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来店 2
「お待たせ」
しばらくして戻ってきた店員は小さめのプラスチックのカゴを持っていた。
スポンジが入っているのが見えたから、おそらく普段から店で使っている道具類のセットなのだろうと想像出来た。
「行こうか」
そう言って受付のカウンターから出てきた男は、ナオトの左手をつかむとそのまま店を出た。
「えっ……」
男はサイトの案内を見てナオトが通ってきたマンションや雑居ビルが建ち並ぶ道ではなく、歓楽街の真ん中を通る道を、ナオトの手を引いたままずんずんと歩き出した。
制服姿の美形長身男に手を引かれて歩いている自分は、周囲の人からいったいどんなふうに思われているだろうか。
それを考えると、ナオトは恥ずかしくてたまらなくなってしまう。
「あ、あの、手、離してください……!」
ナオトの抗議が聞こえなかったのか、それとも聞こえなかったふりをしているのか。
店員は立ち止まりも振り返りもせずに早足で歩き続ける。
なんか強引だな、この人。
店員の態度に、ナオトは不安を感じ始める。
ナオトの手を引く男は、同姓の自分から見ても間違いなくいい男で、きっと女の子にすごくもてるだろう。
そういう男が相手が女の子ならばともかく、男の自分のことをナオトの希望通りに優しく洗ってくれたりするだろうか。
もしかしたら本当は男なんかにサービスするのが嫌で、それでさっさと終わらせてしまいたくて、こんなふうに急いでいるのではないだろうか。
こんな格好いい人じゃなくてもいいから、どうせならもっと優しそうな人だったらよかったな。
そういえば、風俗の詳しいシステムは分からないけれど、普通は写真などを見て相手を指名できるものではないだろうか。
本来は男性おことわりのところを融通を利かせてもらっているのだから贅沢を言ってはいけないのかもしれない。
けれどもせっかく勇気を出してここまで来たのだから、どうせなら望む通りのサービスをしてくれる人にお願いしたいと思ってしまうのも仕方のないことだ。
ナオトがあれこれと考えているうちに、目的のホテルについたらしい。
店員はナオトの手を握ったままホテルに入り、ナオトの意見も聞かずにさっさと部屋を選んでしまう。
エレベーターの呼び出しボタンを押してから、店員はようやくナオトを見た。
「もしかして、緊張してる?」
「え? ……あ、はい」
ナオトの顔が強ばってしまっているのは別に緊張しているせいではないけれど、本当のことは言いにくいのでとりあえずうなずいておく。
すると店員はつかんだままだったナオトの手を離し、代わりにその手でナオトの頭を軽くポンポンと叩いた。
「大丈夫だよ、別に難しいことじゃないから。
お客さんはリラックスして、ただ楽しんでくれればいいだけ。
ね、簡単でしょ?」
言いながら店員はナオトの肩を抱いて、やってきたエレベーターに乗った。
エレベーターの中で、男はナオトを安心させようとするように、その肩を優しく撫でてくれる。
ナオトがその顔を見上げると、大丈夫だよと言うように微笑んで軽くうなずいてくれた。
この人、案外優しいのかも。
現金なもので、こうして優しくしてもらえるとさっきまでの不安はきれいに消えてしまう。
そうして店員に肩を抱かれたままランプがついている部屋に入った。
ラブホテルなんかに来るのは初めてだったから、もの珍しくてきょろきょろしていると、店員に背を押されてソファーに座らされる。
「準備してくるから、その間にこれ書いておいてくれる?」
そう言って店員はナオトの前のローテーブルに何か印刷された紙とボールペンを置いて、浴室のドアの中に入っていった。
浴槽に湯をためているらしい水音を聞きながら、ナオトは置かれた紙に目を通すことにする。
その用紙は客の希望を聞くためのチェックシートだった。
まず最初に「本番はなし」「怪我等の危険性がある行為は禁止」などの基本的なルールが書かれていて、次に有料オプションの説明とその金額が並んでいて、希望のものにチェックを入れるようになっている。
特に希望するオプションはなかったのでそこは飛ばすと、次の項目は「NGプレイ」となっていた。
キス……はNGにしておこう。
必要もないし、ファーストキスが風俗の男の人ってのも悲しいし。……いや、別に風俗以外でキスできるあてもないんだけどさ。
次は性器へのタッチ……って、え、風俗なのにこれがNGって人もいるの?
