑いんだろう。
ベッドへもたれて天井を見上げる。
どんだけ考えたって皐月の気持ちはわからない。
でも、傷付けたって事だけはなんとなくはわかるんだ。
『大変お待たせいたしました、皆木です。』
その声に、どう話すか考えてなかった事に今更気付く。
弟を虐待してきた事を謝りたいからお前の恋人と話させてくれ…なんて言えるか?
いや…コイツなら全部もう知っているかもしれない。
『あの?』
「…あー……皐月の兄貴。前はどうも。」
『お前か。どうかしたか?』
「こんな事今更言うのはあれだけどさ。…皐月と、話したくて。」
『……は?』
「いや、わかってる。今更そんな資格ないとかさ。でももう1回だけ話させてくんないかな。」
『お前、何言ってんだ。』
電話の向こうからは低い声が聞こえてくる。
怒るのも当たり前だ。
頭を抱えて、小さくなる。
話せてもらえなくて当然。
今更こんな風に思うことの方がおかしいんだ。
「酷い事してきたって、やっと自覚した。手遅れなのはわかって……」
『待て。そうじゃない。』
「そうじゃない?」
相手の静止の声に思わず聞き返す。
電話の向こうの教師の次の言葉に、俺はようやく過ちに気付いた。
なんの確信を持って アイツが教師の元にいると信じ込んでいた?
『…楠本は、家にいるんじゃないのか?』
皐月は馬鹿正直で、それからウザイくらいに素直なやつだった。
そんな奴が親から『アイツと関わったら見捨てる』とまで言われてそれでも関わるか?
そんなわけが無い。
どれだけ苦しくても 親の事だけは裏切らないはずだ。
何でそんな事に早く気付かなかった。
「家に、いない。一ヶ月も前から帰ってきてない。…てっきりアンタの家に行ってるんだと思ってた。」
『…俺も期末前に諦めて学校は辞めるつもりで家にいるんだと思っていた。最後に家に帰ってきたのはいつだ?』
「レイプされた日。あの次の日には帰ってこなかった。」
『あの日に…?』
電話の向こうの教師は何かブツブツと呟く。
聞き取れない声に苛立って思わず聞き返す。
「なんかあったのかよ。」
『いや、…会話をした。他の生徒が来たからってカーテンの向こうに隠れたんだ。生徒が帰ってカーテンを開けたらもういなかった。
その後は…教室にも。』
「なんだよそれ…家にも、学校にも…」
頭が真っ白になる。
一ヶ月もの間、皐月は行方がわからない。
もう手がかりだってないはずだし捜索願いを出すにも遅すぎる。
そもそもどこに行くんだ?
頼るところもないのに1人で生きてるのか?
『…まさか、…また……』
「またってなんだ?なにか前にあったのか?」
『大分前、知らない男に攫われた事があった。その時は……捨てられてた。見かけた近所の住人が制服を見て電話をかけてきたんだ。
今回も制服だ。そのへんに捨てられてたりしたらすぐにわかるはずだ。つまり…』
「まだ知らない奴の所にいるって事か…?」
ぞわぞわと鳥肌が立つ。
18の男が、誰かに攫われて何も知らない場所にいる。
今も生きてるかどうかわからない。
それが過去に同じような事があった。
何よりも恐ろしい事はそんな事が起こっているのに一ヶ月もの間、誰一人そんな人間を探していなかった事だ。
『俺、沢山の人を救う医者になりたいから。』
思わず口を抑える。
許されない事をした。
あまりにも、残酷過ぎる事をした。
きっと 俺やこの教師。
それに母さんや父さん。
そうじゃなくても 誰かが傷付いていたり同じ状況になれば皐月はきっと不安になって探しに行くだろう。
自分の事なんて顧みずに。
「なぁ、…皆木先生。一緒に弟を探してくれないか。」
せめて兄として。
今までの全てが許されなくていい。
でも、今だけは臭いくらいに兄でいさせてくれないか。
『当たり前だ。お前は家族を説得しろ、すぐに捜索願いを出せ。』
「わかった。」
沢山の人なんて救えなくていい。
今、すぐ側にいる悲しい命だけでいい。
いつか医者になるのを目指す俺にその命を救わせてくれ。
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