4 / 14
第4話 伏見①
その城は、稲荷の社の広大な森と武家屋敷に周囲を守られ、小高い石垣の上に建っていた。
城下からは漆喰塗りの高い塀が見えるばかりで、中の様子は窺い知れない。建造されてどれほど経つのかも定かでないが、いつ見ても漆喰は真新しく、屋根瓦は黒々と輝いていた。
ここに住まいするのは、『主』と呼び習わされる一人の男だ。
千年も前からこの地にあり、国家の安寧を守り続ける神のような存在だと言われている。
城下の社で元服の式を終えた小狐丸は、城の中の奥まった一室に案内され、夕刻前からずっと『主』への目通りの刻を待ち続けていた。何の知らせもないまま時は過ぎ、ついに陽が落ち、夕闇が部屋に忍び込む時刻となった。
薄暗くなった部屋に灯りが点される。火を入れに来た世話役が、ようやく小狐丸に主の出御を伝えてくれた。待ちすぎたせいで強張った体を屈めて手を突き、小狐丸は平伏の姿勢を取った。顔を伏せると、畳の上に置いた稲穂の束が目に入る。輿入れの際に、五穀豊穣の願いを込めて氏子たちから託されたものだ。
こうして今年の実りを無事得られたのも、華狐が主の側で国家鎮護の祈りを捧げているからだと、彼らは言った。少し前までの己と同じく、神事がどんな行為を指すのかを知らぬのだ。
平伏の姿勢で待ち続けるうちに障子が開き、上座に向かって畳を踏みゆく微かな足音が聞こえた。やがて、ばさりと衣擦れの音をさせて、誰かが座る音が耳に届いた。
「――面を上げよ」
落ち着いた男の声が小狐丸に命じた。
小狐丸は緊張を抑えながらゆっくりと顔を上げ、正面に座した人物の姿を確かめた。じっと凝視して、納得がいかずにさらにじっと見つめる。
そこにいたのは中肉中背の、これといった特徴のない、いたって平凡な風貌の男だった。
本丸の主と言えば、千年に亘ってこの世界を統治する、人ならざる存在だ。
年老いた仙人か、あるいは永遠の若さを備えた偉丈夫かと、様々な姿を想像していたのだ。だが、今目の前にいる男はどこにでもいるような、ごく普通の、敢えて言うなら少しばかりくたびれた壮年の男だった。
――まことに、この方がぬしさまか……?
狐に化かされたような心地になる。それが顔に出てしまったのか、男は小狐丸を見て苦笑を漏らした。
「がっかりしたか」
気を悪くした様子もなく笑う男に、図星を突かれた小狐丸は小さく身を縮めた。
「……いえ、その……。もっと、恐ろしげなお方かと思うておりましたゆえ……」
大して取り繕いもせずに言った小狐丸に、男はますます笑みを深めた。
「どうやら、巷では怖い噂でも流れているらしいな」
「そういうわけではありませぬが……」
追求された小狐丸は、歯切れ悪く言葉を濁した。
何とも言えぬ苦い思いがこみ上げる。この人物に、これから己は一生を捧げるのか、と。
小狐丸の生家は、代々白い神狐を明神として祀る、神職の家系だ。
千年もの歴史を持つ稲荷の一族には、その神聖な務めを果たすため、白髪赤目の男児が時折生まれる。彼らはみな『小狐丸』と名付けられ、長じて元服を迎えれば、明神の化身である『華狐』となって本丸に上がり、主の側で生涯祈りを捧げて暮らすのがしきたりだ。
神聖なる華狐が身を捧げて祈るからこそ、この国は長く安寧を続けて来られた。そう聞かされて育った小狐丸は、お役目を誇らしく名誉あるものだと信じていた。――それがあのような欲に塗れた行為を指すのだとは、夢にも思わず。
小狐丸が真実を知ったのは七日前の事だ。小狐丸は伯父によって花街の置屋に連れて行かれた。そこで小狐丸は、絢爛豪華な太夫が男たちに尻を犯されて啼くさまを見せられ、自らも菊座に異物を含んで快楽を得る術を教え込まれたのだ。本丸の主に仕えるための、大切な身支度だと言って。
冷たく麗しい伯父は、憐れな太夫を生贄に男同士の交わりの全てを見せてくれた。ただの交わりだけではない。何があっても本丸で狼狽えぬようにと、尋常とは思えぬ数々の責めをも、伯父は惜しみなく見せてくれた。
裸に剥かれた太夫は、供物のように全身を縄で縛られ、梁から吊るされた。鞭打たれ、拡張され、注がれ、嬲られ――穴という穴を責め苛まれて正気を失っていく様子を、小狐丸は具に見つめた。それらは恐怖を感じる光景であると同時に、若い小狐丸にとっては血の滾りを抑えきれなくなるような、淫猥な宴の光景でもあった。
伯父はその光景を眉一筋動かすことなく、凍り付いた真紅の瞳で見据えていた。この伯父には、人の色欲などというものは持ち合わせがないのかもしれない。長年、伯父に密かな恋慕を抱いていた小狐丸は、悶え喘ぐ太夫に伯父の姿を重ねてみたが、それが報われることはついになかった。