それとも女の人はそういうの目的じゃなくて、男の人に洗ってもらったり一緒にお風呂入ったりしたいだけっていう人も多いのかな?
そういえばサイトにも性的サービスなしで愚痴を聞いてもらったって話が書いてあったかも。
じゃあ、僕もNGにして……あ、でもせっかくだから全部洗って欲しい……いやいや、やっぱりアレまで洗ってもらうのはまずいだろう……けど、風俗なんだから洗ってもらうのが普通だろうし別にまずくは……。
……。
と、とりあえず空欄にしておいて、後でもう一回考えよう……。
悩んで決めかねたナオトは残りのNGプレイの項目もまとめて飛ばして、先に次の項目へと進むことにする。
最後は「希望のタイプ」となっており、この項目がもっともチェック欄が多かった。
一応は最初に「おまかせ(素の雰囲気で)」という項目があるものの、その後に呆れるくらいの数の項目がずらりと並んでおり、その上「その他」の自由記入の空欄も異常に広い。
女の人ってこういうのにこだわりがある人が多いのかな。
それにしても「明るい」とか「やさしい」とか「甘い(恋人っぽい)」とかこの辺は分かるけど、「高飛車」とか「意地悪」とか「強引」とかって選ぶ人がいるのかな?
そう考えるのと同時に、ナオトの頭の中にここまで強引に自分の手を引いてきた店員の姿が浮かぶ。
男であるナオトは彼の強引な態度に困ってしまったけれども、きっと女性の中にはあんなふうに強引に引っ張っていって欲しいと思う人もいるのだろう。
「お客さんって、そういうのがタイプ?」
頭上からいきなり降ってきた声に驚いて顔を上げると、さっきまで浴室にいたはずの店員が黒のビキニ一枚で目の前に立っていて、ナオトはさらに驚かされてしまった。
細マッチョとでもいうべきなのか、男の体はがっちりとしているわけではないが、しっかりと筋肉がついている。
その上、おそらく水着だろう黒のぴったりしたビキニは中身の大きさが易々と想像出来るほどにふくらんでいて、ナオトはそのあまりにも出来すぎた体躯を口を開けて呆然と眺めることしか出来なかった。
「で、『意地悪』と『強引』どっちにする?
もちろん、両方でもいいけど」
なんだか楽しそうに言う男の視線を追ってチェック用紙に目を落とすと、ペン先は確かに「意地悪」と「強引」の間くらいにあった。
「ち、違います!」
慌ててその場からペンを動かし、「やさしい」と「丁寧」の項目にチェックを入れると、店員はつまらなそうに「何だ」とつぶやいた。
「ええっと、キスがNGでタイプは『やさしい』と『丁寧』ね。
うん、分かった」
店員は用紙を取り上げてナオトがチェックした項目を確認するとうなずいた。
「それでは、あらためて」
そう言うと店員はナオトの側にひざまずいた。
ビキニ一枚でそんな仰々しいことをしたら滑稽に見えてもおかしくないはずなのに、男の仕草は不思議と様になっていた。
「リョウと申します。
本日はよろしくお願いいたします」
「あ……よろしくお願いします」
うやうやしくお辞儀をされて、慌ててナオトもぺこりと頭を下げるとリョウはにっこりと微笑んだ。
先ほどまでとはまるで違うその表情は、確かにナオトの希望通り「やさしく」「丁寧な」雰囲気を備えていた。
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