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熱いお湯を頭から浴びながら、目を閉じる。 なんだか変な気持ちだ。 こんなつもりは全く無かったのにボクは、結局また他人の好意に漬け込んでいる。 優とはまた違う優しさだ。 何をしたってボクを求めてくれるのはなんて楽なんだろう。 追いかけなくても、振り向かなくてもすぐ後ろにいてくれる。 今までは必死にしがみついてきたのに。 「先生。」 外から聞こえる声にシャワーを止めると、すりガラスの向こうに影が見えた。 「着替え、置いとくんで使ってください。」 「ありがと。」 そう答えると影が消える。 事故とはいえ、不本意な出会いとはいえ。 生徒の家に上がり込んで世話になっておまけに泊めてもらうなんてボクに優を否定する権利はもうないだろう。 長い髪を梳かしながら、トリートメントを塗り込む。 女性物の甘ったるい匂いに目を閉じるとシャワーの音だけが響いた。 どうしようもなく胸の奥が苦しくて。 今にも泣き出しそうなくらい、ボクは何かに追い詰められていた。 誰でもいいからすがりつきたかった身勝手に彼の純粋な心を利用したんだと思うと吐き気がした。 「…………変わんないな。」 昔から、ボクはずるい。 * カレーの匂いに釣られながらフローリングをペタペタと歩きリビングを覗く。 キッチンには鍋をかき混ぜる千葉くんがいて、夕方のテレビがついていた。 4人掛けのダイニングテーブル。 机の上に新聞とお菓子。 それから、リモコンが3つ並んでいた。 コップとスプーンだけが向かい合わせに並んでいて真ん中にはお茶の入ったボトルとサイダーのペットボトルが置かれている。 「……普通の家みたいだ。」 「普通の家なんです。」 ボクの独り言に微笑みながらそう言うと「どっちか座ってテレビでも見ててください。」なんて答える。 言われた通り椅子に座り、テレビを眺めていた。 こんな生活ボクは一度もしたことが無い。 普通が、異常だ。 「着替えありがと。ボクのサイズ家にあったの?」 「さっき買ってきました。」 「……ごめん。いくらだった?」 「いいですよこれくらい。」 年下のくせに気が回る。 いや、今の高校生はこれくらい当たり前なのかもしれない。 でも流石に高校生のお小遣いからボクのパジャマと下着代を出させるわけには行かないし。 「後で払うからレシート渡してね。」 「…律儀ですね。」 「キミに言われたくないよ。」 ホカホカと湯気をあげるカレーを両手に持ち、向かい合わせに置くと千葉クンも椅子に座る。 コップにそれぞれお茶とソーダを注ぐと大袈裟に嬉しそうに笑った。 「ありがとうございます。」 「こちらこそ。」 テレビの中から笑い声が聞こえる。 まだ湯気をあげるカレーライスをスプーンに掬い、冷ましてから口へ含む。 甘いルーとご飯。 久々に食べるしっかりとしたご飯と味の濃さにグルリと吐き気が回る。 ……でも、美味しい。 「食べれそうですか?」 「うん、美味しいよ。」 「良かったです。」 最後にカレーを食べたのは確か4月。 楠本クンをうちに連れてきた日だっけ。 「1度だけ、ボクあの子を家に連れて帰ったことがあってね。」 「楠本ですか?」 「うん。ココアに睡眠薬入れて眠らせてさ。起きた所でカレー一緒に食べたんだ。懐かしいな。…春くらい?」 「最低ですね。」 千葉クンがカレーを頬張りながらそう呟く。 その通り最低。 言わなきゃ誰も気づかない様な事なのに、何故かペラペラと口が動く。 「それからね、カレーにほんの少しおクスリを入れてさ。本当は抱きくるめようとしたんだけど拒むから、萎えちゃって。 あの子次の日の朝早く一人で出て行っちゃった。」 「その後は?」 「知らないおじさんに3日間くらい監禁されてたんじゃなかったっけ。ごみ捨て場に捨てられてたって聞いたよ。…優が迎えに行った。」 「なんで抱こうとしたんですか?」 大きな人参を口に押し込みながらボクへ問いかける。 どこまでも真っ直ぐで欲に忠実だ。 知りたい事はなんでも知りたいんだろうな。 ボクは冷たいソーダを一口飲んで、ヘラリと笑ってみた。 「優と相思相愛にならないように…って考えたら、ボクと楠本クンがくっつけばハッピーエンドじゃないかなと最初は思ったんだ。」 「…それは確かに一理ありますね。でも、先生の気持ち的にはよかったんですか?」 「良くないよ。でも、優が誰かの物になるよりはマシだった。」 ジャガイモをスプーンで半分に割って口に含む。 ホクホクと解れるそれは昔からあんまり得意じゃなかった。 一方千葉クンはもうほぼ無くなったカレーを一箇所にかき集めている。 「先生と先生…皆木先生の出会いって何だったんですか?」 「家から逃げ出して土手で泣いてたら優がたまたま来たの。どっか痛いのかーって。」 「家出ですか?」 「んーお散歩かな。ボクはその時、学校に行ってなかったから。」 「不登校…?」 「軟禁に近いかな。」 スプーンに収まった最後の一口を食べようとして止めたまま、ボクの顔を見る。 今更隠すつもりは無いからと聞かれたまま本当の事を話したけれど彼には少し刺激が強かったのかもしれない。 ボクが気にせずご飯を一口食べると、千葉クンは真面目な顔をした。 「詳しく聞いても、いいですか。」 ボクは何故か自然の笑顔になる。 彼の態度が少し崩れるのが面白くて。 「いいよ。あと、ボクの事は奏斗でいいからね。」 「…ありがとうございます。奏斗…さん。」 話せば、嫌いになるかもしれないのに。 ボクは何故か彼に嫌われるのが怖いとは思わなかった。
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