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泣き止んだ先生は、壁にもたれたままクッキーを齧る。 俺はオニギリを食べながらそんな先生を見つめていた。 真っ赤に腫れた目と鼻をすする音。 身体だけは大きいのに小学生みたいだ。 「先生、身長何cmでしたっけ。」 「2mくらい。」 「………あの。」 「嘘だよ。」 カリカリとクッキーの音が鳴る。 俺の方は見てくれない。 「奏斗ってどんな漢字なんですか?」 「うみ、なつ、ひと。」 「海夏人……すごい今の季節って感じですね。」 「嘘だけどね。」 机の上の二枚目のクッキーに手を伸ばす。 ハムスターみたいに少しずつ削って口に押し込む。 本当はもっと栄養のあるものを食べて欲しいけど嫌なら無理は言えない。 「なんで先生、食べてくれないんですか?」 「言ったでしょ。親に言われた事が原因って。」 「なんて言われたんですか?」 「食べて排出するのが汚いから。痩せて骨の浮き出てる方が綺麗、細くて女みたいな方がいいってさ。」 「なにそれ。」 「食べようとすると汚いってすごい目で見るんだから。」 「……えっと。」 「嘘だってば。」 三枚目のクッキーを齧りながらそう呟いた。 ぼーっと前を向いてた目が俺の方を向いてまん丸になる。 「何、その顔。」 「嘘ですよね。」 先生が首を傾げると、長い髪がサラリとゆれる。 座った先生の下に付くくらい長い髪。 結んでいないといつもと雰囲気が変わってどこか別人みたいだ。 細めた目が俺を見つめて、嫌そうな顔をする。 「嘘だよ?」 「嘘っていうのが。」 「…嘘だよ。」 先生が目を伏せて膝を抱え込む。 チョコチップの入ったクッキーがほんの少し溶けだして、指についたチョコを長い赤い舌が舐めとる。 目の前に置いてあったぬるくなったカットスイカに手を伸ばし、真っ赤なスイカに舌を這わせた。 シャク、と軽い音が鳴ってそれから喉を鳴らして飲み込む。 「小さい頃。両親と一緒に縁側でスイカを食べて。種を庭に飛ばしたことがあったんだ。明日になったら、庭がスイカ畑になってるかもって話をした。 来年はもっとたくさんスイカを食べられるねって。」 「……よくある話ですね。」 「うん。よくある話。でも、ボクに次の夏は無かったんだ。」 そう言ってまたスイカを齧る。 咀嚼音が部屋に響いて、俺も同じ物を食べたくなった。 先生の前においてあるスイカに手を伸ばして俺も一つを齧る。 時々種が引っかかって、その度前にあるケーキが乗っていた皿に吐き出した。 「ねぇ、千葉くん。キミはボクが好きだって言ったよね。」 「……はい。」 「本当にボクの事、好きになれるの?」 その問いかけに俺は頷く。 愚問だった。 だって既に、こんなに好きなんだから。 「そっか。…キミに追い出される覚悟で言うけどね。ボクは処女でも童貞でもないよ。堕ちるとこまで堕ちてたし綺麗なんてものからは程遠い。 キミに一番に愛されたって、心のどこかでまだ想い続けるだろうし抱かれても抱いていても誰かと重ねるかもしれない。」 「……それは、すごく。」 西日が先生を照らす。 長い前髪と横の毛に影になった顔が表情を消して、その代わり瞳だけを眩しく映し出した。 退屈な平凡な日常とはかけ離れたこの人は 「悲しいですね。」 「やっぱり、やめておく?」 「…いや。全部知りたい。」 正直にそう言った。 先生は目を大きく見開いて、手に持っていたスイカを落とす。 それから カチ、カチ、と時計の秒針が数回なった後吹っ切れたかのように声を上げて笑った。 「……あっははは!!ほんっとにキミは面白いなぁ。ボク、キミが思ってる100倍はおかしな人間だよ?」 「望む所です。俺は貴方の思ってる100倍は普通の人間なので。」 「そっかそっか。こんなボクでも、キミの退屈しのぎくらいにはなれるかな。今日は朝まで僕の昔話で決まりだね。」 「それじゃ先にお風呂に入って晩御飯にしましょう。何が食べたいですか?」 先生は落ちたスイカを拾い上げると、ニッコリと笑った。 まるでそれは無邪気な小学生のようで。 「カレーライス。甘口に卵を一つ乗せてね。」 「ご飯は大盛りでいいですか?」 「…うん。笑ったら、お腹空いちゃった。」 学校で見る作り笑いとは違う、腹の底からの笑顔に見えた。 この笑顔をいつだって独り占めしてたくせに好意に気付かなかったあの男はどれだけ鈍感だったんだろう。 なんて、偉そうにそう思ってしまった。

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