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廊下を歩き、皐月の病室へと戻る。 音を立てないように中へ入ると、まだ眠っているようだった。 眠る前に飲む薬の影響だと思うがここに来てから夜はよく眠れているらしい。 まだ幼い寝顔を見つめ、伸びた髪を撫でる。 これからはずっと傍に居てやろう。 もう寂しい思いはしないように。 孤独なんて、忘れるくらいに。 安心して 何も考えなくたって安全にいられるように。 皐月の隣で、椅子に座ったまま目を閉じた。 同じ夢を見られるじゃないかなんて、考えながら。 * 陽の光の眩しさに目を開く。 閉じたはずのカーテンの隙間から日が差して丁度、俺の顔あたりを照らしている。 「ぅ、………」 腕で顔を覆い、うっすらと目を開く。 思わず顔を背けた先には椅子に座ったまま俯き、すぅすぅと寝息を立てる皆木がいた。 俺は眩しさなんて忘れてじっとその顔を見る。 爆睡だ。 皆木はいつも俺が眠るまで起きていて、俺が目覚めればすぐに「おはよう」と言った。 いつ寝てるのかわからないくらい。 そんな皆木が眠ってるのを見るのはなんとなく優越感があった。 「なんの夢、…見てる?」 返事があったら怖いけど、なんとなく聞く。 皆木はいつも俺が目覚めると決まって「怖い夢を見なかったか」と聞いた。 一時期、よく悪夢にうなされていたからその影響だと思う。 俺の声に答えるように、いや偶然かもしれないけれど。 皆木は小さな寝言を吐いた。 「………な、と……」 「……ナト。」 それ以上は何も言わない。 ナト、がつく言葉を頭の中で探す。 ナトリウム、港、納豆、砂時計。 いくつか探したところでピン、と思い出す。 「奏斗、だ。」 その声に皆木はビクリ、と体を揺らすと瞼を開いた。 薄い瞼とまつ毛が瞬く。 ムカつくくらいにいい顔だと思った。 「皐月、…?」 「おはよ。寝言言ってた。」 「なんだって?」 「奏斗、だと思う。」 「……奏斗か。」 そう言うと、欠伸をして「そうかもな。」と言いながら伸びをする。 心当たりがあるのかもしれない。 俺も起き上がろうと身をよじると、皆木は肩を抱きながら起こしてくれる。 もう体は平気だって何度も言っているのに。 「俺、早く先生に謝りたくて。…まだ会えないのか?」 「…あぁ。もうすぐ会える。」 「ん。皆木は会ったか?」 「あー……いや。顔は見たが、話はしてない。」 「そっか。俺のせいで、怪我させた…から。」 膝を抱え、布団を手繰り寄せる。 あの時、じっと病室にいれば先生に怪我をさせる事は無かった。 皆木は自分を責めるなと言うけれど、どう悩んでも俺が悪い事は明確だった。 先生が俺に手を伸ばした時。 俺は何も先生に返す事が出来なかった。 「なぁ、皐月。苦しませると思って聞かなかったんだが…あの時、なんで外に出たんだ?嫌なら答えなくてもいい。」 「……皆木が戻るって言ってた時間が近付いてたから。どうしても、早く会いたくて。玄関で待ちたかった。」 怒られる覚悟でそう答えた。 きっと、最善の方法じゃなかった。 先生にいえば先生はきっと玄関まで連れて行ってくれたし皆木を待っていてもすぐに会えた。 皆木は「そうか。」とだけ答えると、俺の頭を優しく撫でる。 「奏斗に言えばきっとわかってくれる。それに、アイツは怒ってない。」 「……でも、…」 「皐月。…ちゃんと、俺もお前と向き合おうと思うんだ。」 「え?」 予想してなかった言葉に思わず顔を上げた。 皆木は優しく笑った。 崩れたままの髪が目にかかって、それから肌が白く光る。 「今日の診断結果を聞いたら、二人で話し合おう。これからのことを決めよう。」 「学校の事、とか?」 「あぁ。その先の事もだ。たくさん話そう。一番、二人で幸せになれる方法を探すんだ。 お前が傷つかなくていい道を選べばいい。」 「……恵まれ過ぎてる。」 「本当に恵まれてるやつがそれ聞いたら、笑われるぞ。」 皆木はそう言うと、クスクスと笑った。 俺も少しだけ笑う。 今日の診断結果でもし「妊娠してます」とか、「感染症でもうすぐ死にます」とか「その病気は人にうつります」とか。 そういう事を言われたら死のうと思う。 迷わずに、相談せずに。 大分前、皆木の家の風呂場で話していた時を思い出す。 まだ大して知らないお互いの幸せを望んで本音をぶつけた時。 皆木にはこれ以上、俺のせいで不幸になって欲しくなかった。 「…それでも俺は、今はすごく恵まれてると思うんだ。」 「お前が恵まれすぎて溺れそうなくらい幸せにしてやる。」 「かっこいい。」 「それはどうも。」 ただ、この人には笑ってて欲しい。 俺はきっと幸せの枷になってしまうだろうから。

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