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前原 蓮。
***
次の日から、勉強場所は誰かの家になった。あ、春哉以外のね。
今日は試験前日。俺達は、何も変わっていない。いつもの様に集まって、喋って、笑ってる。
あの話について、触れない。つうか、俺達からわざわざ聞こうとなんてするつもりは、皆無かった。
ちなみに、今日は誠の家。マンションの一室そうそう、誠の母ちゃんって超美人なんだよ。遺伝ってすげぇよな。
「……今回、いける気がする。」
急に賢悟が呟いた。くすくすと笑う春哉は、あれから今まで通り【僕】で微笑みを崩さない。それについても、俺も皆も何も言わない。
あの2人についても、特に無し。ただ、あの前原の視線。俺はあれが少し、気になっている。多分、制服と鞄を見ていた。
「龍司、その文法違う。」
「んぁ?あ……さーせん。」
……俺が英語を使う日は、一生無いと断言する!!
そうそう、気になる事が1つ。
春哉の、悲しそうな微笑み。あれが増えた事が、少し気になる。だから、俺の軋みも、痛みも、増えてしまった。
まぁ、良いんだけど。俺のこれなんか、ちっぽけな悩みだよな。
***
あー、テストです。初日です。もう、本当。嫌だ。嬉しい事って言ったら、出席番号に座り直すから、後ろに春哉がいる事位。俺が春哉に愚痴を吐くと、困った様に笑って「頑張ろうよ。」と言ってくれる。心ちゃん並の癒し効果があるね。ちかちかキラキラして、ちょっと眩しいけど。
さて、初日の山は数学。今、最高潮に辛い。苦手なんだよな、文章題とかさぁ。くそ。
「……終わった……俺の面談、終わった……。」
「まだ、初日なのに。」
「だってさー……あ。春哉、何か食って帰ろ?」
「今日は、やめとく。」
「あー、そっか。」
「違うよ、買い物済ませたいだけ。」
「そっちか。」
3人もそれぞれ俺達の席に集まり、放課後の話になる。
「まぁ、英語は明後日だし、明日は空けとけよ。」
「うん、大丈夫。」
「じゃぁ、お先に。」そう言って席を立った春哉を、俺達だ見送った。俺と他の3人は、ぐだぐだしながらのんびりと教室を後にして、玄関へと向かった。
「……ん?おい、あれ。」
誠が指差した先。正門の脇。少し遠くて分かり難いけど、あの顔は忘れない。あの日の茶髪こと、前原がいた。その横には、春哉だ。
俺は急いでクツを履き替えて、真夏並の日差しの下、正門に向かって走り出した。
***
14時からセールだとチラシでみて、そういえば心がハンバーグを食べたいと言っていたのを思い出して、丁度良いと思い今日は早く帰ろうと決めていた。まぁ、午前中に終わるから、家帰って、チラシを確認して……十分間に合う。
「春哉。」
俺を呼ぶ、低い声。ついこの間聞いた、声。その場で立ち止まり、声の方を見る。
「……ま、え、はら……?」
一気に嫌な汗が噴出した。フラッシュバックしかけ、目をぐっと瞑り開く。真っ白なYシャツに、青ベースのチェック柄のスラックス。スラックスと同じ柄のネクタイに、黄色のネクタイピン。
そういえば、この学校はネクタイピンが学年カラーの物になってたな。
「何で……学校は?」
「サボった。」
サボってまで、何しに来たんだこいつは。
「場所、よく分かったね……。」
「この前、鞄を見た。相変わらず、学校指定のもん使うんだな。」
否定は出来ない。使えるものは使う。学校指定のバックだって、その辺の物と変わらない。うちの学校のものは、ポケットの部分に白色の校章とローマ字で学校名が入っている。
「まぁ……で、何か用?」
逃げたい。逃げろ。頭では分かっている。だけど、足が動かない。それに、周りの視線もあった。一応、学校の敷地外ではあるが、すぐ横には学校がある。
落ち着け。そう頭で考えながら、気が付けば逸らしていた視線を前原に向けようとした。
「だー!!何しに来たてめぇ!!」
龍司が、俺の目の前に立った。
背中に貼り付いてしまった白いポロシャツ。首筋に光る汗と、そのせいで項に張り付いた暗めの茶髪。中途半端に履いたスニーカー。掴んだままのリュック。
安堵と、喜びが溢れた。
***
「……中学の友人に会いに来ただけだ。」
春哉を庇う様に前原の前に立ち、何しに来たのか尋ねると、このクソ暑い中飄々とした顔でそう言いやがった。
「友人?お前の口からそんな言葉が出るとはな。春哉から、全部聞いたからな。良いから帰れ、他校生。」
「……話したのか?」
視線が俺から春哉へと向かう。俺は、その視線を春哉にぶつからない様に少し動いた。
「聞いたっつってんだろ。」
無言の睨み合い。長引いたら、先生来そうだな。どうしよ。引けないし。
そう考えていたら、前原がすぅっと鼻から息を吸って鼻から吐いた。
「……春哉、話がしたい。」
「帰れって言ってんだろ。」
無視かよ!!
