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今日はもう終わりだと、ついさっき聞かされたはずだった。 つま先で立ったまま脱力していた所に何故か扉の開く音が聞こえる。 こうして、終わったはずの仕事が再開されるのは珍しい事じゃないのだけど。 目隠しと拘束の中で俺ができることはほとんど無くて面倒で俺は眠ったフリをした。 「………は、…………か?」 「………です。………を、………」 疲れきった体に、その声はよく聞こえない。 誰かの会話の声の後、扉が閉まる。 コツコツと靴の音が聞こえる。 俺は眠ったふりを続ける。 その靴の音は俺のすぐ側で止まり、それから確かに声が聞こえた。 「サツキ。」 俺は答えない。 答えなきゃならないのはわかってる。 でも、疲れきった体と終わったつもりだった心。 それから切れかかった薬の中じゃ俺の愛想は少し足りない。 殴られれでもしたら仕方なく頭をあげるけれど、優しく奉仕は難しそうだ。 「なぁ、お前の名前はサツキであってるか?」 なんでそんな事を聞くのかもわからない。 この男は、俺を買いに来たんじゃないのか。 「明日また来る。その時には、必ず連れて帰るからな。」 そう男が言った。 俺はとうとう、人に買われるんだ。 買われて連れられる。 まるで人身売買だ。 あぁ でも今だって同じようなことか。 なんて体は動かないのに立派に頭だけはそう思っていた。 俺の落ちた頭へ誰かの手が触れる。 頬を撫で、それから髪を撫でた。 あれ 懐かしい香りがした。 嗅ぎなれた、あの消毒液の香り。 それよりも強いミントの香水の匂い。 それから 知らない煙草の香り。 誰? 貴方は 「……またな。」 声が遠ざかる。 コツコツと靴の音が聞こえた。 待って、ねぇ。 貴方の名前は? あなたは誰? 俺のよく知っている人なのに思い出せない 誰なんだ 貴方は 体が動かない 声は出なかった。 一番 触れたい人のはずなのに。 バタン、と扉の閉まる音が聞こえた。 また静寂に包まれる。 掠れた息が吐き出され、それから舌が痛くなる。 わからないよ。 明日、迎えに来てくれる? 貴方はまた 俺の髪を撫でてくれる? 『皐月。』 あの声の主を俺はよく知っているはずなのに。 何故か、思い出せなかった。 それはきっと ここでの生活のうちに擦り切れて掠れて消えていって。 貴方を思い出すことを忘れてしまったから。

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