伯父が望んだ通り、小狐丸は男を悦ばせる術を習得し、二度と出られぬ本丸の主の下へと輿入れしたからだ。
小狐丸は過去を振り切るように息をつくと、居住まいを正して主に向き合った。
あの池田屋での出来事は過ぎたことだ。『小狐丸』として生まれた以上、仕える『主』がどのような人物であっても、生涯を捧げねばならぬことに変わりはない。覚悟はつけてきたはずだった。
「不調法者ではございますが、真摯にお仕え致しまする。未熟ゆえ至らぬ所はどうぞお導きくださいますよう、伏してお願い申し上げます」
言い終えると、小狐丸は畳に手を突いて深々と頭を下げた。
この男が神であっても仙人でも、あるいはただの人であったとしても、この城に囚われることに変わりはなく、恋うる相手と抱き合う日は永遠にやってこないのだ。ならば、役目を受け入れて慣れる以外ない。
小狐丸の言葉に、男は低く呟いた。
「……お前は、なかなか肝が据わっているな」
生意気だと思われただろうか。
ひやりとする小狐丸を他所に、男は喉の奥を愉快そうに鳴らした。どこか背筋が寒くなるような笑いだった。
僅かに緊張が走ったその時、障子の前に人影が映った。
「――伏見にございます。御酒をお持ち致しました」
凜としたその声は、どこかで聞いた覚えのあるような声質だった。
「入れ」
男が入室を許可すると、音を立てもせず障子が滑り、廊下に控えていた人物の姿が露わになる。その姿を見た小狐丸は、アッと声をあげそうになった。――そこにいたのは、小狐丸と同じ白髪赤目を持った若い武人だったからだ。
「……」
相手の方も明らかに動揺していた。瞬きを繰り返してそれを押し殺そうとしているのが分かる。そしてその様子を、上座の男が楽しげに観察しているのも、小狐丸は意識のどこかで感知していた。
「ここへ来い、伏見。初の親子対面だぞ」
男に呼びかけられて、伏見と呼ばれた武人は隙のない所作で立ち上がった。すらりとした長身の持ち主で、歩き出すと高い位置で纏めた白髪がしなやかに揺れる。音もたてずに主の側へと参じ、膝をついて膳を差し出すと、伏見は体を小狐丸の方に向けて控えた。
年の頃は三十路になったばかりと言ったところだろうか。
鮮やかな銀杏色の単法被に薄鼠色の大口袴、腰には白と金で飾られた美麗な太刀を佩いている。若々しい武人の装いだ。
豊かな白髪は動きやすいように一つに纏められ、その光の束が首筋に降り掛かるさまは、冴え冴えとしていながら、どこか艶めいても見えた。肌は雪花石膏のように白く、深紅の瞳を嵌めた両目と、眦を彩る朱の化粧を引き立たせている。
――これは、先代の『華狐』か。
清冽で凜とした佇まいの伏見に、小狐丸は我知らず身を低くしていた。
このように花も盛りの先代がいるのなら、己のような洟垂れ小僧が城に呼ばれる必要はなかったのではないか。劣等感を覚えると途端に、住み慣れた社と冷たい顔の伯父が恋しく思えた。今からでもお役御免になればよいのにと。
一方、小狐丸を見た伏見の方は、忌まわしい物でも目にしたかのように薄く眉を顰めていた。男はそれを実に楽しげに観察している。
「どうだ、己が息子と顔を合わせた心境は」
にこやかな男の問いかけに、伏見は苦い口調で答えた。
「……生まれたことさえも知りませぬのに、なんの感慨を抱けましょうや」
――主従の会話から、小狐丸はこの伏見と呼ばれた『小狐丸』こそが己の父であることを、そして己が決して歓迎されてはおらぬことを確信した。
考えてみれば、生まれた以上は親がいるのは当然のことだ。だが稲荷の家では伏見の名はおろか、先代の華狐について一度も話題に出たことがない。己の父や母は誰なのかという疑問すら、小狐丸は持ったことがなかった。
稲荷の家の家系図は複雑だ。
其々の世代で腹の違う兄弟が無数にいて、生まれた順に一の君、二の君と名付けられる。白髪赤目で生まれれば、その全てが『小狐丸』だ。『小狐丸』たちは元服を迎えると同時に本丸に上がり、二度と社へは戻ってこないが、そのうち最も年長のものが家長となって貴重な神狐の血を引き継いでいく。
小狐丸は少し離れたところに座す伏見を見つめた。
――これが、父……。
伏見が実子に何の感慨も抱けぬと言ったのと同様、小狐丸の方も今日初めて存在を知った父に戸惑うばかりだった。
もしも、ここにいたのが伯父であったなら、嬉しくもあり心強くも思ったことだろう。だが父親であるはずの伏見は、少なくとも小狐丸を歓迎していない。