「……そうする。春哉、また来る。」
視線はまた、春哉へと向かう。俺がまた同じ様に庇おうとしたら、春哉が俺の隣り……つうか、斜め後ろに立った。上手く言えないけど、すげぇ複雑な顔してる。すると、俺達の後ろ側。ちょっと離れた場所に、誠と賢悟と辰彦がいた。
「……話がしたい。それだけだ。」
つうか、今更だけどテスト日把握してんの?うちの学校に知り合いでもいんのか?こいつ。それに、制服だし。
「ダメ。」
俺が答えた。
「春哉。」
一瞬見せた、縋る様な前原の顔に俺は少し驚いた。恐る恐る春哉を見ると、俯いていた。俺はそのまま春哉を見ていたら、そっとポロシャツの背中側の裾を掴まれた。ぎゅっと握って、離した。前原は、気付いている。じっと春哉を見て、ぐっと、眉間にシワが寄った。
ダメだ。OK出すな。また、あんな事されたらどうするんだよ。
「……今週は、金曜日しか、空いてない。あとは、先約がある。」
春哉は、真っ直ぐに前原を見ている。前原も、その視線に答える様に春哉を見ている。
俺はただ、春哉を見つめていた。
「金曜……明後日か。分かった、金曜日に来る。」
「そうしてくれ。でも、学校には来ないで。この前、君と会った場所にして欲しい。大丈夫、1人で行く。」
「そうか……分かった。」
呆然と見ていた俺は、今の言葉に反論した。
「春哉、ダメだって。」
「大丈夫だよ。」
そう言いながら、また俺のシャツの裾を掴んだ。走ったし、びちゃびちゃになってんじゃないの?なんて、俺はそんな事を考えていた。
真っ直ぐ前原を見る春哉は、ちかちかキラキラしていた。
そんな春哉を見て、俺の中の何かが軋んで、痛んだ。
「じゃぁ、金曜に。」
前原はそう言って、その場で俺達に背中を向けた。見えたのは、原付。また洒落てる形のもん乗りやがって……やっぱり、いけすかねぇ。
キャップ型の黒いヘルメットに、同じく黒のゴーグルがついてる。前原はそれを被って、原付に乗り、エンジンを掛けそのまま行ってしまった。バス停の前を通り過ぎて、緩やかな坂を下る。
待った、あの制服って進学校のだったよな。良いのか?原付。つうか、そもそも学校行ってないんじゃね?
