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診察に向かった皐月を見送り、外へ出る。 病院の裏は俺と同じように面会に来た隙間の時間を狙って出てきたような奴ばかりだ。 隣にいる男と並んでポケットの中に手を入れる。 よくない、とは分かっていてもそうはやめられない。 1箱500円はするそれを取り出し、ライターで先に火をつける。 乾いた筒に口をつけ一息。 「………はぁ。」 昔はふぅ、と言っていた気がする。 黙々と上がる白い煙を見ながら俺は目を細めた。 楽になるわけじゃないのにこの煙を何故か求めてしまう。 奏斗のこと、千葉のこと、皐月の事。 考える事が山積み過ぎて頭痛が止まない。 いつの間にか抱える者が大きくなり過ぎているらしい。 一人で生きてきたはずなのに立派なもんだ。 短くなった煙草を、灰皿に押し付け大きく伸びをする。 真っ赤な夕焼けが落ちていく。 明日になれば皐月の検査結果が出て、また物事が動いていくだろう。 俺もそろそろ腹を括らなきゃならない。 何を、一番に選ぶのか。 * その日は、やけに早く目が覚めた。 時計を見る限りまだ五時過ぎ。 早いなんてものじゃない。 ベッドですやすや眠る皐月の頬を撫で、俺は引き出しを開けた。 昨日のうちに買っておいた小さなブーケ。 白いサツキの花は意図的に選んだものだ。 そうメジャーではないその花はそうそう無く、ネットで探して更に無理を言って作ってもらったものだった。 「…覚えてる訳、無いよな。」 俺の事を忘れてしまったのなら思い出すら消えているだろう。 俺だってこの間思い出したことだ。 少し萎れた花に顔を近づけ匂いを煽る。 ほんのりと甘い香りがした。 自己満足でしかない、贈り物。 廊下を出て病室へ向かう。 千葉に聞いたわけでももちろん、奏斗に教えられた訳でもない。 看護師に聞けば何の疑いもなく教えてくれた。 先日と同じく、まだ千葉もいない早朝を狙って病院を訪ねた。 奏斗は昔から寝つきがいいからこの時間に目覚める訳はない。 病室の扉をそっと開き、カーテンが締め切られた薄暗い部屋へ踏み込む。 靴の音はできるだけ鳴らさないように。 ベッド覗き込むと、奏斗は仰向けのまま腕を腹の上で組んで眠っていた。 長い髪がベッドに広がり、更にベッドの端から落ちていて妙に神秘的に見える。 「……どんなユメ、見てるんだ。」 俺のいない世界と記憶の中で。 どんな世界を生きてる? 今更、俺にそんな事を聞く権利はない。 忘れたがっている記憶から飛び出し今の奏斗の世界を踏み荒らす。 なんて酷い人間なんだろう。 早く出て行こう、と机の上にサツキのブーケを置いた。 ふと顔を上げると窓際にはこの間置いていった大きなブーケが飾られていた。 カーテン越しに薄らと陽の光が当たって見える。 「……誰、……?」 ぼーっとブーケを見つめていた。 ベッドで眠っていたはずの奏斗が目覚め、真っ直ぐに天井を見つめたまま誰かへ声をかける。 間違いなく、俺だろう。 「甘い香りがする。もしかして、ブーケを持ってきてくれた人?」 俺は答えられない。 記憶喪失の人間に、記憶を無理にこじ開けさせるようなマネはできなかった。 それは親友としての意思より仮にも医療に関わる人間としての最低限の判断だった。 俺が黙ったままでいると、奏斗は目を閉じた。 「それじゃ、ボクの忘れた誰か?」 その言葉にビクリ、と体が揺れる。 まさか「そうだ」とは答えられない。 俺は引き返そうと慌てて振り向いた。 コツコツ、と靴の底が鳴りそれに対して奏斗は叫ぶみたいに声を上げた。 「待って。ボクを刺激しないために、黙ってるのなら…なんでもいいから答えて。…YESは1度、NOは2度何か音を立てて。」 少し悩んだが、奏斗を無視するのは気が引けた。 起こしてしまったのも関わってしまったのも俺だ。 手を伸ばし壁をカツ、と一度こつく。 「ありがと。どうしても聞きたいことがあって。」 「……キミは、ボクの事を嫌いだった?」 俺は2度壁をこつく。 嫌いなわけはない。 それは、今も同じだ。 「それじゃ。ボクは、キミを嫌いだった?」 俺は指を上げたまま固まる。 わからない。 好きだったか、嫌いだったか。 忘れてしまうくらい嫌いだったのかもしれない。 けれど、奏斗はいつも俺に「好きだ」と言ってくれた。 一番の親友だと。 「わからない?」 一度、壁をこつく。 「そっか。ありがとう。また、来てくれる?」 俺は思わず奏斗を振り返った。 真っ白なベッドに埋まる姿が、その光景が。 やけに弱々しく見えて奏斗の声が切なく聞こえたから。 俺は1度だけ壁をこついた。 また、来るよ。 と。 「ありがと。ねぇ。貴方は皆木さんで、あってる?」 その声に俺は暫く動けなかった。 真っ白な中の親友が、発する声。 もう十年以上前から紡いでいた友情はもうそこにはなくて、それは俺をまるで他人のように呼んだ。 「あれ、違うの?」 俺は二度、こつく。 「皆木さんであってる、って事だよね。」 一度。 「皆木さん。またね。」 一度、壁に触れて俺は部屋を後にした。 弱りきった奏斗をこれ以上見たくなかったからだ。 奏斗はいつも強くて、俺を守ってくれた。 弱った様子も苦しそうな様子も一度も見せなかった。 いつも両手を広げて笑っていた。それが奏斗だった。 優しい奏斗は、あの時だって 皐月を守るために体を張ってこうなった。 怪我をして、記憶を失った。 そんな親友にありがとう、すらも言えない。 ふと、思った。 「……失った記憶は俺で、…良かったのか。」 もし失った相手が皐月だったら、千葉だったら。 俺以外の友人だったら? そしたら、俺は今きっと奏斗の事でこんなに思い悩んでは無かっただろう。 きっと適当な言葉で励まして皐月の元へ戻っていた。 『優、一緒に帰ろう。』 頭の中で俺を呼んで笑う姿が思い浮かぶ。 もう、二度と戻れないのだろうか。 あの 当たり前の日常は二度と現れないのだろうか。

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