231 / 269

3

頭の中がぐるぐると回って揺れる。 大きな声が響き渡るけれど、俺はそのほとんどの意味が理解できなかった。 ただ、俺に価値が無いことを知らしめられている事だけはわかるけれど。 呆然とその光景を見ていた。 俺のせいで 俺がこんなだから 皆木はあんなに、声を張り上げている。 俺のために? どうして、俺なんかのために? シーツを握りしめて俺はその背中を見つめた。 どうして こんな俺を愛せるの。 どうしてこんな俺のために、何かを犠牲に出来るんだよ。 自分さえ、見捨てた人間なのに。 皆木に抱き上げられ、俺はただしがみついて手だけは離さなかった。 怖くて怖くて仕方ないんだ。 また 簡単に引き剥がされてしまいそうで。 何度も夢の中で消えて、ぼんやりと浮かんだ姿が今になって蘇る。 心の中で求めて それでも知らないふりをした。 忘れてしまえば楽になるってわかっていた。 なのに 俺は 結局諦められずに今も胸の中でこうやって求めているんだ。 それは運命だから? きっと違う この男が 好きだからだ。 皆木の手が扉を開き、廊下に出る。 ざわつく店内は数人の店の男と男娼が顔を覗かせていた。 その中で唯一、一人だけ顔を知っている人がいた。 「…皆木様……!」 その男は、皆木の名前を呼んで泣きそうな顔をした。 すぐに俺に気付くと大きな目を更に大きくして俺達二人を見つめた。 「サツキ、…帰るんですね。」 「………ヒ、ナタ。」 「よかった!帰り方、帰るとこ…思い出!思い出せたんですね。よかった、…っよかった、!」 ヒナタはポロポロと泣いて俺へ手を伸ばす。 すぐに、後ろから店の男がヒナタの体を取り押さえた。 皆木は早足で歩いていた足を止めると、ヒナタの方へ一歩踏み出す。 俺はヒナタへなんとか手を伸ばす。 ヒナタ、俺、もっと話したい事があるんだ。 「あ、りがと……っ…ヒナタ、次会う時は…っ…」 「うん、約束です!友達になります。サツキ、あのね!僕、不幸なんかじゃないんです!だから…っ、だから…」 ヒナタの体が部屋の中へと引き込まれていく。 俺、ヒナタがいなきゃここで生きてなんていられなかったよ。 あの時話したから、話してくれたから。 皆木のこと、ちゃんと忘れずにいられたんだ。 「サツキも、サツキの好きな人と…っ、幸せになってください!」 「……ヒナタも、っ…!」 「サツキ、僕の事…忘れないで、……」 バタン、とドアが閉まる。 ヒナタの声が消えて、皆木の足がまた動き出す。 俺は腕の中で小さくなって顔を覆った。 どうしてこんなに悲しいのかわからない。 出会ってまもない知らない人間なのに。 でも、きっと ヒナタは唯一 俺を対等な人間として見てくれて。 友達になってくれようとしたからだろうな。 皆木が店の扉を開く。 ザー、と地面に雨が打ち付けた。 外に出たのはあのヒナタと出会った日以来だった。 痛いくらいの雨の中、皆木は俺が濡れないようにとできるだけ体を覆ってくれた。 俺のこんな汚い体より皆木の高いスーツの方が守るべきはずなのに。 「………皐月。」 雨音の中、皆木が俺の名前を呼んだ。 俺は顔を上げる。 バチバチと皆木の肩に雨が当たる。 髪から雫が落ちて皆木が泣いてるみたいだった。 皆木は俯いて俺の顔を見つめながら低い、小さな声で 「俺が、助けてよかったのか。」 と呟いた。 俺は 本当は皆木と関わってはいけない。 関わったら、親に捨てられる。 それは今も変わらない。 皆木はその事を知らないまま避けられ続け、それでも俺を助けに来てくれた。 我儘なんてレベルじゃない。 迷惑なんてレベルじゃない。 だからきっと 「……もう、離れないで。」 なんて 俺にこんな事を言う資格はきっとないだろう。 ここで体を抱かれることも、声をかけられることも、名前を呼ばれることも。 有り得ないくらいに贅沢なことだ。 優しさに俺は甘えすぎている。 そんな自覚はあるのに 今だけは痛すぎて、苦しすぎて。 貴方の優しさに溺れさせて欲しいんだ。 「約束する。もう、離さない。」 強く抱きしめられ、すぐに皆木は歩き出した。 雨の中、いつか見たあの車へ連れられる。 俺は後部座席に寝かされると皆木が運転席へ座る前に目を閉じた。 あちこちが痛い。 今になって安心したのかもしれない。 俺はぼんやりとした視界の中で窓の外へ見える姿へ手を伸ばしながら意識を手放した。 目覚めた時には きっと貴方が隣にいるから。 そしたら俺は たくさん笑えるはずだから。 今は 全てを預けて、眠らせて。

ともだちにシェアしよう!