「龍司。」
小さくなる前原の背中を見つめながら、そんな事を考えていたら春哉に呼ばれた。
「へ?あ、何?」
俺の裾、まだ掴んでる。良いけど。
「……ありがとう、走ってきてくれて。」
ふっと微笑む顔に、ただでさえ太陽が眩しいのに、更に眩しくなった。ちかちかキラキラ、ぎしぎし。
「……ん。」
「本当、大丈夫だから。」
「でも――。」
「平気。」
ほんわりと笑った春哉に、俺は何も言えなくなった。
「じゃぁ、もう行くね。」
「あー、うん……。」
後ろの方にいた3人にも声を掛け、春哉はいつのまにかバス停に停まっていたバスに駆け込んだ。
「何だって?」
誠が、俺の肩を叩いた。
「……金曜、2人で会う約束してた。」
「え、何で?」
今度は賢悟。
「前原が、話したいって。」
「話し、ねぇ……何だろう。」
辰彦。
「……知るか!!暑い!!」
俺はバス停に向かい、傍にある自販機でお茶を買った。
とにかく、何故か悔しい気持ちで一杯だった。
***
翌日、俺は、進行形で、不機嫌です。
「……龍司。」
「なんすかね。」
今日は俺の家。皆を引き連れて帰ったら、春哉と誠に母ちゃんテンション上がりまくり。連絡してくれたら、宅配ピザでも頼んだのに。なんて言われた。
「怒ってんの?」
「怒ってる。」
結局、皆でそうめん食ってる。
隣りで同じくそうめんを食ってる春哉が、俺を見ているのが分かる。
多分、『俺が嫌だから行くな。』とか言ったら、バカにされるだろうから言わない。
「俺は、ちょっとやだなぁ。」
俺の気持ちを察したのか、本当にそう思ったのか、口を開いたのは賢悟だった。
「……ありがとう。でも、大丈夫だよ。……多分。」
「多分じゃ駄目だろ。」
誠。そうめん似合わねぇな、こいつ。
「あはは。」
「笑う所じゃないよ、春哉。」
辰彦、ナイス。ただ、突っ込ませてもらうなら、何でお前が賢悟によそってやってるんだよ。母か、お前は。
「そうだけど、心配してくれてる事が嬉しくて。」
「大丈夫だよ。」そう言って、微笑んだ。
「なんなら、行き帰り連絡入れようか?」
なんて、ブラック春哉様の顔してる。俺がどう答えるか、楽しみって顔だ。
『そんな事言うなら、俺達の誰かを連れて行け。』って、言おうとも思ったけど、考えるのに疲れてしまったから、俺は「待ってる。」とだけ口にした。
春哉は、俺をバカにするかの様に微笑み、「よそってあげようか?」何て言ってきたから、黙ってツユの入った容器を差し出した。
***
いつも通り過ごして、勉強会に参加して、笑っていたら、テストの最終日になってしまった。
……4時間目まであるって、言い忘れたな。まぁ……良いか。
「……はい、始めて下さい。」
最終日。最後のテストは、世界史だ。
***
「じゃぁ、お先に。」
不機嫌丸出しの龍司と、龍司を宥めてくれている3人に告げ足早に教室を出る。途中、クラスメート達にも「また、明日。」とか「用事があるんだ。」とか言いながら、玄関まで進む。クツを履き替え、バス停へと向かう。それにしても、暑い。8月にもなっていないのに、今からこんなんだと不安しかない。
バス停の傍にある自販機で、缶の紅茶を買った。
心は、大丈夫だろうか。友達と遊びすぎて、汗や砂埃まみれになっていないだろうか。奥さんに、一応メールを入れておかないと。
夏生も、マメに水分を取っているだろうか。今日は外での作業だと言うから、大きい水筒にスポーツドリンクと、塩飴を持たせたけれど……大丈夫だろ。むしろ、自慢していそうだ。止めてほしいと言っているのに。
そうこう考えていたら、缶の中身は無くなり、バスも丁度来た。
バスに乗り込み、一番後ろの窓際に座る。それと同時に、先程の龍司の不機嫌丸出しの顔を思い出し口元が緩みかけた。咄嗟に口元を手で覆った。
あの表情は駄目だ。期待をしてしまう。自分の良い様に考えてしまう。
龍司。
心の中で呟いて、ひっそりと息を吐いた。
……今は、この後の事だ。腹を決めろ。
***
この前のファストフード店。ぱっと見はいない。俺は何も買わずに、そのまま奥へと進んだ。
いた。
