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第5話 伏見②
初夜の時に過ちがあったと聞くが、それはもう十五年以上前の話のはず。この男は未だにそれを許さず、伏見に拷問のような責めを加え続けているのか。優しげな表情とは裏腹に執念深く残忍な男の本性を知って、小狐丸は背筋が寒くなるのを感じた。
怖れを持って見上げた視線が、小狐丸を観察していた男と絡まった。男は悪気の欠片もない茫洋とした笑みを浮かべると、扇を使って小狐丸を手招きした。
「……三条、お前の初仕事だ。伏見の尻から華玉を抜いてやってくれ」
「ぬしさま……ッ!」
伏見が悲鳴のような声を上げた。その口を扇の先で押さえて黙らせると、男は小狐丸の人品を見定めるかのように底光りする目で見据えてきた。
「できるな?」
「……承知致しました」
迷ったのは一瞬だった。
伏見にとっては屈辱的だろうが、今の状態でいさせるのはもっと残酷だ。それに、薄々ながらも本丸の主の性根が分かった以上、小狐丸も下手に逆らって目をつけられるわけにはいかなかった。伏見と同じく、小狐丸も残りの生涯全てをここで過ごすと決められているのだから。
身を低くして膝行り寄ると、伏見が咎めるような目で振り返ったが、主に抑えられているため逆らうことはできない。小狐丸はなるべくそちらを見ず、何の感情も面に浮かべないよう気をつけながら、伏見の尻から垂れ下がる細紐を手に取った。
絹で織られたそれは、粘液をたっぷりと含んでいるため握ると滑った。だがそのおかげで、しっかり把持さえしておけば、伏見を傷つけることなく抜き出すことは可能そうだ。
小狐丸は片手に紐を手繰り寄せ、もう片手を白く滑らかな臀部にかけた。
「ゆっくり致しますゆえ、力をお抜き下され」
「……ッ!」
伏見が傷ついたような表情を浮かべたが、小狐丸は見ない振りをした。そして紐を握った手にじわりと力を込めた。
「……ッ、……あ……ッ……」
上下に揺らして、中に入った細工物を僅かずつ引き出していく。時折伏見が後孔を搾り込むため抵抗が強くなるが、緩んだ拍子を狙って力を込めれば、うちに収まっていたものの全貌が少しずつ見えてきた。それはどうやら華玉の名の通り、花を象った絹布細工のようだ。蕾の形をした先の二つと違って、最後の一つは大きく開花しているらしかった。
「後僅かにございます。深く息を吐いて、緩めて下され」
大きさにゾッとしながらも、努めて平静を装って、小狐丸は伏見に語り掛ける。小さく啜り泣く声から、伏見が懸命に息を吐こうとしているのが分かった。
身に余る異物を扱う時は、息を吐いて力を抜かせ、じわりじわりと慎重に動かさねばならない。これは池田屋で学んだことだ。焦らずに出してくればいつかは取り出せる。
静まり返った部屋に、伏見の荒い息遣いだけが響いた。華玉は歪な形をしているためにわかりづらいが、もう八割がた出てきているようだった。だが、最後の一角が大きく花びらを広げ、そこがひっかかって出てこようとしない。気の毒だが、伏見に耐えてもらうしかなかった。手にかかる抵抗が大きくなったことを知りながら、小狐丸は力を入れて引き続けた。
「……ひああぁッ!……あ、待……て……ッ、裂け、るッ……裂けるッ!」
力を強めると、伏見が怯えた声を上げた。言葉通り、裂けそうになっているのだろう。だが今手を止めることはできない。小狐丸はさらに力を籠める。
「無理じゃ……やぁぁッ!……苦し、いぃッ……あぁ、苦しいッ……!」
凜々しい武者風の、洗練された佇まいを持つ伏見が、突然童のような泣き声を上げた。それだけ大きな苦痛に襲われているのだろうが、稚いその泣き声を聞いた小狐丸の下腹部は、不意にずしりと重くなった。
部屋に来た時には威風堂々たる武芸者に見えた伏見が、幼子のように小さく蹲り、仕置きの辛さに泣いている。叶う限り優しく扱うも、荒々しく引き抜いて苦しませるも、小狐丸の心ひとつだ。今この瞬間は、小狐丸が伏見を支配しているのだ。それを自覚すると、下帯に押さえられたものが窮屈そうに頭をもたげるのが分かった。
小狐丸は誘惑に負けて、白い臀部を押さえていた手をスルリと内股に滑らせた。
「だめ……っ、触、るな……」
伏見の体が一つ跳ね、弱々しい拒絶の声が聞こえた。それに構わず、小狐丸はどっしりとした性器を手に取った。
双玉を収めた柔らかい袋と、男の象徴である肉茎。半勃ちになったその先端は、緩い蜜で湿っている。苦痛を紛らわせてやろうと、その肉茎を手で包んで愛撫した時に、小狐丸は気づいた。伏見のその部分が、まるで赤子のようにツルリとした無毛であることに。
これは本丸の流儀なのか、それとも伏見に課せられた罰の一端なのだろうか。
