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思い出さされる記憶

「ありがとうございますー」  今日は大学が午前中授業だったので、バイトが長めに入っているのだ。  僕はフロアスタッフとして今まで働いてきました。ですが、キッチンスタッフの一人である、真壁 真也君が胃腸炎になってしまい、僕がフロアとキッチンを行き来することになった。 「いらっしゃいま…せ」  来店されたのは二人の男性。一人は茶髪のロン毛で、黒縁の眼鏡をかけている。もう一人は帽子を飛ばされていた、あの、あの永原先生がこのカフェに来て下さっているのだ。 「おや、ここで働いてたんだねっ。ここで打ち合わせをさせてもらおうかなっと」 「あ、はい。では、こちらにはカーテンルームという個室がございますが、そちらになさいますか?」 「じゃあ、そこで」 「はい。ではこちらにどうぞ」  今年に入っての初めてのカーテンルームへ招く方が、まさか永原先生とお連れ様とは思いもよらなかったよ。そして、僕の事を永原先生が覚えていてくれただなんて。志麻は本気にしていたが、あの時の言葉は冗談だろう。 「ありがとう。じゃあ早速だが、アイスコーヒー二つお願い」 「賢ましました。失礼します」  今日は春とは思えないほどの真夏日和で、アイスコーヒーや冷たい物を頼む方が多い。  そして、作家という者は、儲かるのだろう。メニューも見ずに注文をしたのだ。もし、ここのカフェがぼったくり店だとしたら、店長は大喜びだろうね。ま、ここはそんなところではないがね。なんなら、この辺りじゃ安くて店内雰囲気も良い、そして来店される女性の目的でもある、店員の顔が僕以外全員イケメンであるということで何度か雑誌の取材を受けるほど有名店なのである。 「あっ、帽子のこと謝んないと」 と、キッチンに向かいながら思ったのであった。 「ほぉんと、りっくんは可愛いよね~」 「ね~。りっくんがホストだったら、皆貢ぎこんじゃって、破産しちゃうよね~」 「確かに~。私なんか週に百万くらい入れちゃうかな~」 「由美、そんな持ってないでしょ~。でも、借金してでも貢ぎたいな~」  いつも平日や土曜日のお昼頃に来店される、会社勤めの女性四人組。この感じはいつもの事で、僕たちのことをホストだと勘違いしているのだろう。 「ははっ、そんなに良い顔じゃないですよ。桜崎さんとか店長の方がカッコ良いですよ」 「また~、謙遜してるところがまた可愛い~」  僕は満面の愛想笑いを振りまいて、この席を行った目的の彼女たちの食べ終わったプレートを下げ、キッチンへと向かった。 「あぁあ、志麻に会いたい…」  バイト中に毎回思うことだ。今頃志麻は、現場かな?暑すぎる日光を浴び、汗を流しながら角材とか運んでいると思うと、「僕も頑張ろう」と、思えるのだ。  キッチンにプレートを持って行くと、 「相変わらず、お前も大変だな。いっそのこと、ホストに転職したらどうだ?」  キッチンスタッフの桜崎 吉信。お調子者で、口にまでピアスがあるという一見不良に見えるが、中身は結構人間想いで良い人。カフェ店員ではあまり見かけない、赤いバンダナとキッチンスタッフの制服である腰に巻いたエプロンがよく似合う。ちなみに、僕より四つも年下の現役高校生。なのに、店長も含む店員全員に対し、タメ口というゆとり世代。恐るべし。 「これ毎日続けてたら、こっちの身がもたないよ」  苦笑いをしつつ、プレートを置いた。 「陸君に止めららたら、フロアが回んないよ」  サンドイッチを作るため、自家製パンを切っている店長が言う。 「ちょっとぉ、店長ひどくないですかぁ。フロアには僕もいるんですからぁ」  途中参戦したのは、僕と同じくフロアスタッフの立花 真央君。見るからに可愛く、街を歩いていてもよく女の子と勘違いされ、雑誌記者からのスカウトやナンパをされるみたいで、困っているみたい。その話す表情は、まったく困ってなさそうだけれど。こう見えて、僕より一つ年上でファッション専門学校に通っているそうだ。 「はいはい」 「店長ぉ。あ、十七番テーブルの僕を気に入ってくれてる女子中学生二人が、いちごパフェとサクランボパフェだってぇ」 「ほいほーい」  奥でスイーツ担当の加藤さんが返事をする。ここのカフェは、八割以上が女性なので圧倒的にスイーツだけを作る担当の方が三名ほどいる。彼らが新商品を考えたりして、ここの大黒柱三人組である。 「…てかヤベッ、カー席の方のアイスコーヒーすっかり忘れてた!ヤバイヤバイッ」  吉信君がテンパりながら、急いでアイスコーヒーを作り始めた。ちなみに、カー席とはカーテンルームの略語である。  数分もしないうちにアイスコーヒーが二つ出てきた。 「悪りぃな陸、俺のせいにしていいから、マジ悪りぃ」 「大丈夫だって、そんな短気な人じゃないしさ」 あの作風からして、きっとではあるが短期ではないと思う。