爽やかな青ベースのチェック柄のスラックス、学校指定の真っ白なポロシャツ。カウンター席の一番奥に座り、本を眺めている。俺が来た方向に向いているが、気が付いていない様だ。
「……前原。」
驚かさないようゆっくり近付き、呼んだ。本から視線を上げ、俺を見る。表紙は俺も読んだ事のある、少し前に流行っていた小説。
「遅かったな。」
「僕の所のテストは、4時間目までだから。ごめんね。」
「……別に。」
そう言いながら、本を鞄に仕舞い立ち上がろうとしていた。
そもそも、いつからこの店にいたんだろうか。制服だし。
「移動するの?」
「コーヒー、冷めると美味くないから。」
「そう……。」
こいつ、舌肥えてるんだった。
「でも、前はここにいた。」
「あいつがここに入ったんだ。あの日は、偶然会っただけだ。」
「……そうだったんだ。」
ゴミ箱の前に立ち、半分は残っているコーヒーを捨て、ホット用のカップも捨ててしまった。
「……ねぇ。僕、今日はそんなに手持ちは無いよ。」
「奢る。俺が、話したいって誘ったから。」
気が引けたが、手持ちが少ないのは事実だった。移動するとも、思っても無かった。俺の家の事情を知っている相手だからこそ、そう思っていた。
「そう。じゃぁ、甘えようかな。」
「……その話し方、何か変な感じする。」
「同じ学校の子がいるかもしれないから……我慢して。」
「分かった。」
お互い無言で歩く。あの日と違うのは、お互い隣にいる事。
暫くそうして歩くと、人魚のシンボルの店に到着した。俺には縁のない、コーヒーショップ。茶色と草木の色で纏まった、落ち着いた内装と音楽と香ばしいコーヒーの香り。飲めないけれど、コーヒーの香りは好きだ。
それにしても、制服姿が2人、店内に入るとすこし浮いてる気がして落ち着かない。
「何にする?」
「任せる。分からないから。」
「そうか。」
ひとつ頷いて、前原はカウンターに広げられたメニュー表に顔を向けた。俺はそんな前原の隣りで、ぼんやりと頭上にあるメニューを眺めていた。
……抹茶ラテとかあるんだな。コーヒーショップなのに。
カラフルなイラストと共に、様々な種類のコーヒーや食べ物の名前が書いてある。
「おい。」
そう呼ばれて、やんわり鞄を掴まれ、カウンターの左端に連れて行かれる。
「お前、抹茶で良かったか?」
「うん。」
「相変わらず、コーヒー駄目なんだな。」
「……僕、コーヒー飲めないなんて、言った事ある?」
「俺の家に来てた時、コーヒー出したら手ぇつけなくて、冷えたジュースは半分以上残して、温かい紅茶を出したら嬉しそうに飲んでた。」
「……よく、覚えてるね。」
たまにしか出されなかったお客用のお茶とお菓子。前原に余裕があった時には、事が終わると出してくれていたな。あんまり、覚えていないけど。
「まぁな。」
「僕は、忘れたいよ。」
「……だろうな。」
「今日は、この事について?」
「それもあるが……色々、聞きたい。」
「……そう。」
そんな話しをしていたら、注文した品物が出て来た。前原も俺も、ホットだった。涼しい店内だから、丁度良い。
前原が品物の乗ったトレーを持って、奥へ奥へと進む。仕切りで区切られたスペースが、いくつかある。どれもがソファーの席で、多分、ゆっくり2人でお茶を……という時に使われる席だろう。
その仕切られた席の一番奥。人目に付かない場所で、前原は持っていたトレーをテーブルに置いた。
「座れ。」
「……うん。」
俺は、抹茶ラテの前に座った。温かく、少し甘みのある香りがとても安心する。
「……この前、久し振りだったな。」
「そうだね。3年?近いのかな。」
「それ位だな。」
この席のあたりは、店内のBGMがとても小さく遠くに聞える。
「お前、何していたんだ?」
お互い一口飲んでから、前原が口を開いた。
「何、って?」
「中学、変わった後。」
「……特に、変わった事はないよ。君達のお陰で、新しい所では上手くやれた。微笑んで、話しを聞いて、それらしい答えを相手に与えていれば良かった。それが分かったのは、君達のお陰。」
「俺達のせい、じゃないんだな。」
「それでも合ってるよ。」
「家は、どうだ?」
