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先生の瞳からボタボタと涙が落ちた。 可哀想な人だな。 きっともう、世界でこの人には皆木先生しかいなくて。 でも相手はそうじゃなかった。 拠り所がなくなって1人きりになってしまった。 正解も、間違いもわからないくらいに苦しんでいる。 「…先生。俺、本当に先生が好きですよ。」 「ボクはキミ、苦手だ。」 「だから俺の事追い出したんですか?」 先に何も無いフォークを持ったまま問いかける。 先生の口の端にはみ出たいちごが付いて、そのまま先生は口を結ぶ。 瞳からはまだ大粒の涙が落ちている。 きっと感情はまだ整理できないままなんだろう。 「怖いんだ。何もかも見透かされそうで、ボロを出してボクが崩れていきそうで。」 「…貴方の言う崩れたら困る今の自分ってなんなんですか。」 気になってそう聞いた。 きっと、こういう所が嫌いなんだろう。 相手の事考えずに何でも聞くところや、押し入るところ。 でも聞かなきゃわからない。 頭が良くて察しのいいαじゃないただの凡人の俺にはそれくらいしかできない。 「今の、ボクはね。優に嫌われないように嘘に嘘を塗り固めたボクだよ。…汚いホントは隠してきたボクだよ。 優のためにできたボクだよ。」 ズキリ、と心臓が痛む。 気付いては言えない事に気付いてしまった。 この人がどうして 楠本をあんなにも恨むのか。 どうして 許されない程の罪を重ねてしまったのか。 傷つけて 取り返しのつかない事をしてしまったのか。 この人は とっくに自分なんか殺してしまったんだ。 「先生は、皆木先生のために…皆木先生のためだけに、生きてきたんですか……?」 「うん。」 先生がボロボロと泣きながら笑った。 細めた目から涙が落ちる。 首をかしげた時、引っかかったゴムが張り裂けた。 まとめた長い髪が弾けて広がる。 窓の外の光が当たって目の前が眩しく光った。 不覚にも 綺麗だな なんてそう、思ってしまう。 「ボクにとって優が全てだったんだ。優も同じだと思ってた。 でも そうじゃなかった。」 先生が他の何もかもをいらないくらい。 本当の自分を見失うまで尽くした人は他の人に恋をして簡単に遠ざかってしまった。 先生はずっと1人きり。 置いていかないでと泣きつく事も出来ず、恋焦がれて自惚れる唯一を笑顔で支えていた。 そんなの 残酷すぎる。 「ねぇ、この言葉を聞いたらボクを叱って殴ってね。」 「…え…………?」 先生が笑顔のままそう言う。 俺は、気付いてしまった事の苦しさにまだ立ち直れないまま声を返す。 いつもの眩しい笑顔のまま。 皆木先生のために作られた笑顔のまま。 「ボク、Ωになりたかったよ。 優に愛されるなら、優に求められるなら。 優に思い続けてもらえるなら。 レイプされて、攫われて、売られたって構わなかった。 いじめられて知らない人に犯されたっていいよ。 だって優が、その倍も何倍も愛してくれるなら。」 先生はボロボロと落ちる涙をそのままに、そう言って笑った。 俺が恋をした 嘘みたいな笑顔。 「彼さえいなきゃ、よかったのに。」 俺は持ったままになったフォークを投げ出して、先生の体を抱きしめる。 髪が舞って甘い匂いがした。 細すぎる身体を、空っぽの心を抱きしめて。 「駄目です、駄目なんです。それ以上、自分で自分を傷付けるのはやめて。」 「…ボク優が困った顔をするの見たくなかった。だから一度も助けてなんて言えなかったよ。苦しくたって、痛くたって優がいてくれたら良かったの。 何されたってよかった。 優に心配をかけないようにってそれだけ思ってたのに。 ずるいよ、ずるいよ。どうして?」 「……やめて、ください。」 胸の中で声が反響する。 苦しい心を一つずつ、強く握り締めるように。 誰にも言えずにいた本当の心を。 「ねぇ。運命ってさ、…そんなのずる過ぎるよ。 ボクだって 優と出会った時。 あぁ これが運命なんだ って。 そう、思ったのに。」 この人は、皆木先生と楠本の事をどんな風に見ていたんだろう。 皆木先生を傷付けないように、自分が傷つかない為に。 どうすればいいかわからなくて。 一人で悩んで、考え込んで。 楠本を傷付けて 遠ざけようとして。 その度に皆木先生は楠本に寄り添って。 手を出せば出す程、二人の仲は深まって蚊帳の外に追いやられていく。 好きな人は全てを自分に相談し、デタラメなアドバイスの帳尻合わせのためにまた手を出して。 2人の中で『良い人』になってしまうのを 「……誰もボクに、愛し方も 愛され方も教えてなんてくれなかったんだ。」 どんな気持ちで 笑顔で乗り切ってきたんだろう。 助けて 苦しいよ そう、叫ぶことも出来ずに。 「貴方がした事は許されない。結果がどうでも、許されません。 でも、今まで本当に…お疲れ様でした。 もう嘘なんてつかなくていいんです。」 腕の中で震えた細い身体。 抱きしめたら崩れて消えそうだった。 俺の知らない苦しみをこの人はどれだけ背負ってるんだろう。 俺はその中のいくつを愛せるんだろう。 「見つけてくれて、…本当に、ありがとう………っ、… 」 俺があの時、声をかけなかったら。 この人は今も一人で 震えてたのかな。

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