奇妙な緊張が二人の間を走った。
「本丸では与えられた部屋の名で呼び合うのが通例となっている。これは『伏見』、お前は今日から『三条』だ。早くこの呼び名にも慣れてくれ」
「はい……」
男の言葉に小狐丸は首肯した。
三条、と小さく呟く。今日初めて聞く名を己の呼称と認めるには、もう少し時間が掛かりそうだった。
「さて……」
脇息に緩く体を凭れさせた男が、手に持った扇を揺らした。伏見の表情が僅かに強張ったことを、小狐丸は見逃さなかった。
「あまりゆるゆると話をしていては、月が高くなってしまう。――伏見、身につけた物を全てここに落とせ」
「……」
伏見はすぐに返事をしなかった。
許しを請うように顔を傾けて、無言のまま男を凝視する。男はその縋るような視線を受け止めながら、穏やかな笑みを口元に浮かべた。
「三条は今日が初夜だ。新床で如何なる役目を果たすのか、何も知らぬままで過ちがあってはならんからな。――違うか、伏見」
最後の名を呼ぶ時の声は幾分強かった。
小狐丸はふと池田屋での伯父と日本号の言葉を思い出した。
『不調法者を二度と御前に上げるわけには行かぬ』
『先代みたいに何も知らずに城に上がって、一族の顔に泥を塗るような不始末を……』
――あの言葉は、この伏見のことを指していたのかもしれない。
伏見は暫く体を強張らせていたが、やがて意を決したように立ち上がった。
小狐丸には背を向け、主の目の前で着物を脱ぎ落としていく。
黒の雪洞が付いた鮮やかな黄色の上着を脱ぎ、大口袴の帯を解いて畳に落とした。袖無しの胴着も静かに脱ぎ落とすと、身を屈めて足袋を脱ぐ。――そこで、動きが停まった。
俯き加減に座った伏見の背を、高く纏めた光の尾のような髪が隠している。癖が少なく、流れるように艶やかな髪だ。
「伏見」
一糸纏わぬはずの姿で眼前に座る伏見を、主は手に持った扇でぴしゃりと叩いた。
「全て落とせと言ったぞ」
後ろ姿からは完全な裸体にしか思えなかったが、伏見はまだ全てを脱ぎ去ってはいなかったようだ。
「ぬしさま……」
小狐丸に聞こえぬよう潜めた声で、伏見が主の名を呼ぶのが耳に届いた。主はそれを無視するように強い声をかぶせた。
「先達として、三条に手本を見せてやれと言っている。お前は自分が俺にしたことを忘れてしまったのか」
「忘れておりませぬ……!」
男の責める言葉に、伏見は悲鳴のような声を上げると、覚悟を決めてその場で膝立ちになった。前に回した両手を動かすと、伏見の足の間に数本の緑色の紐がたらりと垂れ下がった。一体どこから垂れているのかと、小狐丸は髪に隠れがちな臀部を注視したが、よく見えなかった。
「……あぁ」
目を離せずにいる小狐丸の耳に、溜息のような声が届いた。
開いた足の間に、伏見の手が伸びていた。白い手が紐を掴んで手繰り寄せると、引き締まった尻の狭間から、鮮やかな橙色の塊が産み落とされた。
それは胡桃の実ほどの大きさの、布で作られた花の蕾のようだった。茎を模した緑色の紐がまだ中へと繋がっている。
「……アッ、……ア、アッ……ッ」
伏見がさらに紐を引くと、続けて二つ目が零れ落ちてきた。先のものより少し大きいそれは、淡い紅色をしていた。二つの花の蕾が、白い脚の間で揺れていた。
紐はまだ繋がっている。それを引き出そうと手繰り寄せていた伏見が、苦し気に呻いた。
「あぁ……」
紐を握る手が震えていた。次のものがなかなか出てこないらしい。
「くぅうッ!……!」
三つ目が顔を出した、と思った途端、伏見が背を丸めて悲鳴を上げた。
先の二つに比べ、今出そうとしている三つ目は格段に大きいようだ。僅かに顔を覗かせたところで留まってしまい、伏見が紐を引いても出てこない。紐を握った伏見の手が滑り、たたらを踏むように四つん這いになった。小狐丸に向けた白い尻の中央に、大きな紫色の塊が見えていた。
「もう……どうか、お許しくだされ……ッ」
伏見が漏らす声は涙声だった。
後孔から塊を一部を覗かせたまま、伏見はそれ以上引くことも収めることもならなくなって、畳に這って哀願した。白い尻肉の間から顔を覗かせた大きな塊が、呼吸に合わせて緩やかに動いていた。
全貌が見えてこない塊は、果たしてどれほどの大きさを持っているのか。生半可な大きさでないことだけは容易に想像ができた。念入りな準備を施して押し込まれたのだろうが、一度閉じてしまった菊門から引きずり出すのは至難の業だ。だが出さねばいつまでも苦しみ続ける。
おそらく、男はそれを知った上で、伏見に巨大な責め具を挿れるよう命じたのだ。
ともだちにシェアしよう!