片手で伏見の雄芯を宥めながら、小狐丸はもう片方の手に力を込めた。残りを一息に抜き取るために。
「や!……ぬしさま……ぬし、さ、まッ……ぁああ――ッ……!」
花びらの張り出した部分が肉の環を通り抜ける時、伏見は手を伸ばして主の着物の袖を握りしめた。己に責め苦を課した当の本人だが、この本丸で伏見が縋るべき相手はこの男以外にはいないのだ。――そしてそれは小狐丸も同じだった。
「……抜けました」
やっと全てを取り出して、小狐丸は脱力して安堵の息をついた。改めて手に持った責め具を見てみると、やはり驚嘆すべき代物だ。
伏見の体に入っていたのは、絹布をいくつもの袋状に細工して纏め上げた、満開の大菊だった。水分を吸ってずしりと重いそれは、優に拳ほどある。大きく開花した紫の菊の後ろに薄紅と橙の蕾が連なり、そこから先は茎を模した数本の細紐になっていた。
「よくやった、三条。お前の手際は見事なものだ」
畳に伏して荒い息をつく伏見を撫でてやりながら、男は小狐丸に労いの言葉を掛けた。これをさせることで、小狐丸が房事にどれほどの知識や覚悟を持っているかを判じたのだろう。
池田屋での『身支度』を経験していたから良かったようなものの、何も知らぬままであったらすっかり動転するか、さもなくば伏見の体を傷つけてしまうところであったかも知れない。小狐丸は華狐に対する主の扱いを不満には思ったが、それを態度には出さなかった。
華狐とは呼び名こそ華々しいものの、実質は神に捧げられる人身御供のような物だ。ここでどんな死に方をしようとも、誰も気づきもしないだろう。伏見がどれほどの苦痛に苛まれていようと、城下ではその名さえ知られずにいるように。
不服を面に出さず静かに頭を下げた小狐丸に、男は満足そうな笑みを浮かべ、伏見が持ってきた酒器の膳を引き寄せた。男が片口を傾けると、朱塗りの杯に薄紅色の液体がトロリと広がった。
「褒美の酒だ。一口にいけ」
「は……」
小狐丸は下賜された杯を見つめた。
酒、と主は言ったが普通の清酒などでないことは、色や粘りから明らかだ。何かの生薬を溶かし込んだ薬酒に違いない。生薬の成分が気にはなったが、その効能を問うて答えが得られたとしても、飲まねばならぬ事には変わりなかった。
「有難く頂戴いたします。では……」
両手で杯を受け取ると、小狐丸は一気に飲み干した。
喉をカッと焼かれるように感じるのは酒精がきついせいだ。そしてこれほどきつい酒精でなければ溶けぬようなものが、この薬酒には含まれているのに違いない。
杯の縁を拭って空にしたところを見せ、小狐丸は酒器を膳に戻した。男はやはり満足そうに笑みを深めた。
「……伏見」
上機嫌となった男が、やっと上体を起き上がらせようとしている先代の華狐を呼んだ。
「はい、ぬしさま……」
応じる伏見の声は、入ってきた時とは違い、期待に甘く濡れていた。
華玉を抜き出される苦痛が性感を刺激し、被虐的な悦びに火をつけたようだ。白磁の肌が紅潮し、汗ばんだ肌に豊かな白髪を貼り付かせた様はひどく扇情的だった。
あのような責め具を挿れられておきながらと、思わないでもない。だが、池田屋で見た太夫も、巨大な物に菊座を拡げられて悲鳴を上げながら、立て続けに昇天を繰り返していた。死を思うほどの苦痛は、同時に他では得ることのできない悦楽をも感じさせるものなのかも知れない。伏見が足を重ね、腕でさりげなく隠している部分も、きっと興奮に姿を変えてしまっているのだと小狐丸は察した。
「……三条に酌をして、残りの酒も全て飲ませておけ。いいな」
伏見が何を期待しているのかを、男がわからないはずはなかった。だが男はその期待を躱すように小狐丸の世話を命じると、物言いたげな伏見に背を向け、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「……」
主の背を呑み込んで無情に閉じた障子を、伏見は暫く名残惜しげに見つめていたが、男が戻ってこないと分かるとのろのろと身を起こした。
まだ後孔が痛むらしく緩慢な所作で、脱いだ衣装を身につけ始める。手伝おうにも着付けが分からず、戸惑う小狐丸の前で支度を終える頃には、伏見の顔つきはこの部屋に入ってきた時と同じく、凜とした武人の雰囲気を取り戻していた。
「……世話を掛けた」
恥辱を覚えただろうに、それを覗わせぬはっきりとした口調で、伏見は小狐丸に礼を述べた。小狐丸は伏見の心情を慮って、何も言わずに無言で頭を下げた。
伏見は少しばかり安堵したような様子で、小狐丸に向かい合って座った。
「明日にでも城の中を案内致そう。今宵はひとまず、御酒を頂いて閨に備えるが良い」
だが、そう言って片口を持ち上げた伏見は訝し気に眉を顰めた。
