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*今更ですがこのお話の中の病気、怪我等についての知識はあくまでも何も知らない素人がネット上で学んだ知識で書いています。 もしそんなの現実でありえないと感じてもフィクションだということを前提に読み流して頂けると幸いです。 --- 「忘れ物は?」 「何も残ってないから多分大丈夫。」 「そうだな。よし、行くか。」 空っぽになった病室。 一人、ベッドの前に立つ皐月へそう声をかける。 日用品のどっさり入ったスーツケースを一つと、反対の手に皐月の手を握り病院の受付へと向かう。 退院手続きはもう済ませているから後は声をかけ最後の説明を受けるだけだ。 「うちに帰ったらはじめに何がしたい?」 「んークーラー効かせて、リビングで座ってテレビ見たい。」 「贅沢だな。」 皐月が嬉しそうに笑う。 平凡なこんな日々を、ずっと待ちわびていた。 帰って少し落ち着いたら本当は色んな事をしなきゃならない。 皐月の話を聞いて、これからのことを決めて。 家族と話をつけて。 それから、俺の未来も。 受付へ向かいカウンターの中にいる女へ声をかける。 「退院、おめでとうございます。楠本さん……は、最後に医師の方から少しだけ話がしたいとの事でしたのでお帰りの前に少しお時間頂けますでしょうか。」 「はい。」 「少しここでお待ちください。」 そう言われ、2人受付の前で立ち尽くす。 短い話で終わればいいけれど。 「皐月、今は体は痛くないか?」 「ん。平気。」 「それなら大丈夫だな。」 そんな会話をしていると、すぐに後ろから声をかけられる。 看護師と、その後ろに担当医が見えた。 「皆木様はあちらで座ってお待ちください。」 「あぁ。」 俺が手を振ると、皐月も平気そうな顔をして手を振った。 あの医師のことは信頼してるのかもしれない。 看護師に促されるまま椅子に座り、スーツケースに突っ伏し背もたれへ背を預ける。 今朝の奏斗の背の感覚を思い出す。 苦しそうな奏斗に、声をかける事も手を貸すことも出来ずに逃げるように病室を出た。 関われば悪化させる事は目に見えていた。 どこか、怖かったんだ。 奏斗が俺を忘れてしまったのと同時に 「……俺の、知らない奏斗を見てる気がする。」 何年と隣にいたはずなのに。 知らない事なんて、無かったはずなのに。 話し方も笑い方もどこか違って。 まるで今までの奏斗が作り物だったみたいに見えるんだ。 「貴方が見ていたのは本当じゃない。」 頭上から聞こえる声に、ビクリと体を強ばらせる。 慌てて顔を上げると両手にペットボトルを持った千葉が冷たい目で俺を見下ろしていた。 いつからここにいたんだ。 「お前、…なんで……」 「なんで?もう二度と関わらないでと言ったはずです。」 「……それは、…」 言葉に詰まる。 千葉からの頼み…いや、忠告を無視してアイツに関わったのは紛れもなく俺だ。 ただそれはどうしても手を引ききれなかったから。 わかるだろ。 今更、そう忘れられる関係性じゃないんだ。 「花を送ったのは貴方ですね。それから、昨日あの人を追い詰めたのも。」 「……っ、人聞きが悪いな。追い詰めた…なんて。」 「追い詰めた、殺す気ですか?保険医なら多少は知ってるんじゃないですか。記憶喪失の人間に忘れられた人間が関わったらどうなるか。」 「それじゃ、何も知らないふりして見過ごせって言うのか…!?親友だったんだ、お前に何がわかるんだよ。」 「…貴方に親友なんていう資格はない、今まで何にも気付かずに見過ごしてきたくせに…!都合のいい所しか知らないくせに!! お前こそ何を知ってんだよ!!」 千葉が持っていたペットボトルを振り上げる。 大声が響き渡り、一瞬エントランスが静まり返った。 