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診察室へ入ると、優しそうな初老の男が俺へ微笑みかけた。
嘘一つ付かなそうな男だ。
「どうぞ、座って。」
「…どうも。」
「貴方が皆木さんですね。楠本さんとの関係は?」
生徒と教師と言うべきか、番と言うべきか。
…前者の方が世間一般的だがそう言えば俺がここにこうしているのはかなり不自然だろう。
「番、です。」
「なるほど。それじゃ楠本さんの事を本当に大切にする覚悟があるってことですね。」
「それはもちろん。」
「安心しました。遠慮せずに彼の話を出来ますね。」
男はニッコリと笑うと、手元のカルテを見ながら変わらない笑顔で話を続けた。
「彼によると最近はレイプやいじめを受け続け、正直…生きる事を苦痛に感じているようだ。体はもちろん痛むだろうけどそれ以上に心が崩れてる。
きっとそれは今治ったように見えても、何年経っても何十年経っても急にバラバラになるようなものなんです。」
「……バラバラに…」
「割れた茶碗をセロハンテープでとめるとしよう。割れた瞬間は壊れてるってひと目でわかるがセロハンテープでとめてしまえば案外見た目じゃ気付かない。ついでに、中身は入るし使うにも不便しないだろう?
でも、使ってるうちにテープが剥がれてまた割れる。剥がれかけてることにはそう気付かないんだ。
それで半分に割れて中身が零れてからそういえばとうの昔に元々壊れていた事を思い出す。それが心なんです。」
男はそこまで語ると「わかるかい?」と優しい顔をして言った。
俺が頷くと男はニコニコと笑う。
「人間の場合はもっと厄介だ。何がって、壊れた心の持ち主が自分の心が壊れてる事に気付けない。
きっと楠本さんはまだ平気だと思ってる。それでパニックになって、怖くて怖くてわからなくなった時
こんなはずじゃない、どうしてこんなに怖いのかわからない。
そう思って余計に苦しくなる。誰かが心を壊したのに自分が弱いせいだと思い込むんだ。彼はまだ誰にもそれを教えてもらえてない。知らないまま。」
「…知らない、まま?」
俺は呟く。
皐月がパニックになる度、俺は大丈夫だと言い聞かせておさめてきた。
それはわからずに混乱しているのを言いくるめていただけだったってことか?
その場しのぎの嘘。
本当の原因が本人に伝わらないまま。
「そう。彼は皆木さんを信用しています。きっと、安心して頼ることが出来る。私が100回言っても納得出来ない事を、貴方の声からなら疑わずに飲み込むでしょう。」
「……本当に?」
「はい。その代わりね、悪い事もきっと信じ込む。だから貴方が支えてあげてください。いつか彼が心の底から生き続けたいと思えるように。
元通りには戻らなくても、壊れずにいたいと思う心が大切なんです。」
俺は頷く。
支えないといけない。
俺が守る。
何度も崩れた心をどうか元の形に戻して。
そのままで、いられるように。
「それからもう一つ。」
「……もう一つ?」
「貴方もちゃんと眠る事。貴方が不安定でいるときっと一番、彼も不安になる。」
「医者ってのは何でもわかるんですね。」
「わかる事しかわかりませんよ。」
男がニッコリと笑った。
俺も少しだけ笑う。
俺が、しっかりしてないとアイツを支えることなんてできない。
診察室を出て病室へと向かう。
今は一刻も早く会いたかった。
扉を開き、中を覗くとぼーっと窓の外を見つめる皐月がいた。
「ただいま。」
「わ、…びっくりさせるな。」
「ぼーっとしてる方が悪いだろ。」
そう言って隣に座る。
皐月は膝を抱えて小さくなると俺の方へ顔を向けた。
疲れきって今にも眠りそうな顔。
その頭を撫でて、目を合わせる。
「寝るか?」
「…ん。」
「今日は一緒に寝ていいか。座ったままじゃ寝にくい。」
「俺も、…アンタと一緒がいい。」
皐月が珍しく素直にそう言った。
それが可愛くて。
こういう姿もいいな、なんて少し思ってしまう。
狭い病院のベッドで二人身を寄せ合いながら眠りに落ちていく。
目が覚めたら2人でいろんな話をしよう。
その時は、もっと笑い合えるはずだから。
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