そう言い残し、僕はカーテンルームへと向かった。 「…失礼いたします。大変お待たせしてしまい、申し訳ございません。アイスコーヒーになります」  そこには、永原先生一人でお連れの方は居なかった。トイレにでも行ったのだろう。 「ほんと、めちゃめちゃ待ったよ。もう一人遅すぎて帰っちゃったよ」 「えっ」  まさか、確かに遅くはなってしまったが、帰られるほど遅かっただろうか。それとも、そんなに短気な方だったのだろうか。 「ふっ、冗談だってじょーだん。そんな驚かなくてもいいよ。心配しなくても、もう一人はただ電話に行ってるだけっ」 「なんだ…」  肩をなでおろし、詰まっていた息が溢れる。 「…やっぱダメ。遅すぎたから、ちょっとここ座って」 「えっ?」 「言うこと聞かないと、業界の人に『あそこのカフェは、商品が出てくるのが遅けりゃ、店員の態度も悪い』って言いふらそうか?」 「それはっ!」  吉信君が忘れていたのもあれだけど、気づかなかった僕も悪いし、実際に持ってきたのは僕だ。僕のせいで、店長達に迷惑をかけるのは許されないこと。ここまで、僕を積極的な性格に変えてくれたのはもちろん志麻もだけど、店長が閉店後も接客法を教えてくれたからだ。  僕は少し顔をうつむかせ、永原先生の隣に座った。 「やっぱし、変わんねぇな。可愛い」 「やっぱし?」  僕の顔をマジマジと見つめ、強引的にキスを迫ってきた。 「や、止めてくださいっ」 「あの時は、キス出来なかったからさ。今日は、んっ、何が何でもしていくよっ」 「あの時?」  僕はこの人の発言に気になり、抵抗していた力を一瞬弱めてしまったのだ。 「あっ。…んっ、んあっふぁ」 「んっん。ふぁっん。んあっ!」 「はぁはぁ、や、止めて下さい!せ、セクハラで訴えますよ」 「やれるものならやってみろよ。どぉせ出来ねぇくせに。あの時だってよ、俺を訴えること出来たはずなのによ、結局なんもしなかったじゃんっ。まさか、あの後俺にまた襲って欲しかったとかぁ?」 「違う!もう、あの時の僕とはもう違うんだ!」  薄々気付いてはいたが、やはり彼はあの時屋上で僕を犯した彼だ。まさか、僕の好きな作家になっていただなんて…。こんな形で再開するだなんて…。 「お客様?どうかなさいましたか?」  カーテンの向こう側には、店長の声が。 「店長っ!」  とっさにカーテンを開け、助けを求めるために店長の胸へと飛び込んだ。 「陸君っ!?どうしたんだい?何があったんだい?」  安心と温もりを感じ、どんどんと涙が溢れてくる。 「あんた、陸君に何したんだよっ」 「お客様に向かって、態度が悪くないですか?」  自分の泣き声で、店長の声や彼の声があまり聞こえなかったが、彼は店長を煽るような言い方だった。 「客だろうがなんだろうが、うちの店員泣かす奴は客じゃねぇよ!」  ここまで、店長が怒ってくれて、改めて店長のありがたみが分かった。 「おいおいっ、どうした?」  姿は見えなかったが、声からして吉信君だろう。 「吉、陸君を裏に連れてけっ」  僕は吉信君の胸へと移り、スタッフルームへと移動した。他に通る道がないのは分かっているが、お客さんの前を泣きながら同僚の胸にしがみついている姿を見られるのは、死ぬほど恥ずかしかった。そんなことに気を遣って、吉信君は着けていたバンダナで僕の顔を隠してくれた。 「…大丈夫か?事情は今聞かねぇけど、後で教えてくれよ。まぁ、嫌なら無理には聞かねぇけどよ」  結局皆に迷惑をかけてしまった。あの時僕があんなに声を上げなければ、これほど大きなことにはならなかったかもしれないのに…。 「さっき、真央に志麻さんに連絡入れるように言っといたから、もう心配すんなよ」 「なんでっ、なんでそんなことしたの!?」 「えっ、なんかごめん…。でも、俺じゃお前を慰めきれねぇからさ」  知られたくないのに…、極力あの人のことは話したくない。志麻に傷ついてほしくないし、話すことで忘れていた記憶が思い出されて、自分が辛くなるから…。  十数分後くらいだろうか、志麻がやって来た。 「陸!大丈夫か?」  志麻はドアを勢いよく開け、僕のところに走ってきてくれた。 「ありがと。あとは、もういいよ」 「はい。結構きてると思うんで、宜しくお願いします」 「おう。…何があったかは、家に帰ってからゆっくり聞くから今は落ち着け。俺が来たからもう大丈夫だ」  優しい声で体全身を抱きしめてくれて、背中をポンポンとしてくれるのが心地良かった。安心して泣きも落ち着いてきた。 「もう大丈夫か?」 「…うん。ごめんね、バイト抜けてきたんでしょ?」 「バイトより陸の方が大事に決まってんだろっ」  その言葉が、今の傷ついた心にとても染み渡った。

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