「それこそ変わらないよ。兄がいて、姪がいて、僕がいる。あぁ、最後の日。兄が君を殺すって、息巻いていたよ。君は?どうしてた?」
「変わらない。両親とお手伝い。俺。親父は、病院を継げと言ってくる。継ぐつもりだと言えば、意気揚々と蔵の改装を始めてる。防音やら、空調やら、勉強する環境を改めて整えてくれてる。小さい、個人の病院なのにな。」
「そう、でも感謝しないとね。」
「勿論してる……ところで、あいつらは誰だ?」
「あいつら?……あぁ、この前一緒にいた?」
「そうだ。」
「何って……僕を、親友とか友達って言ってくれる人達だよ。」
「ふぅん……なら、お前を庇って俺の前に立った奴は?」
「彼が、僕を親友って言ってくれてる。」
「そうか。」
また、お互い無言になった。一体こいつは、俺の何を聞きたいんだろうか。
「……親友だからと言って、ああやって庇ったりするもんか?」
「僕に聞かれてもね。」
俺は指先を温めていたカップから手を離し、ソファーに体重を掛けた。体が沈む位、柔らかい。
「お前、あいつに甘えていたろ。」
この言葉は、無視した。前原はじっと見てきたが、何も言わなかった。
「まぁ、良い……。」
「ねぇ、君は僕の何が知りたいの?何だか……しおらしい質問ばかりで、覚悟してきた僕自身が馬鹿みたいだよ。」
そこまで言い切って、俺は少し冷めてしまった抹茶ラテを口に含んだ。冷めているからか、甘みと苦味がはっきりと感じる。
「……お前、今フリーなのか?」
「……は?」
我ながら、変な声が出てしまった。前原は気にせず、話し続ける。
「最後の日、本当はあのまま泊まらせて、俺しか考えなくなるまでヤッってやろうかと思ってた。」
……そうだ、こいつはオブラートに包むという事をしない男だった。黙っていたら、まだ前原の言葉は続いた。
「でも、出来なかった。」
「しなかった、じゃなくて?」
「したかった。でも、出来なかった。俺は、お前を好きだったのに。」
「……何を……。」
「あの時の俺は、本当に馬鹿だった。男であるお前に対する感情とか、欲とか、理解出来ず、普通じゃないと思って、誰にも言えなくて……あいつが言ってきた提案に、思わず乗っかった。この感情を確かめるチャンスだ。そう、思った。」
前原もソファーに体重を掛け、俺と違うのは足を組んだ事。そういえば、夏生と同じくらいの目線だった。あの頃は、同じ位だったのに。
「今更、何を言ってるの?」
「そうだな……でも、あの時から忘れた事はない。女子と付き合っても、ヤル事ヤッても、結局はお前の顔を思い出してた。1人でしても、目の前に広がるのはお前の姿だった。」
淡々と吐き出される言葉に、俺はただただ聞いている事しか出来なかった。
こいつは、俺を好きだったのか?……あぁ、それならば納得が出来る。あの日、あの時の【ごめん】は、懺悔であり後悔の現れだったのか。それで、今日のこれは、今も本気だという警告でもあるのか。
でも、俺は――。
「僕は、君が嫌いだ。」
「だろうな。」
でも、あの日にこの言葉を聞いていたら、何かが変わっていたかもしれない。そしたら、龍司や、誠、賢悟、辰彦に出会う事無く。前原と同じ中学を卒業して、同じ高校に通って、2人だけの世界を作り上げて生きていたかもしれない。
……長くは続かなかっただろうな……。
「あの日に……あの日に君が、僕にそう言っていてくれていたら関係性は変わっていたかもね。友人として、一緒にいれたかもね。」
「……そう、だろうか。」
そう話していたら、最後の日の事を一気に思い出した。優しかった、あの日。
6月だったか。あれは。本格的な夏になる前。珍しく、晴れたあの日。いつもの通り、蔵から人払いをして俺に着替えを渡してから風呂に閉じ込めて、俺もいつもの様に風呂に入って。蔵に戻るとベッドの上に前原がいたんだ。
蔵の扉が閉まり、俺の中でまた別のスイッチが入る。前原が俺を呼ぶまでその場で待って、やっと前原が手招いて、俺はベッドに座る前原の前に立つ。
前原は、俺を見上げて――そう、困った様に笑ったんだ。
それから、前原は立ったままの俺の腰に腕を回して、腹に頬を擦りつけながら俺の背中側の裾から手を差し入れてきた。あの時は、急にどうしたのかと驚いたっけな。
