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暫くして、すぐに医者が部屋に来た。
優しそうな顔をした男はボクと千葉クンとを交互に見た後、バインダーに紙を挟み直しながら問いかける。
「おはようございます、意識はしっかりしてるみたいですね。
何か、変わった事はありましたか?例えば…視界がぼやけたり線が二重に見えたり頭痛がしたり。」
「少しブレてるみたいな感じはあります。頭はちょっと痛いかも。」
「吐き気や体で痛むところは?」
「首と、…いや全体的にミシミシいってます。特に首と腰あたりが。」
「なるほど。受け答えには問題ありません。外傷が多いので痛みとは暫く付き合うことになりますが頭痛等はすぐに治るかと思います。」
医者はバインダーを膝に置くと優しく笑った。
ボクは一度頷く。
と、医者の隣にいた千葉クンが呟くように声を上げた。
「あの、記憶が無くなったりとかって、ありえるんですか。」
その声に医者は少し驚いた顔をする。
多分ボクも同じ顔をしていただろう。
記憶喪失?
一体、ボクが何を忘れてるのかわからない。
「……さっき皆木先生の名前を出したんですけど、覚えてなかったみたいなんです。」
「皆木……時枝さん。心当たりはありますか?」
「いえ。」
「記憶に無いということですか?」
「ありません。…ボクと親しい仲の人ですか?」
ボクはそう問いかける。
先生は少し難しい顔で暫くバインダーを見ていたけれど、すぐにまた元の顔に戻った。
「強く頭を打ち付けた様ですので、一時的に記憶の混乱があるようです。無理に思い出そうとしなくても構いません。
遅かれ早かれ思い出せるかと思います。」
「…そう、ですか。」
「千葉さん、時枝さんに無理に思い出すように強いるのは禁物です。側で支えてあげてください。」
「………はい。」
千葉クンは見た事の無い顔をして俯いた。
ボクにとって"皆木"という人物はそんなに重要な誰かだったんだろうか?
医者が部屋を出ていった後も千葉クンは浮かない顔をしたままだった。
なんと声をかけたらいいのかわからない。
どうしてか、記憶を無くしたボクよりも悲しんでいるから。
「ねぇ、皆木ってどんな人?」
「……俺はあんまり知りません。皆木先生は貴方にとって……」
千葉クンはそこまで言って口を結んだ。
もしかすると、その先の言葉が"無理に思い出すように強いる"事なのかもしれない。
けれど、ボクだけ知らないのはなんだか悲しい。
「平気だから、教えて。」
「……貴方にとって唯一の存在ですよ。」
「唯一?番…とか?」
ボクがそう聞くと、彼は泣き出しそうな目でボクを見た。
顔を歪めてなにか言おうとするけど言わない。
シン、とした空気の中に彼の息の音だけが聞こえた。
「ねぇ、奏斗さん。」
「…なぁに?」
「すみません。…俺、貴方は苦しくて、忘れたくてあの人の事を忘れてしまったんじゃないかと思ってしまいました。」
「唯一なのに、忘れたいような人なの?」
「いいや、きっと忘れたくないはず。…でも、……貴方は最近、その人のせいですごく苦しそうだったから。」
千葉クンはそう言って俯いてしまう。
忘れたい、でも忘れたくない。
そんな大切で唯一でボクを苦しめた誰か。
……その人は一体ボクの何なんだ。
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