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食べ終えたカレーの皿にスプーンを投げ出し、お茶を一気飲みする。
正直、軟禁なんて言わてもどんなものなのかイマイチ分からない。
ただ酷い環境にいたということしか。
そういえば少し前、「また襲われるかと思った。」と言っていたっけ。
先生はスプーンの先でカレーをつつきながらまるでおとぎ話でもするみたいに明るい口調で話し出す。
「ボクのお家はお寺なんだけど、結論から言うとお父さんが新興宗教の教祖様…みたいな事をしてたみたいで。その…なんて言うのかなぁ。神様みたいなのをボクにしようとしたんだ。」
「……先生、…奏斗さんが?」
「うん。でも条件が女の子…もっと言えば女のΩだったみたいでね。ボクは真逆でしょ?それでもなんとか近付けようとして…細く、弱く育てられたって事。
それから毎晩、朝までお父さんや知らない人に犯され殴られ殺されかけの毎日…って訳さ。」
奏斗さんはそう言ってなんてことないみたいにヘラリと笑った。
俺は何も言えない。
そんなの、普通抱えきれないはずだ。
「それ、いつ…から…いつまで?」
「七つの時から、18かな。終わりは大学進学をきっかけに優が家から連れ出してくれたお陰さ。
優と出会うまではボクは家に縛られていたし、優と出会ったって環境は変わらなかったよ。でも、出会ったおかげで世界が変わった。」
「世界が…?」
「そう。家にいた頃は親にただ気持ち悪い言葉をかけられて犯されるだけでしょ。ご飯も食べないで、変な体勢で縛られて。
優といる時は笑えて、楽しくて、色んなものを見れて。
ボクにとってはずっと、優が世界だったんだ。」
そんな、唯一の存在が他人のものになった。
10年以上思い続けていた人が急に出てきた他人に『運命』なんて名前で取られてしまったらどうだろう。
それを知った瞬間の奏斗さんは気持ちつもりだったんだろう。
「……あの、皆木先生はその事知ってるんですか?」
「家でのこと?虐待されてたってくらいにしか思ってないんじゃないかな。言ったでしょ。…優に心配かけたくなかったんだ。
ボクがこんな事を言えば優はきっと正直に胸を痛めて自分のことみたいに悲しむから。」
「本当に親友なら…言ったってよかったんじゃないですかね。」
「どうだろ。」
奏斗さんは片手でコップを手繰り寄せ、両手でそれを持つとゆっくりと中身を流し込む。
奏斗さんの吐く言葉は簡単で、それなのに残酷で。
知らなかった感情が湧き出てきた。
自分を守るために、自分を犠牲にし過ぎたんだ。
「……ボクはただ、優に少しでも長く笑ってて欲しかったんだ。」
「どうしてそんなに皆木先生の幸せにこだわるんですか?皆木先生もなにか事情が…?」
「優はお金持ちのお坊ちゃんだからね。親の愛も人の愛も知らない独りぼっちの冷めた子供だったんだ。そんな優に、唯一笑顔を見せられる親友の家の事情まで背負わせれないよ。
優はボクの前でだけ飾らずにいてくれたんだ。当時は、だけどね。」
今は楠本がいる、とそう言いたかったんだろう。
奏斗さんがここまでして守ってきた賜物があの先生得す元の姿ってこと。
奏斗さんのした事は絶対に許されない。
どれだけ辛い過去があろうとどんな訳があろうとそれは理由にならない。
ならない、けど。
「……なんだよ、…これ。」
「え?」
どうしようもなくむかつく。
なんで、こんなに救われなかったんだ。
目に見えて壊れていく楠本と
気付けないうちに壊れきった奏斗さん。
どっちがより可哀想か、なんてそういう問題じゃない。
どちらも救われなきゃならなかった。
でもそれは皆木先生が救わなければならなかったという問題ではなくて。
だから、なんというか。
これは。
「なんで、…こんなに悲しい事が起こるのか。俺にはそれがわからない。」
「この世に生まれてから死ぬまで全部幸せだって人はきっといないよ。でもきっと、全部不幸だって人もね。
悲しい事の方が少し目立ちやすいだけさ。」
そう言って優しく笑うこの人は
深く、深く傷ついて。
強く、残酷な程に傷付けた人なんだろう。
守られずに 守らずに
誰にも愛されずに 愛し方も愛され方もわからないまま。
「俺、今度こそ貴方を見張ります。楠本に二度とあんな事をしないように。
…貴方がそれで余計に傷つかないように。
貴方が少しでも"普通の人"になれるように。」
「ありがとう。約束だよ。」
楠本に許されないとしても。
この人の罪は 俺が一緒に償おう。
それが、どれだけ辛い未来だったとしても。
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