かと言って、俺はじっとしてるしかなくて、されるがままになってたら急に景色がぐらついて、気が付けば組み敷かれていた。
いつもの性急さや、暴力的な物は無かった。ただ、優しく、労わるような触り方だった。
キスをして、舌を噛まれて、丁寧に解されて、緩やかに貫かれて――そして、俺を抱き締めて『ごめん。』と言ったんだ。
「……春哉……。」
「馬鹿じゃないの……。」
自分の声が震えているのが分かった。前原は一瞬驚きの表情を見せたが、テーブルに置いてあった紙ナプキンを渡してきた。
「久々に、お前の泣き面見た。」
「意味が、違うだろ……。」
「そうだな。」
涙が溢れるのと一緒に、自分の中でスイッチがオフになるのを感じた。
「お前達にやられてから、俺、女子の事、そういう目で見れなくなった。」
「うん。」
「勿論、可愛いと思う。優しくしないと、丁寧に扱ってあげないと、そう思うけど、欲情しなくなった。」
「そうか。」
「……さっきの。」
「あぁ。」
「さっきの、俺とお前の間に立った奴。俺を、親友と言ってくれる奴。」
「あいつか。何だ。」
「すごく好きなんだ。あいつの事。」
「……そうか。」
揺らぐ前原の姿。揺らぐ前原の表情。その表情は、苦笑い。
最近、泣く事が多いな……しっかりしないと。
【俺】から、【僕】に。
「前原。」
「何だ。」
「何も分かってあげられなくて、ごめんね。」
「……俺も、酷い事して悪かった。でも……お前に対しての感情は、嘘じゃない。勿論、今も。」
「うん。でも、やっぱり僕は君が嫌いだ。許したくもない。」
「それで良い。」
俺は冷たくなってしまった抹茶ラテを飲んだ。甘みが染みる様だ。前原も、冷めているだろうコーヒーを口にした。お互い視線を交わさず、暫く遠くに聞えるBGMに俺は耳を傾けた。
腹の奥に、頭の隅に、深く掘った穴の中に埋まっていた黒い何かが少し減った気がした。
白黒の記憶、赤が際立った記憶。痣の記憶。それらにノイズが掛かり、カラーになって、俺はあれから初めて真正面からそれを見れた。吐き気と、痛みを改めて感じた。でも、これで良かった。これで、俺は前に多きく進める。
いつものメンバーに言えば、きっと新しい思い出を貰える。
龍司の姿に、また心躍らせ記憶に焼き付ける事が出来る。
過去を纏めて空いた部分には、それらを飾ろう。木製の、シンプルな額にでも入れて、向き合えた最悪な記憶の隣りにでも。
深く掘って埋めた穴に、クロユリの花を咲かせよう。【愛と呪い】ピッタリな花言葉だ。その周りには、アネモネを散らしておこう。【儚い恋】自意識過剰だろうか。それから、龍司との記憶を飾ろう。
そうすればきっと、俺は生きていける。
夏生にも、今夜全て話そう。きっと、怒るだろうな。それでも、何も言わず夏生は聞いてくれるだろう。
「……春哉。」
「ん?」
「最初から、やり直せないか?」
俺は、飾り付けたそれらを丸ごと箱に入れて、厳重に鍵をした。誰にも、開かれないように。
「……どう、だろうね。」
「連絡先、交換しないか?」
厳重に鍵を掛けたそれを撫でるイメージをしてから、俺は自分の携帯を取り出した。アドレス登録の場所を開いて、前原の前に置いた。前原は黙って受け取り、操作する。戻ってきた携帯には、【前原 蓮】と表示されていた。
「……そうだった。君、蓮って名前だったね。」
「あぁ。お前は結局、1度も呼んではくれなかった。」
「そうだね……。」
「いつか、そう呼んでくれるまで……不安なら、あの友人達を引き連れてくれば良い。」
「……話しはするけど、そこまでするつもりはないよ。」
「そうか。」
「でも、君を信じたわけじゃないよ。僕の信頼が欲しいなら、君次第だ。」
「分かってる。」
その後は、ただ2人で静かにお茶をした。
先程、前原が読んでいた本の事、最近の本の事、美味しい紅茶がある店の事、前原の通う学校の事、俺の通う学校の事。そんな話しをしている最中の前原は、俺を見て静かに微笑んでいた。
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