伏見は一旦片口を膳に戻し、中身を確認するように蓋を開けた。そして今度ははっきりとした嫌悪の表情を浮かべた。片口は小振りな物だったが、中には薄紅色の酒がなみなみと満たされていた。
杯にして何杯分があるだろうか。酒精のきつい酒で、これを全部干せと言われても小狐丸には自信が無い。だが、飲み干さねば、酌を命じられた伏見がまた罰を受けるかもしれない。
「…………」
それは伏見にもわかっているのだろう。やや震える手で蓋を戻すと、杯に酒を満たして、無言のままに差し出してくる。小狐丸はそれを受け取り、噎せ込まぬように気をつけながら慎重に飲んだ。
「……稲荷の家はどうじゃ。みな息災にしておるか」
ゆっくりと杯を傾ける小狐丸に、間が持たせるように伏見が問うた。
小狐丸は酔いを覚え始めた頭で、伏見の言う『みな』は誰を指しているのだろうと考えた。社には多くの人間が住み込んでいる。小狐丸がはっきりと親族だと認識しているのは六の君と呼ばれる伯父くらいで、後は遠縁なのか使用人なのかも判然としない。
ひとまず病を得たような者には心当たりがなかったので、小狐丸は『はい』と答えた。
「……兄う、え……。……六の君も、お変わりなくいらっしゃるか……?」
目を逸らしたまま、伏見が問うた。
小狐丸は空になった杯を差し出しながら、玲瓏たる伯父の顔を思い出した。
目の前の伏見も大層美しいが、伯父の麗しさはまた別格だ。
老いを知らぬ透き通るような玉の膚、小狐丸や伏見よりも鮮やかな血の色の双眸と、硬く冷たい声音。誰とも打ち解けぬ生き人形のような伯父を、小狐丸は性愛の対象として見ずにはいられなかった。
遠くから盗み見ては下腹をいきりたたせ、凍てついた炎のような瞳を想って何度も自らを慰めた。池田屋で姫逝きを覚えたのも、伯父の乱れる様を脳裏に思い浮かべながらだった。
「息災でおられます」
もう二度と会うことはないのだという寂しさを堪えながら、小狐丸は答えた。
カタカタカタ……と硬い物が触れ合う音に気づいて、小狐丸は手元を見つめた。片口から酒を注ぐ伏見の手が震え、杯にぶつかって硬い音を立てているのだ。
「……今も……私のことを、お怒りでいらっしゃる、か……?」
震える注ぎ口を注視しながら、伏見が問うた。小狐丸は虚を突かれたように、何も言えず、薄く口を開いた。
怒るも何も、稲荷の家では伏見の名が出ることさえない。小狐丸は今日の今日まで己の父が本丸にいることすら知らなかったのだ。稲荷の家では、先代の華狐がいたという事実さえ、なかったこととして葬られていた。いったいこれを何と伝えたものか。
逡巡する小狐丸の気配に何かを察したのか、伏見は未練を断ち切るように首を振った。
「いや、良い。……聞いても詮無いことであったゆえ、忘れてくれ」
「ちちう、え……」
いったい過去にどんな経緯があったのか。問いかけようとした小狐丸は、無意識のうちに伸ばした手を伏見に厳しく払われた。
「私を父と呼ぶな! そなたのことなど知らぬ!」
払いのけられた手が当たって、膳の中に杯の酒が零れた。伏見はハッとなって口を押さえたが、一度放たれた言葉をなかったものにすることは誰にもできない。
伏見は詫びるように小狐丸の手を取って、濡れた指先を懐紙で拭き取った。
「……本丸では、互いを部屋の名で呼ぶのが慣例なのじゃ。私のことは、どうか伏見と呼んでおくれ。私もそなたを三条殿と呼ぶゆえ」
「……はい。……伏見様……」
何とは無しに打ちひしがれた気分で、小狐丸は杯を手に取った。
今日初めて会った父というものに、何を期待したわけでもないつもりだった。だが、こうまで拒絶されると傷つきもする。この本丸が思った以上に過酷な場所であると知った今はなおさらだ。
気持ちを切り替えるように苦みのある薬酒を一気に呷ると、無理が祟って噎せてしまった。横を向いて咳を抑える小狐丸に、伏見が痛ましげな視線を向けた。片口の蓋を開ければ、まだ酒は半分以上も残っている。
暫し思案する様子の後、伏見は重ねてあった杯を一つ取り、そこになみなみと薬酒を注いで一口に煽った。
「ふ……ふし、み……さまッ……!?」
「……良い。そなたにこの量は無理が過ぎる」
手酌で三杯程干すと、やっと片口は空になった。伏見は懐紙で品よく口を拭い、大きな袖の内側に淫具を隠すと、すらりと立ち上がった。
「まずは湯殿じゃ。迎えを寄越すゆえ、そなたはここで待っておるように」
言うと、後は振り返りもせずに部屋を出て行った。
体に残るはずの苦痛も、心が訴えるはずの痛みも感じさせない、涼やかな所作だった。そうでなくばここでは生きていけないのだということを、小狐丸は父の後ろ姿から感じ取った。
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