246 / 269

9

13:30を過ぎた頃。 いい加減会話が無くなり、楠本クンは目の前にあるテレビを見つめボクは携帯の画面を見つめていた。 どうでもいいSNSのタイムラインと昼のバライティ番組の音が混ざりあってなんとも居心地の悪い空間。 そんな時、急にベッドが軋んだ。 「ん?」 「……トイレ。」 「あぁ。前まで着いていこうか。」 「大丈夫。トイレくらい一人で行ける。」 ベッドから足を下ろした楠本クンはそう言うとスリッパを履いて一人立ち上がった。 一人にするのはなんとなく気が引けるけれどここでついて行くのも気持ち悪い。 それに、トイレは確かこの部屋から二つ隣。 その距離でまさか何かが起こったりしないだろう。 「わかった、気をつけてね。」 「ん。」 そう言って小さな歩幅で歩く彼を見送る。 ボクは携帯を机に伏せてぼーっとテレビを見つめた。 『今、主婦に話題の極上スイーツがこちら!』 『見てくださいスポンジの間にも細かく切られた苺が……』 映し出されるケーキは、必要以上に照明が当てられ不自然な程に苺が詰まっている。 撮影用に今だけ綺麗に見せたって実際に行った人がガッカリするだけなのに。 冷めた目でテレビを見つめていると暫くしてCMになる。 楠本クンがトイレに向かってからもう10分近く時間は経ってる。 「……お腹痛い、にしてもなぁ。」 長いよな、と時計を見て再確認。 まさか食べさせたリンゴが原因だったらどうしようなんて呑気に考えていた。 CMが開けてスイーツをかけた早押しクイズが始まる。 クイズの内容はどう考えたってわからないようなもので、通行人の人には言えない秘密だとかお店の人気の秘訣だとか。 当てずっぽうの大喜利状態。 何が面白いんだか。 そんなクイズコーナーすら終わった頃。 時計の針は14時前。 いい加減遅い、とかいうレベルじゃない。 仕方なく席を立ち廊下へ顔を覗かす。 当たり前のようにトイレに姿は無く、個室も全て空いている。 「……どこ行ったんだろう。」 ポツリと呟いて左右を見渡す。 お金は持ってないはずだから自販機に向かったとは考えにくいし、何かあったなら医者か看護師から部屋に連絡がある。 それなら、どこに。 と、廊下の向こうへ目を向けるとパジャマを着た小さな後ろ姿が見えた。 フラフラとどこかへ向かって歩いていく。 「どこ行くのさ……」 とりあえず見つけた事に安心し、早足で後ろを追いかける。 走ると怒られそうだし大きな声を出しても注意されるだろう。 あと少しで追いつく、と気が抜ける。 楠本クンは階段へ体を向けた。 「楠本ク、ン……」 どこに行くの、と声をかけようとした時。 目の前を歩いていた体がふらりと揺れる。 目眩を起こしたかのように重心がぶれ、体が横へ倒れていく。 その先は階段。 ふと、頭によぎる。 もしこのまま階段から落ちれば。 サスペンスドラマみたいに頭を打ち付けて、死んでしまうんじゃないか。 そこまでいかなくてもなにか大怪我をしたり。 そしたらさ。 優、手を引くかもしれない。 目の前で傾く体。 一瞬、振り向いた目がボクを見つめた。 ボクより丸くて ボクより大きな瞳で。 何度も優を見つめた瞳。 嫌いだ キミなんて、死んじゃえばいいのに。 目の前がスローモーションみたいに、何もかもゆっくりになる。 舞う髪の毛1本1本が見えるくらい。 あぁ、やっぱり 優の悲しむ顔は、もう見たくないなぁ。 伸ばした手が細い手首を握って、両腕で華奢な体を抱きしめた。 宙に体が投げ出されてボクの体じゃ彼を引き止められない。 重力に負けて体が床へ叩きつけられる。 階段の段差に何度も体が打ち付けられ、ガゴ、と鈍い音を立てて骨を砕く。 ただ、強く強く体を抱えた。 「せ、んせ……い……」 一度震えた声でボクを呼ぶ声が聞こえた。 くるくると視界が回る。 階段を転げ落ちてるんだって事は、考えなくたってわかった。 酷い痛みだ。 もう少し、脂肪があればなぁ。 ゴン って、そんな音がした。 脳がグワン、と揺れる。 とうとう息の仕方もわからなくなって、それでもボクは彼を抱きしめる手を離さなかった。 じんわりと頭が熱い。 そう言えば、痛みってこんな感覚だったな。 ボクは掠れた声で呟く。 「優を、……優と…、っ…幸せ、に……」 幸せに、なってね。 そういう前にもう声は出なかった。 意識が朦朧とする。 頭の中がグルグルと回った。 消えゆく意識の中で、バタバタと足音が聞こえた。 薄らと開いた目の隙間、狭い狭い視界に誰かの姿が見える。 そしてその人はボクらに手を伸ばして 「皐月、…っ大丈夫か…!?」 と そう、張り裂けそうな声で叫んだ。 ボクは目を閉じて 今度こそ意識に手を振って。 これでよかったんだ、と深い眠りに落ちた。 ありがとう、優。 ずっと ずっと 大好きでした。

ともだちにシェアしよう!