今に振り落とされそうな黒い液体の入ったペットボトルは、きっと奏斗が好きなコーラだろう。 「あの人は、お前のために苦しんできた。もう苦しみたくなくてお前を忘れた!!お前から解放されたかった!違うか!? …なんで、やっと逃げられたあの人をこれ以上追い詰めようとするんだよ…っ、お前のエゴであの人を殺すな…!!」 千葉が張り裂けそうな声でそう叫ぶ。 看護師が慌てたように走ってきて、千葉へ何かを言うが俺にそれは聞こえなかった。 どういう事なんだ。 俺が奏斗を見過ごしてきた? 都合のいい所しか知らない? 俺が苦しめてきた? なぁ、どういう事なんだよ。 「………俺が、奏斗に何を…したんだよ、……」 「本当に、何も知らないのかよ……お前、どんな神経して友達やってたんだ。……隣で何見てたんだよ、…」 ガタン、と音が鳴り床にペットボトルが落ちる。 千葉は両手で俺の肩を握りしめた。 ギリギリと音が鳴る程。 力強く、怒りを込めて。 「ぶん殴りたい。お前とあの人が出会った日から今日まで、あの人が感じた痛みと同じだけ殴ってボコボコにしてやりたい。 …でもきっと、そうすればあの人は救われないから。貴方のためにあの人が犠牲にした沢山のものを俺は否定したくないんです。 貴方のためじゃない。ただあの人のために。俺は、この手はあげられない。」 ギリ、と歯を鳴らすと千葉は俺を睨みつけた。 羨ましい程感情的な目だ。 俺は何も言い返せずに今も間抜け顔をしているんだろう。 ふと 当たり前のことを思い出す。 奏斗はいつも 笑っていたな、と。 「……昨日、初めて。奏斗が俺に助けてって、言ったんだ。俺は振り返らずに病室を出た。」 「どうしてあの人が貴方に助けてと言ったか……言えたか、わかりますか?」 どうして 悪くは無い頭で考える。 助けられたかったから、苦しかったから。 俺なら解決できるかと思ったから。 きっとすべて違うんだろう。 俺に、助けてと言えたか? 「貴方の事を、忘れてたからですよ。」 「…俺の事を忘れてたから?」 「これ以上は言えません。貴方が自分で気付くか、あの人の口から聞いてください。あの人の隠してきた種明かしを俺がする訳には行かないので。」 千葉は手を離すと、いつも通りの冷めた目で俺を見た。 感情の無いような目。 淡々と話すと落としたペットボトルを拾いあげ一歩下がった。 「いきなり、すみませんでした。…でも貴方が昨日した事は許せません。嘔吐物が喉に詰まっていたら呼吸困難で死にます。倒れた時に頭を打っていればまた障害が起こるかもしれません。 怪我は治ってません。悪化します、またどこか折れるかもしれない。…余計な事はもうしないで下さい。」 「……悪かった。もう、近付かない。」 「ありがとうございます。あ、…あと。」 帰り際に千葉が振り向いた。 パンパンになったペットボトルを気にしながら、一言。 「ツツジの花束、喜んでました。昔よく吸ったのを思い出すって。楽しそうに笑ってました。」 「……よかった。」 「今度からお見舞の品は俺に渡してください。それでは。」 そう言って会釈をし去っていく。 気が付けば周りは少し騒がしいいつものエントランスに戻っていた。 看護師ももういない。 俺は、少し項垂れてセットされていない髪を掻く。 胸の奥をチクチクと針で刺されるような痛みに襲われる。 隣にいるのに、何も知らなかった。 「……皐月のことも、知らない事ばかりだ。」 遠くの廊下から、Tシャツの胸部分を握りしめた皐月が歩いてくる。 せめてあの手だけは離してはいけない。 今は一人を守るために生きようと。 あの奏斗の後ろ姿に誓った。 もう、この痛みを忘れないと。

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